artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
イメージの洞窟 意識の源を探る
会期:2019/10/01~2019/11/24
東京都写真美術館2階展示室[東京都]
複数のアーティストが参加するグループ展は、出品者の組み合わせや展示会場の配分がうまくいかないと後味の悪いものになることがある。だが、今回の「イメージの洞窟 意識の源を探る」展に関していえば、それがかなりうまくいったのではないだろうか。北野謙、志賀理江子、フィオナ・タン、オサム・ジェームス・中川、ゲルハルト・リヒターという出品者の顔ぶれを見る限りでは、およそまとまりがあるとは思えないのだが、互いの作品がとてもうまく絡み合って、見応えのある展示空間になっていた。キュレーターの丹羽晴美の能力が充分に発揮されたともいえるが、それ以上に、それぞれの展示作品が出会うことで、思いがけない化学反応を起こしたのではないかと思う。
同じ会場で2019年に開催された、志賀理江子の「ヒューマン・スプリング」展からの1点をイントロダクションとして、沖縄の洞窟(ガマ)の内部を照らし出して撮影したデジタル画像を合成してプリントしたオサム・ジェームス・中川の「ガマ」、生後間もない乳児を印画紙の上に寝かせて、フォトグラムの手法でその姿を浮かび上がらせた北野謙の「未来の他者」、古いニュース映画をつなぎ合わせて、どこか寄る辺のない人類の記憶を再現するフィオナ・タンの映像作品「近い将来からのたより」、写真のプリントの上に直接エナメルや油彩でドローイングするゲルハルト・リヒターの「Overpainted Photographs」シリーズが並ぶ。そのあいだに、初期の写真研究者、ジョン・ハーシェルがスケッチ用光学器械のカメラ・ルシーダを用いて制作した「海辺の断崖にある洞窟」のドローイングが挟み込まれていた。それらの作品が、「意識の源を探る」という展覧会のテーマに直接的に結びついているわけではない。それでも、まさに写真家/アーティストたちのイメージ生成の現場に立ち会っているような歓びを味わうことができた。
2019/10/05(土)(飯沢耕太郎)
風間雅昭「『路上の記憶』1968-1971」
会期:2019/09/07~2019/10/13
kanzan gallery[東京都]
本展に展示されているのは、1960年代後半から70年代初頭にかけての「政治の季節」における路上の光景を撮影した写真群である。作者の風間雅昭によれば、「いわゆる全共闘運動と称される学生を主体とした運動」には三つの側面がある。「学生と学校当局との対立に端を発しそれが全国の大学に波及した運動」、「その運動に外から参加して運動を実質支配しようとしたセクトの運動」、「集団というほどに組織化されていない……「ノンセクトラジカル」と称される人々の運動」である。そのうち「ノンセクトラジカル」の運動は、「政治運動というよりは文化行動という側面」が強いものだった。風間がその「文化運動の側面」に強い共感を抱いていることは、タイトルを「路上の記録」ではなく「路上の記憶」としたことからもわかる。単なる記録ではなく、記憶として共有し、保持し、想起すべき出来事ということだ。
会場には、1968年6月の「60年安保記念」のデモ、69年1月の「東大紛争」、同2月の「日大奪還」、同10月の「国際反戦デー」、1971年4月の「沖縄デー」など、東京の路上で繰り広げられた「闘争」の過程を撮影した写真群が壁にびっしりと貼られていた。その数は300カット余りだが、実際には9000カット以上が撮影されたという。風間は当時Asia Magazines社の特派カメラマンとして取材にあたっていたので、これらの写真は元々報道を目的として撮られたものだ。だが50年の時を隔てて見ると、政治的なバックグラウンドを事細かに読みとるよりも、学生・労働者と警視庁機動隊員の肉体とが激しくぶつかりあう現場のあり方が気になってくる。風間の当時の意図とは違うかも知れないが、これらの写真群は路上に溢れ出し、うねりをともなって広がっていくエネルギーの場を、その細部に目を凝らして撮影したドキュメントといえるのではないだろうか。写真のカット数をさらに増やし、ぜひ写真集にまとめてほしい。
2019/10/02(水)(飯沢耕太郎)
禅フォトギャラリー10周年記念展
会期:2019/09/18~2019/10/19
ZEN FOTO GALLERY[東京都]
東京・六本木の禅フォトギャラリー(ZEN FOTO GALLERY)が開廊10周年を迎え、その記念展が開催された。2009年にマーク・ピアソンが渋谷に設立し、2011年に現在の六本木に移転した同ギャラリーでは、これまで80名を超える写真家、アーティストの163の展覧会を開催し、130タイトル以上の写真集を刊行してきた。今回はその写真集の実物すべてを壁面に並べて展覧している。
マーク・ピアソンは「私自身と他の人々の生活の質の向上に向け、ささやかながら私が調整役を果たすための手段」としてギャラリーを運営してきた。単純に写真作品や写真集を売買して利益を得るというだけではなく、彼自身の理想を追い求めてきたということだ。それゆえ、禅フォトギャラリーのラインナップは、極めて独特なものとなっている。北井一夫、石川真生、須田一政、土田ヒロミ、山内道雄、有元伸也、中藤毅彦、殿村任香、東京るまん℃、梁丞佑など、個性的な顔ぶれだ。さらに若手の写真家や、莫毅(モイ)のような中国の写真家たちにもきちんと目配りしている。写真集のクオリティの高さも特筆すべきもので、第35回土門拳賞を受賞した山内道雄の『DHAKA 2』や、第26回林忠彦賞を受賞した有元伸也の『TOKYO CIRCULATION』など印象深いものが多い。
イギリス人のマーク・ピアソンと、そのアシスタントとして展示や写真集制作に重要な役目を果たしてきた台湾出身のアマンダ・ロは「どちらも日本人ではない」。そのために「必然的に間違いを犯し続ける」こともあったという。だが逆に日本人の常識にとらわれない物の見方で、この10年、新風を吹き込んでくれたともいえる。蒔き続けた種子が大きく育って、収穫の時期を迎えるのはむしろこれからだろう。
2019/10/02(水)(飯沢耕太郎)
大西みつぐ写真展「NEWCOAST2 なぎさの日々」
会期:2019/10/01~2019/10/19
コミュニケーションギャラリーふげん社[東京都]
大西みつぐは1980年代後半から90年第初頭にかけて、「NEWCOAST」と題するシリーズを撮影していた。「バブルの熱に浮かされた人々が戸惑いながらも居場所を求め、東京湾岸に集うようす」を、カラーフィルムの中判カメラで撮影したシリーズである。それから30年余りが過ぎて、「いったい風景の何が変わったのか? あるいはまた繰り返しの季節を迎えているのか?」と自問自答しながら、以前撮影したのと同じ葛西海浜公園の人工なぎさにカメラを向けたのが、今回の「NEWCOAST2 なぎさの日々」である。
全29点の写真のたたずまいに、それほど変化があるようには見えない。とはいえ、30年余りが過ぎるなかで、かつてはやや違和感があったアメリカ西海岸っぽい雰囲気が、それなりに身の丈に合ったものになっていることに気がつく。海浜公園での人々の振る舞いが、背伸びしなくても、日本人のライフスタイルと溶け合うようになってきているということだろう。大西のカメラワークも自由度が高まり、被写体との距離感を自在に調整することができるようになっている。それでも「なぎさの日々」には、日常からは多少ずれた「ハレ」の気分がまつわりついている。このシリーズには、大西の写真のメインテーマというべき「川」を中心とした東京の下町の情景とは一味違ったテンションの高さがある。大西は展覧会のリーフレットに「川(荒川)と海(東京湾)を行ったり来たりしながら写真家として生きてきた」と書いているが、その往還のプロセスから、今後も魅力的な写真群が生み出されていくのではないだろうか。
2019/10/01(火)(飯沢耕太郎)
奥山由之『Girl』
発行所:BOOTLEG
発行日:2019年9月14日
奥山由之は、2011年の第34回「写真新世紀」で優秀賞を受賞して、写真家としてデビューした。そのときの展示を見て、まだ21歳という若さにもかかわらず、ひとりの少女の姿を淡い光と影の移ろいのなかに浮かび上がらせ、その微かに身じろぐようなたたずまいを捉える能力の高さに驚かされた。何だかHIROMIXの写真のようだと思ったら、当のHIROMIXが審査員として優秀賞に選んでいるのがわかって、妙に納得したことも覚えている。
その受賞作「Girl」は、2012年にPLANCTONから少部数の写真集として刊行されたのだが、あまり話題にもならず絶版になっていた。その後奥山は、 写真集『BACON ICE CREAM』(PARCO出版、2016)を刊行し、同名の個展をパルコミュージアムで開催して、一躍注目を集めるようになった。その後の活躍ぶりはめざましいものがある。今回BOOTLEGから復刊されたのは、その彼の写真家としての原点というべき写真集『Girl』である。
あらためてページをめくると、写真作品一点一点のクオリティの高さだけでなく、モノクローム写真にカラー写真を効果的に配合して、少女を軸とした物語を構築していく力を、彼が既にしっかりと身につけていたことがわかる。だが、その完成度の高さは諸刃の剣といえるだろう。あまりにも早く自分の世界ができあがると、そこに安住して、同工異曲の繰り返しに走ってしまうことがよくあるからだ。だが、奥山はその後『Girl』を足場にして、意欲的に自分の写真の世界を拡張していった。それが、現在の彼の写真家としての立ち位置につながっているということだろう。
2019/09/25(水)(飯沢耕太郎)