artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

第31回 写真の会賞 写真の会賞展

会期:2019/07/22~2019/07/28

Place M[東京都]

31回目を迎えた本年度の「写真の会賞」は、野村浩が著書『CAMERAer──カメラになった人々』(go passion、2018)、写真展「“NOIR” and “Selfie MANBU”」(POETIC SCAPE、2018)と「暗くて明るいカメラーの部屋」(横浜市民ギャラリーあざみ野、2019)で、そして須田一政が写真集『日常の断片』(青幻舎、2018)が受賞した。誰にも真似のできない写真世界を構築してきた須田の、生前最後のカラー写真集『日常の断片』が選ばれたのは当然というべきだが、野村の受賞には意表を突かれた。受賞作の『CAMERAer──カメラになった人々』は、写真集ではなく4コマ漫画を集めたものだし、「暗くて明るいカメラーの部屋」は横浜市所蔵のネイラー・コレクションの写真機材を野村がキュレーションした展示だったからだ。

だが、「マンブくん」、「カメラドッグ」、「カメラバード」、「箱男」といったキャラクターが登場して、奇妙な会話や行為を展開する『CAMERAer──カメラになった人々』は、それ自体がしっかりとした写真論になっている。また、横浜市市民ギャラリーあざみ野の展示にも、彼の写真家としての経験が活かされていた。「写真の会賞」はこれまでも異色の写真家や写真関係者にスポットを当ててきたが、今回も同賞にふさわしい選考といえそうだ。

Place Mで開催された受賞作品展もかなりユニークな会場構成だった。フレームにきちんとおさまった須田の作品の合間に野村が介入して、会場全体を「カメラーの部屋」として再構築している。須田の写真を思わせる風景の中に「マンブくん」が入り込んだ「Selfie MANBU」シリーズのほかに、スワロフスキー製のクリスタルカメラのインスタレーション、スライド上映、コピー作品などもある。野村は「暗くて明るいカメラーの部屋」展でも、キュレーターとしての能力の高さを見せたが、今回の会場構成でもそれを充分に活かしている。極め付けは、今回の展示のために描き下ろしたという『CAMERAer──カメラになった人々』の番外編「すだ式」をおさめた小冊子で、いうまでもなく、つげ義春の名作「ねじ式」の秀逸なパロディになっている。野村の写真家の枠からはみ出した才能が、全面開花しそうな予感がある。

2019/07/23(火)(飯沢耕太郎)

笠井爾示 写真展「Lazy Afternoon」

会期:2019/07/12~2019/07/28

神保町画廊[東京都]

笠井爾示(ちかし)のデビュー写真集は『Tokyo Dance』(新潮社、1997)だから、それからもう20年以上経つわけだ。「若手」写真家の代表格だった笠井も、中堅からベテランの域に達してきた。そのあいだ、写真集の刊行や展覧会の開催がやや途絶えた時期もあったが、このところ『東京の恋人』(玄光社、2017)、『川上奈々美写真集 となりの川上さん』(同)、『七菜乃と湖』(リブロアルテ、2019)、『トーキョーダイアリー』(玄光社、2019)と立て続けに写真集を刊行し、新たな活動期に入ってきている。

女性モデルのポートレート40点による今回の神保町画廊での個展には、笠井の代名詞というべきヌード写真は1点も入っていない。それを期待して見にきた観客には肩すかしかもしれないが、むしろ彼の眼差しの素の部分が写真にしっかりと写り込んでいて、興味深い展示になった。笠井に限らず男性写真家が女性モデルを撮影する場合、どうしてもエロティックな表情、身振りを要求することになりがちだ。今回の写真の中にも、つい職業的なポーズを取ってしまったモデルを撮影した写真がないわけではない。だが大部分の写真は、慎み深さを感じさせつつ、平静な視点で、そのモデルの魅力を引き出している。特に、モデルとその背景となる環境との関係に、細やかに気を配っている写真が多い。写真の選択・構成にも手抜きがなく、会場には気持ちのいい空気感が漂っていた。

ただ、このところの笠井の写真集や展覧会が、どちらかといえば破綻のない、安定した表現の水準に留まっていることにはやや不満がある。そろそろ大作にチャレンジする時期がきているのではないだろうか。

2019/07/19(金)(飯沢耕太郎)

鈴木敦子『Imitation Bijou』

発行所:DOOKS

発行日:2019/06

「TOKYO ART BOOK FAIR 2019」で目についた一冊。鈴木敦子は福井県在住の写真家だが、携帯電話のカメラで折に触れて撮影した写真を、写真集にまとめた。写っているのはごく身近で些細な経験であり、その意味では、ありがちな「日常スナップ」に見えなくもない。Instagramにアップされていてもおかしくない写真もたくさんある。だが、目に入ってくる事物を捉える眼差しの角度とタイミングに独特のバイアスがかかっていて、写真集のページをめくるうちに、その世界に誘い込まれていく。タイトルの『Imitation Bijou』というのは「模像宝石」という意味だそうだが、写真の内容にぴったりしている。安っぽいけれども切実な、どこか悲哀感を感じさせる輝きが、どの写真にも宿っているのだ。写真の選択と配列が的確ということだろう。

特筆すべきは相島大地によるデザインで、文庫本とほぼ同じ大きさの、小ぶりなサイズにしたのがうまくいった。小さな経験の集積に、小さい写真集が見合っている。通常版のほかに、アクリルのケースに入れた特装版(30部限定)もあるのだが、こちらはプリントが1枚つく。こういう丁寧な造りの写真集を見ていると、日本の写真家、出版社、印刷・製本業者が長年にわたって積み上げてきた写真集制作のクオリティの高さが、揺るぎないものになりつつあることがわかる。いま一番大きな問題は、せっかく完成したいい写真集を、どうやって読者に届けていくのかということだろう。写真集流通の回路作りが、より必要になってきている。

2019/07/15(月・祝)(飯沢耕太郎)

TOKYO ART BOOK FAIR 2019

会期:2019/07/12~2019/07/15

東京都現代美術館[東京都]

2009年にスタートした「TOKYO ART BOOK FAIR」も10回目の区切りの年を迎えた。今年はリニューアル・オープンしたばかりの東京都現代美術館に会場を移し、エントランスホールと地下2階の企画展示室に国内外の出版社、ギャラリー、アーティストなど、約300組が出展していた。相変わらず、連日大変な数の入場者が訪れ、会場は活気を呈している。ただ、ブック・フェアとしてはそろそろ限界に達しつつあるのではないかという印象を受けた。

僕が行ったのが最終日の15日の午後だったこともあると思うが、入場者があまりにも多過ぎてほとんど身動きができない状態だった。ブースに立ち止まって本をゆっくり見る余裕はなく、出展者とのコミュニケーションもうまくとれない。また以前は、どちらかといえば写真集中心のイヴェントだったのだが、イラスト集やアート・ブックの割合が増え、Tシャツなどのグッズを販売しているブースもあって混乱に拍車がかかっている。出展物の内容が洗練されてきていることは間違いないが、逆に均質化も目立つようになった。好みの本を見つけ出すのは、砂粒からダイヤモンドを探すような状況になってきている。

「TOKYO ART BOOK FAIR」では出展ブースに加えて、独自企画も展開している。今年はゲスト国がアメリカということで、同国で1970年代から刊行されてきたZINEの展示やトークイヴェントなどが開催されていた。ほかにも「カタログでたどる、資生堂ギャラリーの100年」、若手写真家グループのカルチャーセンターが主催する「Boring Books 退屈な本」展なども開催されていたのだが、メイン会場の雑踏に紛れてほとんど目立たない。会場のスペースや運営のやり方を、根本的に見直す時期にきているのではないだろうか。

2019/07/15(月・祝)(飯沢耕太郎)

宮本隆司 いまだ見えざるところ

会期:2019/05/14~2019/07/15

東京都写真美術館[東京都]

展示はシリーズごとに5つに分かれている。まずネパール北部の農村ロー・マンタンを撮ったシリーズ。高地で乾燥しているせいか白黒のコントラストが強く、土壁の建物や路地ばかりで人がほとんど写っていない。次が、香港やバンコクやホーチミンなどアジアの都市風景。こちらは人や物があふれていて濃密な空気が漂っている。次に、最初の写真集『建築の黙示録』から、サッポロビール恵比寿工場の解体現場。これは写真美術館のある恵比寿ガーデンプレイスの開発前の姿。このころ宮本は、すぐ近くの再開発を見下ろすマンションに住んでいた。その次が東京スカイツリーを撮ったピンホールカメラのシリーズ。縦長の画面の上半分にスカイツリーを電信柱とともに写した奇妙な写真だ。あれ? 1点だけ電信柱のみでスカイツリーが写っていない写真があるが、これは徳之島の電信柱。


ここまでが前半で、後半はすべて徳之島を撮った《シマというところ》。宮本の両親は徳之島の出身で、彼自身も生後4カ月から2歳までこの島で暮らしたそうだ。もちろん記憶はないが、だからこそある程度年がいってから気になり始めたのだろう。近年はしばしば島を訪れるという。その写真には、海岸や田畑、ソテツ、じいさんばあさん、お祭り、ウミガメの産卵などが写されていて、明らかに前半の写真とは違う。「廃墟の宮本」像が崩れてしまいかねないほど違う。なにが違うかというと、たぶん温度だ。シマとは島ではなく、小さな共同体のこと。だからぬるい。写真がぬるいのではなく、ぬるさを写している。そのぬるさは幼少期の身体を包んでいた空気のような、あるいはひょっとして、羊水のようなぬるさかもしれない。

2019/07/14(日)(村田真)

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