artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

ERIC「香港好運」

会期:2019/01/11~2019/02/02

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

ERICが、生まれ育った香港を出て日本に来たのは1997年である。日本行きは「ただなんとなく」で、6人家族が同居する家に馴染めなかったことによる「国際的家出」でもあった。その後、2001年に東京ビジュアルアーツ写真学科を卒業して、日本で写真家として活動してきた彼にとって、「香港を撮る」にはかなり覚悟が必要だったのではないだろうか。香港という愛憎相半ばする場所では、写真家としての客観性を保つのがかなり難しくなるからだ。だが、今回Zen Foto Galleryで展示された30点余りの写真を見ると、彼がそのハードルをしっかりとクリアしていることがわかる。

ERICの撮影スタイルは、初期から一貫して「ストリート・スナップ」である。偶然出会った路上の人物たちにカメラを向け続けるのは、テンションを保つだけでも大変なことが想像できる。実際、彼がこれまで発表してきた日本、中国、インドなどでのスナップ写真も、少しずつ画面構成に破綻がなくなり、落ち着いた雰囲気になってきていた。ところが、今回の「香港好運」展には、まさに原点回帰というべき気迫のこもった写真が並んだ。やや黄色味の強い自家プリントによる写真群の熱量、生々しさは驚くべきものがある。故郷を出てから21年の間に、香港にもERIC自身にも大きな変化があったはずだが、そのことを全身で確認し、さらに前に進もうという強い意欲感じることができた、

なお、Zen Foto Gallery から同名の写真集(アートディレクション・おおうちおさむ)が刊行されている。「個性を垂れ流している」人物たちの写真を小気味よく連ねた、ビートの効いた造本の写真集である。

2019/01/29(火)(飯沢耕太郎)

裵相順「月虹 Moon-bow」

会期:2019/01/14~2019/01/27

JARFO 京都画廊[京都府]

木炭によるモノクロームの静謐かつ力強い描線で、あるいは陶芸で、「紐」「組み紐」「糸玉」を思わせる半抽象的な形態を表現してきた裵相順(ベ・サンスン)。彼女が繰り返しモチーフとしてきた、絡み合う「紐」や「糸」は、メドゥプ(朝鮮半島の伝統的な組み紐工芸)を連想させ、「手工芸」「装飾」といった女性的な領域を示唆するとともに、その有機的な形態や流動的な線の生成は、血管や神経、髪の毛など人体の組織や伸びゆく植物など、生命のエネルギーも感じさせる。裵は、韓国の大学を卒業後、日本の美術大学で学び、現在は京都を拠点に制作している。

抽象的、内省的な作風の裵だが、近年は、日本人の移住によって近代都市が形成された韓国中部の大田(テジョン)の歴史に着目し、記録資料の収集やかつて大田に住んだ日本人へのインタビューなど、リサーチを行なってきた。1900年代初め、日露戦争に備えて朝鮮半島を横断する鉄道建設を急いでいた日本は、重要な中継地点として大田を選び、都市開発を行なった。鉄道技術者らの移住に加え、商店や工場も建設され、当時の絵ハガキの写真を見ると、日本語の看板が並ぶ日本風の街並みを和装の人々が行き交っていた様子が分かる。敗戦後、日本人は本土に引き揚げ、近代建築物の多くは朝鮮戦争で破壊された。日韓両国の歴史においてほとんど語られることのなかった大田だが、近年は、植民地期の都市形成史を掘り起こす研究が進んでいる。本展では、戦前/戦後/現在の大田の写真、かつての居留者の日本人へのインタビュー映像、家族アルバム、市街地図といった資料とともに、写真作品《シャンデリア》シリーズが展示された。



展示風景

「糸」はこれまでの裵の造形作品の主要なモチーフだが、《シャンデリア》シリーズでは、暗闇のなか、絡まり合う無数のカラフルな細い糸を撮影し、写真作品として制作している。素材には韓国と日本の錦糸が用いられ、ほどいた糸を絡めてもつれさせている。それは、戦前に大田で生まれ育ち、敗戦や引き揚げを経て、戦後は日本国内での差別から朝鮮半島生まれであることを語らずに生きてきた人々の、容易には解きほぐしがたい記憶のもつれを思わせる。インタビューに応じた日本人は、平均年齢80歳であり、生まれ育った「故郷」と「日本(人)」というナショナルな枠組みの狭間で、70年以上も引き裂かれながら生きてきたのだろうと察せられる。また、絡み合う「糸の束」が色とりどりの糸から出来ていることに目を向けると、大田というひとつの都市に移住し、行き交い、去っていった無数の人々の人生の軌跡が交錯するさまをも連想させる。さらにそれは、もつれて絡まりあった複雑な両国の歴史のメタファーでもあり、大田が鉄道建設の拠点として作られた都市であることを考え合わせると、帝国主義的欲望とともに拡張されていく線路、その瘤のように肥大化した欲望の姿をも想起させる。個人の記憶と国家的欲望、ミクロ/マクロの多層的な意味やメタファーが重なり合い、一義的な意味の決定を拒むところに、《シャンデリア》シリーズの魅力、ひいてはアートとしての可能性がある。



《選択された風景》2019

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展覧会タイトルの「月虹」とは、月の光(月に反射した太陽光)によってできる虹を指す。それは、暗がりにかすかに光る、見えづらい「虹」だ。作品タイトルの「シャンデリア」もまた、通常想起される富や権力の象徴ではなく、反語的な意味をはらむ。裵の「シャンデリア」は、抑圧され語られてこなかった個人の記憶に耳を傾けることから出発し、国家の歴史から葬られてきた植民地支配の記憶を、かすかな明かりで照らし出す。

2019/01/27(日)(高嶋慈)

川口和之「PROSPECTS Vol.3」

会期:2019/01/13~2019/01/30

photographers’ gallery[東京都]

川口和之のphotographers’ galleryでの「PROSPECTS」シリーズの展示も、今回で3回目になる。以前は地元の兵庫、岡山などの写真が中心だったのだが、それ以後、撮影範囲が大きく広がり、青森県から福岡県に至るさまざまな場所の写真が展示されていた。

といっても、制作の姿勢やスタイルそのものにはほとんど変化がなく、やや寂れた商店街などの眺めを、できる限り克明に、細部の質感描写に気を配って撮影している。だが、そのリアリティがただ事ではなく、写真を見ているとあたかも自分が実際にその景色の前にいて、川口とともに、歯抜けになって滅びの気配を色濃く漂わせている街並みを眺めているように感じてしまう。撮影のポジション、プリントの色味、明度、彩度などの選択がじつに的確で、揺るぎがないからだろう。あと四半世紀ほど過ぎれば、この「PROSPECTS」のシリーズに記録された光景のほとんどは失われてしまうわけで、川口はそれを見越して作業のペースをあげているのではないだろうか。

photographers’ galleryに隣接するKULA PHOTO GALLERYでは、「PROSPECTS Early Works」展が同時開催されていた。そこに並ぶ、1976~79年に姫路、大阪などで撮影されたモノクロームの初期作品の、ハイコントラスト・フィルムを特殊現像して、街のディテールを注意深く定着した写真のたたずまいは、現在の川口の仕事にそのまま繋がっている。40年以上にわたって続けてきた、彼の街の観察と記録の作業が、ようやく厚みのある写真群として形をとりつつあるということだろう。

2019/01/26(土)(飯沢耕太郎)

─プラザ・ギャラリー30年の軌跡─写真展 光陰矢の如し

会期:2019/01/12~2019/03/31

東京アートミュージアム[東京都]

東京・仙川のプラザ・ギャラリーは1988年10月に開設された。2004年には同ギャラリーの向かいに姉妹スペースというべき東京アートミュージアム(設計・安藤忠雄)がオープンする。今回の展覧会は、同ギャラリーの30周年を記念して企画されたもので、これまで展覧会を開催してきた写真家たち12名が出品している。

桑原敏郎、五井毅彦、小平雅尋、小林のりお、齋藤さだむ、白汚零、鈴木秀ヲ、田村彰英、築地仁、奈良原一高、村越としや、山本糾という出品作家の顔ぶれが感慨深い。1931年生まれの奈良原と、1980年生まれの村越を例外として、ほかの出品者たちの多くは、1970~80年代に「写真とは何か?」、「写真を撮る“私”とは何か?」という根本的な命題をあらためて問い直すところから、写真家としての活動をスタートさせた。その彼らも50歳代~70歳代にさしかかろうとしている。プラザ・ギャリーの30年の歩みは、彼らの活動の範囲と背景が急速に変化していった時期に重なり合っているわけだ。

端的に言えば、その最大の変化はアナログ写真からデジタル写真への移行だろう。彼らもそれに対応しつつ、新たな領域にチャレンジしていった。今回の展示で言えば、鈴木秀ヲのMcDonald’sの看板のMマークをデジタルカメラで撮影したデータをUSBメモリに取り込み、それを破壊して出力した作品、小平雅尋のデジタルカメラに「ベス単」(ヴェスト・ポケット・コダック)のレンズを付けてスナップショットを撮影する試み、五井毅彦の音声付きの動画にテキストを字幕で加え、インスタレーションとして展示した作品などに、現時点での彼らのチャレンジ精神がよくあらわれていた。

もうひとつ感慨深かったのは、本展に当然出品しているはずの山崎博(2017年に逝去)が不在だったことだ。仙川在住だった山崎は、プラザ・ギャラリーの初期にアドバイザーとしてかかわり、同ギャラリーで何度も個展を開催している。桑原敏郎が、山崎の方法論を取り込んだ「カメラを一方向に固定し、フォーカスを移動することや風に揺れる変化を撮影」した連続写真で、彼にオマージュを捧げていた。

2019/01/24(木)(飯沢耕太郎)

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片桐飛鳥「光と今──Photon Superposition」

会期:2019/01/19~2019/02/23

KANA KAWANISHI PHOTOGRAPHY[東京都]

片桐飛鳥はこれまで一貫して「光」をテーマとした写真作品を制作・発表してきた。1998年に開始された「Light Navigation」のシリーズは、レンズを介さずに、「光」を直接フィルムに定着した抽象化の極みといえそうな作品だが、2009年頃からより幅広く「光」にかかわる現象を被写体にするようになった。今回東京・西麻布のKANA KAWANISHI PHOTOGRAPHYで展示された「21_34」シリーズ(7点)もその一環であり、夏の夜空に打ち上げられる花火を撮影している。

とはいえ、よく目にする「花火写真」とは完全に一線を画しており、片桐の関心が、花火そのものの色やフォルムではなく、それらが表出する、より普遍的な「光」のあり方に向けられているのは明らかである。千変万化する光のパターンは、むしろ日常世界から隔絶した数式の図示化のようにも見えてくる。また、タイトルの「21_34」というのは、フィボナッチ数(どの項もその直前の二つの項の和になっている数式)に基づくものであり、それに合わせて今回のプリントは21インチ×34インチの大きさに引き伸ばされているのだという。いかにも片桐らしい厳密な思考の産物なのだが、花火のパターンそのものは、むしろエモーショナルとさえ言えそうな、感覚的な美しさを保っている。

片桐は、今後も写真を媒介としてさまざまな「光」の現象にこだわり続けていくはずだ。そのなかで、どんな認識や思考が導き出されてくるのかが楽しみだ。

2019/01/23(水)(飯沢耕太郎)