artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
戦後の浪華写真倶楽部──津田洋甫 関岡昭介 酒井平八郎をめぐって
会期:2019/03/02~2019/03/24
MEM[東京都]
浪華写真倶楽部は1904(明治37)年、日本で最初に設立されたアマチュア写真家団体のひとつで、戦前は安井仲治、小石清、福森白洋らを擁して関西「新興写真」の拠点として輝かしい足跡を残した。戦中には一時低迷するが、戦後すぐに活動を再開する。今回のMEMでの展覧会には1948年に同倶楽部に入会した津田洋甫(1923~2014)、関岡昭介(1928~2016)、58年入会の酒井平八郎(1930~)の1950~60年代の作品から、全22点が出品されていた。
このところ、1950年代の写真に着目した展示が続いているが、それはこの時代の写真家たちの営みが、一枚岩ではない多様性を備えていることが少しずつ見えてきたためだろう。「リアリズム写真」と「主観主義写真」の並立というのが、この時代に対する基本的な見方だったのだが、本展などをみると、両者に単純に帰することのできない写真表現が、さまざまな場所で芽生えつつあったことがわかる。津田、関岡、酒井の写真がまさにそうで、社会的な事象、事物にストレートに目を向けた写真と、造形的、技法的な実験を試みた写真とが混じり合っている。関岡の《黒い山》、酒井の《ハトバの印象》、津田の《雨煙の中》などに写り込んでいるのは、まぎれもなく、まだあちこちに戦争の傷口が顔を覗かせているようなこの時代のざらついた空気感だ。
そう考えると、いま必要なのは「リアリズム写真」と「主観主義写真」、あるいはプロフェッショナルとアマチュア写真といった枠組をいったん解体して、そこから浮かび上がってくる「50年代写真」の総体を見極めることではないだろうか。それはまた、新たな角度から写真の「戦後」を問い直す試みの端緒になるのではないかと思う。
2019/03/10(日)(飯沢耕太郎)
田沼武能「東京わが残像 1948-1964」
会期:2019/02/09~2019/04/14
世田谷美術館[東京都]
展覧会の会期中に90歳になるという田沼武能は、現役最長老の写真家のひとり。今回の世田谷美術館での回顧展には、彼が写真家として出発した1940年代から60年代にかけて東京を撮影した写真180点を出品している。ほかに、柳田國男から福田繁雄まで、世田谷在住の文化人24人を撮影したポートレートも特別展示されていた。
1949年から木村伊兵衛の助手を務めた田沼の基本的なスタイルは、師匠譲りの、被写体を取り巻く空気感を丸ごと写し込むスナップショットである。それらを見ながら、あらためて写真の細部を「読む」ことの面白さを感じた。例えば、展覧会のポスターやチラシにも使われた《路地裏の縁台将棋》(1958)には、将棋に夢中になっている男の子たちとそれを見守る女の子をはじめとして、じつに多くの人、モノが写り込んでいる。花火を楽しむ浴衣姿の子供たちもいるし、その奥には戸口に入ろうとする女性の姿も見える。洗濯物、流しと洗面器、桶、三輪車などのモノたちもそれぞれ自己主張している。さらに濡れた地面の湿り気の感触が、いかにも下町の路地裏らしい雰囲気を醸し出す。それらすべてが一体化して、1950年代の東京の「残像」がまざまざとよみがえってくるのだ。
このような「読む」ことのできるスナップショットは、当時のフォト・ジャーナリズムの要請によって成立したものであり、その後、より個人的、主観的な解釈が強まるにつれて、あまり撮影されなくなっていく。だが、60年の時の隔たりを通過すると、それらがじつに味わい深い「微妙な含みをもつ暮らしの匂い」(酒井忠康)を発しはじめていることがわかる。ひるがえって、2010年代の現在の東京もまた、田沼や木村伊兵衛のように撮っておくべきではないだろうか。写真は画像に写し込まれた匂いや手触りや空気感を介して、過去と現在と未来とをつなぐ役目を果たすことができるからだ。
2019/03/08(金)(飯沢耕太郎)
薄井一議「Showa96」
会期:2019/03/08~2019/03/30
ZEN FOTO GALLERY[東京都]
ZEN FOTO GALLERYで開催されてきた薄井一議の「Showa」シリーズは、「Showa88/昭和88年」(2011)、「Showa92」(2015)に続いて今回が3回目になる。ちょうど平成の最後の時期の開催というのも感慨深いものがあるし、シリーズとしても今回で完結ということのようだ。
展覧会に寄せたコメントで、薄井はこう書いている。
「“昭和”が付くからと言って、別だんノスタルジーを追い求めている訳では全くない。僕は、この言葉を“生き抜く力”の象徴と考える。昭和がまだ別の時空で続いていたらどんな世界か、そんなファンタジーを追い求め、平成の終わりに第三弾が完成した」
「Showa」を「“生き抜く力”の象徴」と見る捉え方は、とても面白い。たしかに30年余り続いた平成時代は、日本人の生のエネルギーが、根こそぎ奪われていった時期に思えるからだ。薄井はそんな「Showa」を呼び起こすために、さまざまな場所に足を運び、奇妙な人物たちとの出会いを写真におさめていく。時にはその場所から何か特異な気配を感じ取り、演劇的な要素を取り入れてストーリー仕立てで展開したりもする。今回展示された写真でいえば、東京・大森の旧金子國義邸が取り壊される前に、ヌードや芸妓の格好をした女性を配して撮影した写真がそうである。2016年に日本青年館が閉鎖される前日に、わざわざ宿泊して撮影したという写真も興味深い。開いた窓からは、工事が始まったばかりの国立競技場の建築現場が見える。
薄井が「Showa」シリーズで積み上げてきた写真群は、ZEN FOTO GALLERY刊行の3冊の写真集にまとまり、かなりの厚みを持ち始めている。ぜひ、それらを、大きな会場で一度に見ることができる機会をつくってほしい。それとともに、薄井がこのシリーズの次にどんな展開を考えているのかも楽しみだ。
2019/03/08(金)(飯沢耕太郎)
佐藤信太郎「The Origin of Tokyo」
会期:2019/02/27~2019/04/13
PGI[東京都]
佐藤信太郎が2008年に刊行した『非常階段東京 TOKYO TWILIGHT ZONE』(青幻舎)は、ビルの非常階段から大判カメラで黄昏時の東京の光景を捉えたユニークな視点の写真集だった。今回のPGIでの展示はその続編というべきもので、これまでは主に東京の東側の地域を題材としてきたが、その撮影領域を東京の中心部にシフトしている。それだけでなく、デジタルカメラを使うようになって、写真をパノラマ的につなげてプリントできるようになった。今回展示された5点のうち最大のものは、0.86×11.5メートルという絵巻物のような作品だった。展覧会にあわせて、後半部分に近作のパノラマ作品をおさめた新刊写真集『非常階段東京 The Origin of Tokyo』(青幻舎)も刊行されている。
いうまでもなく東京の中心に位置するのは皇居であり、そこにカメラを向けると、画面の下部に黒々とした部分が大きく広がる。佐藤はあえてその闇の領域を取り込むことで、「日常と非日常の間、天と地の間、数歩先に進めばこの世からいなくなるような、この世とあの世のあわい」に位置する「非常階段」という視点を強調している。東京という都市の歴史的な地層を読み解くうえで、彼が発見したポジションは絶妙の視覚的効果を発揮しているといえる。ただ、東京を江戸以来の光と闇の二元論で捉える試みは、これまで多くの文学者、アーティストたちによって積み上げられており、ややクリシェ化していることも否定できない。これから先は、さらなる多層的な視点が必要となるだろう。その点において、パノラマ作品とともに展示されていた佐藤の初期作品「Geography」は注目に値する。「平面を平面のまま撮る」というコンセプトで地表を撮影したシリーズだが、もう一度見直すと思わぬ発見がありそうだ。
2019/03/06(水)(飯沢耕太郎)
江成常夫「After the TSUNAMI 東日本大震災」
会期:2019/02/28~2019/03/06
ポートレートギャラリー[東京都]
江成常夫は東日本大震災直後の2011年5月から、岩手、宮城、福島の三県にまたがる津波の被災地を撮影し始めた。今回の写真展は、2018年8月~9月に相模原市民ギャラリーで開催した同名の個展の再展示で、2018年5月まで7年間にわたって撮り続けてきた写真から56点を出品している。江成の撮り方はまさにオーソドックスなドキュメンタリー写真そのもので、会場には被写体の細部までしっかりと捉え切ったモノクロームの大全紙プリントが、息苦しいほどの緊張感を発して並んでいた。
このような、いわば古典的な手法で震災後の光景に向き合うことが、果たして妥当なのかどうかは問い直されなければならないだろう。また、津波の跡を撮影した写真群は、かなり多くの写真家たちによって発表されており、知らず知らずのうちに「見慣れた」眺めになってしまっていることも否定できない。だが、江成の愚直とさえいえそうな写真群は、二重の意味で大事な営みなのではないかと思う。ひとつは、彼がこれまで達成してきた日本と日本人の戦後を再検証する仕事の延長として、この「After the TSUNAMI 東日本大震災」を見ることができるということだ。『花嫁のアメリカ』(1981)、『シャオハイの満州』(1984)、『ヒロシマ万象』(2002)、『鬼哭の島』(2011)と続く彼のドキュメンタリーの仕事の系譜に、この作品も位置づけることができる。東日本大震災をこのような歴史的な視点で捉え直す作業は、これまであまりなかったのではないだろうか。もうひとつは、今回の写真群が6×6判という、どちらかといえば個人的、主観的な視線を感じさせるカメラで撮影されていることの意味である。あくまでも客観的な記録に徹しながら、江成常夫という写真家の自発的、能動的な撮影のあり方を、写真から感じとることができる。「After the TSUNAMI 東日本大震災」は、その意味で、とてもユニークな成り立ちの写真記録といえる。
なお、写真展にあわせて冬青社から同名の写真集が出版された。写真一点ごとに詳細な解説が付されており、その重厚な装丁・印刷が内容に見合っている。
2019/03/05(火)(飯沢耕太郎)