artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

石塚公昭「ピクトリアリズム展Ⅲ」

会期:2018/05/12~2018/05/25

青木画廊[東京都]

1957年、東京生まれの石塚公昭は、著名な文学者たちをモデルにした人形作家として活動しながら、それらを画面に配した写真作品を発表してきた。タイトルの「ピクトリアリズム」(pictorialism)というのは、19世紀から20世紀諸島にかけて流行した、絵画の構図やマチエールを写真で表現しようとする傾向である。石塚はこれまで、オイル印画法のような、その時代の古典技法を使った作品を主に制作してきたのだが、3回目の個展となる今回は「人物像の陰影を出さずに撮影し、画面に配した作品」を試みている。もともと、1850~60年代の「ピクトリアリズム」の草創期には、オスカー・G・レイランダーやヘンリー・P・ロビンソンのような作家が、複数のネガをひとつの画面に合成した「活人画」を思わせる作品を発表していた。今回の試みには、「ピクトリアリズム」の原点回帰という意味合いもありそうだ。

三島由紀夫の「潮騒」や「金閣寺」、江戸川乱歩の「黒蜥蜴」や「怪人二十面相」、三遊亭圓朝の「牡丹灯籠」、葛飾北斎の「蛸と海女」などに題材をとり、人形と実際の風景、あるいは石塚自身が描いた絵を合成して、幻想と現実が一体化した画面をつくり上げていく手際は見事なもので、高度に完成されている。カラープリントの色味を強調し、手漉和紙(阿波紙)にプリントする手法もうまくいっていた。27点の作品のなかには、文学作品や浮世絵の図像から離れて、石塚自身のイマジネーションを定着した「陰影のある作品」も含まれているが、それらもなかなか面白い。石塚の「ピクトリアリズム」の探求は、さらにさまざまな可能性を孕んで展開していきそうだ。

2018/05/22(火)(飯沢耕太郎)

内藤正敏「異界出現」

会期:2018/05/12~2018/07/16

東京都写真美術館[東京都]

内藤正敏が早稲田大学理工学部出身で応用化学を専攻し、倉敷レイヨン(現・クラレ)の研究室に一時勤めていたというのは、あまり知られていないのではないだろうか。彼の初期作品は、その関係もあって、高分子物質(ハイポリマー)の化学反応を利用して、SF的なイメージを創り上げたものだった。今回の全186点という回顧展の冒頭には、《黒い太陽》(1959)、《トキドロレン》(1962~63)、《白色矮星》(1963)といった、奇妙にユーモラスな怪物めいた生き物が跳梁する作品群が展示されていた。

ところが、2年以上かけた大作《コアセルベーション》を制作中の1963年に、山形県湯殿山麓、注連寺の鉄門海上人の即身仏(ミイラ)と出会い、衝撃を受けたことで、内藤の写真家としての方向性は大きく変わっていくことになる。即身仏信仰の背景となる歴史学や民俗学を研究し始め、「東北の民間信仰」を集中的に撮影することで、いわば理科系から文科系への転身が図られることになる。以後の内藤の、「婆バクハツ!」、「東京 都市の闇を幻視する」、「遠野物語」、「神々の異界」など、異界のドキュメントというべき仕事の展開は、今回の展示でしっかりとフォローされていた。

だが、本展を通して見てあらためて強く感じたのは、むしろ一見断絶しているように見える「初期作品」とそれ以後の作品とのあいだの共通性だった。闇の奥をストロボで照射し、「もう一つの世界」を浮かび上がらせようとする試みは、化学反応によって偶然生じてくる形象を印画紙上に定着しようとする行為の延長上にあったことを実感することができた。さらに驚きつつ、感動したのは展示の最後のパートに置かれていた《聖地》(1980)と題する作品である。2カ月ほど、食事の内容を吟味して理想の「ウンコ」を放り出し、谷川の岩の上に、その黄金色に輝く塊を置いたのだという。そこには、内藤正敏という写真家の陽性のエネルギーの塊が、見事に形を取っていた。

2018/05/18(金)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00044175.json s 10146562

橋本とし子「キチムは夜に飛ぶ」

会期:2018/05/15~2018/05/26

ふげん社[東京都]

印象的なタイトルは、作者の橋本とし子(1972年、栃木県生まれ)、の2歳の娘が、ある日押入れで遊んでいた時にふと口ずさんだ「キチム キチム キチムは よるに とぶ」という言葉に由来するのだという。「キチム」は「吉夢」に通じるが、もっと幻想的な生き物の名前のようでもある。橋本がここ10年余り、折りに触れて撮影してきたという写真をまとめたという今回の展覧会を見ていると、たしかにそこはかとなく「夢と現実が交錯する」気配が立ち上がってくるように感じる。

2人の娘の成長ぶりや、旅先で撮影された写真など、被写体の幅はかなり広い。だが、そこには一貫して日常から少しだけ遊離した時空に鋭敏に反応する視点がある。光、あるいは闇のほうに、少しずつ滲み出ていくようなプリントの調子もよくコントロールされていた。娘たちも10歳と2歳になり、子育てからやや解放されたということなので、今後はぜひコンスタントに作品を発表していってほしい。文学とも相性がいい、ユニークな作品世界が育っていきそうな気がする。

なお、東京・築地のふげん社での展示に合わせて、同名の写真集が刊行された。A4判変型のそれほど大きくない写真集だが、長尾敦子による、細部まできちんと目配りされた装丁・デザインによって、気持ちよくページをめくることができる。写真の大きさを微妙に変え、裁ち落としと余白を活かしたページをリズミカルに散りばめることで、橋本の写真の世界が的確に表現されていた。

2018/05/18(金)(飯沢耕太郎)

熊谷聖司「EACH LITTLE THING」

会期:2018/05/16~2018/06/10

POETIC SCAPE[東京都]

熊谷聖司の「EACH LITTLE THING」は、2011年から続いている写真シリーズで、これまで24ページの写真集を8冊刊行し、そのたびに展覧会を開催してきた。今回の展示は、写真集の「#9」と「#10」の刊行に合わせてのもので、これを一応の区切りとして同シリーズは完結するのだという。

熊谷は多彩な作風の持ち主だが、この「EACH LITTLE THING」シリーズは、彼の写真家としての体質に最もよく合致しているのではないだろうか。縦位置、カラーに限定したプリントは、現実世界の単純な再現ではなく、色味や質感を微妙にコントロールして制作されている。それらを組み合わせた写真集もまた、一冊一冊が高度に完成されていて、目を楽しませるとともに、「いま」の空気感を共有することができる。会場には、熊谷が写真集の構成を決めるためにプリントしたキャビネサイズの写真の束も、ケースに入れて展示してあった。そこから、デザイナーの高橋健介が最終的に写真をセレクトして並びを決めるのだという。今回の2冊でいえば、以前より女性を撮影した写真の比率が上がっているように思えるが、それはむしろ高橋の好みが反映されているのだろう。つまり、写真家とデザイナーの「共同作業」によって、風通しのよい開放感が加味されてくるということだ。

「EACH LITTLE THING」がこれで終わるのは、ちょっと残念な気がするが、熊谷はこれから先も、日常を俳句のような切れ味で軽やかにすくい取っていく写真を撮り続けていくはずだ。今回のファイナル展示は、10冊の写真集をもう一度きちんと見直す、いいきっかけになりそうだ。

2018/05/16(水)(飯沢耕太郎)

原直久「蜃気楼Ⅳ」

会期:2018/05/09~2018/07/07

PGI[東京都]

1946年、千葉県松戸市出身の原直久は、日本大学芸術学部写真学科の教授を務め、フランス、ドイツなどに長期滞在するなど、国際的な見識を備えた写真家として活動してきた。1970~80年代に制作された「蜃気楼」シリーズは、彼自身の「将来の目標を広告写真の世界から自然景観写真に転身させるきっかけになった」作品である。今回はその中から代表作25点が、日本では30年ぶりに展示された。

被写体になっているのは、「自宅から1時間余りで行ける距離にあった」九十九里浜、銚子岬の景観である。8×10インチの大判カメラの緻密な描写にもかかわらず、そこには海辺の広々とした風景に向き合い、画面におさめていく歓びがみなぎっている。特に注目すべきなのは、2枚のネガを左右反転させて重ね焼きした「シンメトリック蜃気楼」の連作である。それらの作品群が生まれたのは、たまたま「2枚のネガをひっくり返して見ると、突如砂浜からニンフのような不思議な生き物が現れたように」見えたのがきっかけだったという。その出来事は、8×10判カメラでの撮影が思うようにいかず、悩んでいた原にとって、あらためて写真表現の面白さに目を開かれる契機となった。

原は昨年、台北の台湾国立歴史博物館で、計165点の作品を展示する回顧展を開催した。その後の都市景観のシリーズや、近作のカラー作品を含む出品作の中で、観客の注目を一番集めたのはこの「蜃気楼」シリーズだったという。写真家としての長いキャリアを持つ原だが、やはり初期作品の初々しさ、みずみずしさには特別の魅力があるのではないだろうか。

2018/05/16(水)(飯沢耕太郎)