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写真に関するレビュー/プレビュー

TOP Collection アジェのインスピレーション ひきつがれる精神

会期:2017/12/02~2018/01/28

東京都写真美術館[東京都]

20世紀初めにパリの街角を撮り続けたウジェーヌ・アジェと、その写真が後世に与えた影響を探る展覧会。アジェのほか、マン・レイ、ベレニス・アボット、リー・フリードランダー、森山大道、荒木経惟らの作品が出ているが、なんてったって見ごたえがあるのはアジェだ。いってしまえばただのパリの街角を写した風景写真なのに、なんでこんなに見飽きないんだろう? たぶん、それがいまもほとんど変わらないパリの街角だからであり、また、建築の細部まで写し込まれているからであり、モノクロゆえに郷愁を呼び、想像力をかき立てるからでもあるだろう。もっと簡単にいうと、記録性、情報量、芸術性を兼ね備えているからだ。なんだ、写真の重要な要素ばかりじゃないか。後続の写真家に影響を与えたというのもうなずける。

さて、こうしてあらためてアジェの写真を見てひとつ気づいたのは、意外と人が写ってるということ。なんとなくアジェの写真はパリの無人の風景、つまり人のいない時間帯を狙って撮影したものだと思っていたが、そんなことはなさそうだ。彼は人の有無にかかわらず撮影したが、長時間露光のため人が消えたりぼんやりと写ってしまい、結果的に無機質の建築ばかり目立ち、人がいたことに気づかないのだ。なるほど、こういうのを「不動産写真」と呼んでみたい。今回はアジェの油絵も出ていて、これがなかなか興味深い。《(樹)》というタイトルどおり樹を描いているのだが、ふつう木らしさの出る枝葉を描くものなのに、彼は地面から幹が生えてる下のほうしか描かず、代わりに背景に下生えの低木を描いているのだ。アジェがなにを見ようとしていたかがうかがえる絵だと思う。

2018/01/12(金)(村田真)

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無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol. 14

会期:2017/12/02~2018/01/28

東京都写真美術館[東京都]

吉野英理香、金山貴宏、片山真理、鈴木のぞみ、武田慎平の5人展。この順に作品が展示されているが、見ていくうちに写真展から、写真も素材に採り入れた現代美術展へと趣を変えていく。そういえばタイトルも「日本の新進作家」であり、写真家に限定していない。金山は似たようなおばあさんばかり撮った見た目ふつうの写真だが、彼女らは統合失調症の母とその姉妹(作者からすれば叔母たち)。こういうきわめて私的な動機で撮った私的な写真を公表することには違和感を感じるが、その違和感がこの作品をふつうの写真から遠ざけている。片山はセルフポートレート写真を中心に、手づくりのオブジェやコラージュで構成したインスタレーションで、5人のなかでいちばん目立っている(浮いているというべきか)。本人はセルフポートレートを撮ってる自覚も、写真作品を制作しているつもりもないそうだ。窓や鏡にピンホールカメラの手法で外の風景を焼きつけた鈴木は、写真の原理を問い直そうとしているように見えるが、むしろ絵画の延長と捉えたほうがわかりやすい。窓も鏡も写真のメタファーである以前に絵画のメタファーだった。武田も印画紙に放射性物質を含む土を被せて感光させる点で、写真の原理に遡ろうとしているようだが、そのイメージはもっとも写真から遠く、科学的な実験データでも見せられているようなおもしろさがある。

2018/01/12(金)(村田真)

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民俗写真の巨匠 芳賀日出男 伝えるべきもの、守るべきもの

会期:2018/01/04~2018/03/31

フジフイルムスクエア 写真歴史博物館[東京都]

1921年生まれの芳賀日出男は現役最長老の写真家のひとりである。ここ数年、足が弱って車椅子が必要になったが、創作意欲にまったく衰えは見られない。1950年代以来、民俗写真一筋で歩み続けてきたその芳賀の代表作が、フジフイルムスクエア 写真歴史博物館で展示された。

「祭礼」、「人生儀礼」、「稲作」の三部構成、29点の作品を見ると、芳賀の眼差しのあり方がくっきりと見えてくる。その基本となっているのは、あくまでも民俗学の資料としての写真記録に徹する姿勢で、これ見よがしの主観的な解釈や、祭礼の場を乱すような行為は注意深く遠ざけられている。その結果として、芳賀の写真には祭事や儀礼の細部が、それに参加する人々の表情や身振りも含めてきちんと写り込んでおり、資料的な価値がきわめて高い。だが、それが無味乾燥な記録であるのかといえばけっしてそうではなく、そこにはその場所に身を置いているという彼自身の感動がいきいきと脈打っており、その波動がしっかりと伝わってくる。冷静な記録者としての姿勢と、祭りそのものに没入することの歓びとが共存しているのが、芳賀の民俗写真の最大の魅力といえるだろう。

それにしても、ここに写っている祭事や儀礼は、いまやほとんど行なわれなくなっているか、形骸化してしまったのではないだろうか。日本人の暮らしが根本的に変わったといえばそれまでだが、もしかすると、どこかに別なかたちで再生している可能性もある。つまり芳賀の後継者が必要なわけで、民俗写真のジャンルにも新風を吹き込んでいく必要がありそうだ。

2018/01/09(金)(飯沢耕太郎)

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上田義彦「林檎の木」

会期:2017/12/02~2018/01/13

小山登美男ギャラリー[東京都]

上田義彦は2013年11月に写真コンペの審査のために群馬県川場村を訪れた。そのとき、たまたま車中から見た林檎の木に強く惹かれ、あらためて同じ季節に再訪して撮影したのが、今回発表された「林檎の木」のシリーズである。

上田はむろん、たわわに実る赤い林檎の生命力の充溢に魅せられてシャッターを切っているのだが、作品化する時にひとつの操作を加えている。それは、8×10インチ(約200×250ミリ)サイズの大判カメラで撮影した画像を、68×87ミリに縮小してプリントしているということだ。普通、大判カメラの画像は、逆に大きく引き伸ばして展示することが多い。大判カメラは、大伸ばしに耐える緻密な描写力を得るために使われることが多いからだ。そう考えると、上田の今回の試みはかなり大胆な実験といえる。それは結果的には成功したのではないだろうか。4分の1ほどの大きさに「縮んだ」画像は、近くに寄って眼を凝らさないとよく見えない。上田の言う「親密な距離」が確保されることで、より注意深い観察が要求され、画像のボケや色味の微妙な変化に細やかに配慮したプリントワークのプロセスもしっかりと伝わってきた。

上田は今回の作品に見られるように、自らの身体的、心理的な体験を、写真という媒体でどのように伝達するかということについて、つねに意識し、実践し続けてきた写真家である。そのやや過剰な表現意識は、ときに空転することもあるのだが、今回はテーマと手法とがとてもうまく結びついて、地に足がついた表現として開花していた。

2018/01/09(火)(飯沢耕太郎)

6人の星座 ニコンサロン50周年記念 ニコン・コレクション展

会期:2018/01/05~2018/01/23

銀座ニコンサロン[東京都]

1968年に東京・銀座に開設されたニコンサロンは、数あるメーカー系のギャラリーのなかでも強い存在感を発し続けてきた。基本的には展示専門のスペースなのだが、1976年に伊奈信男賞(その年にニコンサロンで開催された最優秀の展覧会を顕彰)が新設されたのをひとつのきっかけとして、写真収集にも力を入れるようになった。今回のニコンサロン開設50周年を記念する「6人の星座」展では、そのニコンサロンのコレクションの中から選抜して、山村雅昭、深瀬昌久、平敷兼七、鈴木清、田原桂一、山崎博の6人の作品、33点が展示された。

数はそれほど多くないが、会場は張り詰めた空気感に満たされ、それぞれの写真が発する“気”のようなものがしっかりと伝わる素晴らしい展示になった。6人の写真家たちは、一般的にいえばそれほど著名ではないし、日本の写真表現のメインストリームをというわけでもない。だが、作風はそれぞれ違うものの、自らの生と写真家としての営みを見事に合致させ、深みのある作品世界を形成してきた作家たちである。つまり、自分の視点と方法論をきちんと確立した写真家たちということで、一人ひとりの視座が互いに結びついて、ひと回り大きな「星座」として成立しているところに今回の展覧会の見所がある。「日本写真」のエッセンスというべき展示を、今年の初めに見ることができたのはとてもよかった。

ニコンサロンのコレクションを活かした展示は、ほかのかたちでも十分に考えられそうだ。沖縄に根づいて活動を続けた平敷兼七の作品など、もっと別な枠でも見てみたい。なお、本展は2月1日~2月14日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2018/01/05(金)(飯沢耕太郎)