artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
フォトフォビア アピチャッポン・ウィーラセタクン個展
会期:2014/06/14~2014/07/27
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]
タイを拠点に活動する美術家で映画監督のアピチャッポン・ウィーラセタクン。彼の、映像、写真、絵画など約40点が展示された。主たる出品作品は映像で、日記的な小品から上映時間約20分の大作まで、さまざまな作品が見られる。多くの作品に共通するのは、彼が住むタイ東北部の風土、習俗、伝承をベースにしていることと、論理的なストーリー展開を半ば意図的に無視していること、現実の社会問題を想起させるイメージも挟み込まれるが、決してジャーナリスティックではないこと、などである。つまり、現実と夢の境界を写し出したかのような映像世界であり、その流れに身を浸すような鑑賞態度が求められるということだ。筆者のお気に入りは《ASHES.》という上映時間約21分の長尺作品。作品を見るうちに一種の喪失感に包まれ、深い感慨を覚えた。
2014/06/17(火)(小吹隆文)
オサム・ジェームス・中川「GAMA CAVES」
会期:2014/06/06~2014/07/19
フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]
1962年にアメリカ、ニューヨークに生まれ、日本で幼少期を過ごし、テキサス州ヒューストン大学で写真を学ぶ。この経歴を見ると、オサム・ジェームス・中川が、写真を通じて「日本とアメリカという二つの国にまたがる自身のアイデンティティ」を探求する方向に進んだのは当然といえるだろう。長くアメリカ軍の統治下にあった沖縄は、彼が結婚した女性の出身地でもあった。
2000年代以降、中川は「バンタ」と称される海に面した崖を撮影し始める。「バンタ」の崖下やその周囲には「ガマ」と呼ばれる洞窟が口をあけていた。「ガマ」は宗教儀式がおこなわれる聖地であるとともに、第二次世界大戦末期に沖縄の住人たちが戦禍を逃れて身を寄せた場所でもあった。中川はその「沖縄の霊魂、祖先、歴史、記憶が宿る神聖な場所」を、懐中電灯で照らし出しながら、長時間露光で撮影していった。今回フォト・ギャラリー・インターナショナルで展示されたのは、昨年、写真集『GAMA CAVES』(赤々舎)として刊行されたこのシリーズから抜粋された作品である。
中川の仕事は、風景のディテールへの異様なほどのこだわりによって特徴づけられる。「GAMA CAVES」でも、闇の中から浮かびあがってくる洞窟の内壁の湿り気を帯びた凹凸が、恐るべき吸引力で眼をとらえて離さない。陶器やガラスのかけら、骨片、貝殻、布のようなものなど、洞窟内での暮らしの痕跡もまた克明にとらえられ、その総体が重い「問いかけ」として見る者に迫ってくる。静かだが力強い作品群だ。
なお、同時期に東京・中野の写大ギャラリーでも「沖縄─GAMA/ BANTA/ REMAINS」展が開催された(6月2日~8月3日)。「GAMA」、「 BANTA」の両シリーズに、沖縄の戦跡を撮影した「REMAINS」を加えた展示である。
2014/06/11(水)(飯沢耕太郎)
荒木経惟「往生写集──顔・空景・道」
会期:2014/04/22~2014/06/29
豊田市美術館[愛知県]
この欄でも荒木経惟の凄さについて何度も書いてきたのだが、豊田市美術館の「往生写集──顔・空景・道」を見て、今さらながら感嘆せずにはおれなかった。もちろん、いい仕事をしている写真家はたくさんいる。だが、写真家という存在のあり方を、荒木ほど全身全霊で全うし続けている写真家は他にいないのではないだろうか。
展示は2部に分かれていて、1963年の「さっちんとマー坊」から99年の「Aの楽園(チロ)」に至る第1部「顔・空景」の作品群は、ほぼ回顧展的な構成である。「地下鉄72」(1972年)、「裔像」(1978年)、「富山の女性」(2000年)など、これまで美術館での展覧会にはあまり出品されてこなかったシリーズも含まれているが、作品の選択、展示の仕方に意外性はほとんどない。
問題はむしろ第2部の「道」である。こちらは新作が中心なのだが、これまでの「荒木世界」を打ち壊し、再構築していくエネルギーの凄みに圧倒された。「遺作 空2」(2009年)、「チロ愛死」(2010年)など既発表の作品もあるが、2013年撮影の新作「道路」と「8月」は、表現者・荒木経惟の底力をまざまざと見せつける傑作である。新居から見下ろした路上を定点観測的に撮影した「道路」を見ていると、身近な光景が彼岸からの眺めのように見えてきて背筋が寒くなる。「8月」は金槌でカメラのレンズを叩き割って撮影した写真群。「フクシマを引きずって、フクシマがあったから、どうしてもどうしても素直に撮れない。だからレンズをぶっ壊す。ぶっ壊してそれで撮る」ということでできあがった作品だ。
前立腺癌の手術、右目の失明といった事態を受け入れつつ乗り切ることで、荒木の創作エネルギーはふたたび高揚期を迎えつつあるのではないだろうか。夏から秋にかけて、同じく「往生写集」のタイトルで開催される資生堂ギャラリー「東ノ空・P(鏡文字)ARADISE」、新潟市美術館「愛ノ旅」の展示も楽しみだ。
2014/06/10(火)(飯沢耕太郎)
荒木経惟「左眼ノ恋」
会期:2014/05/25~2014/06/21
Taka Ishii Gallery[東京都]
一時、体調が悪くなり、作家活動が続けられるかどうか危ぶまれた荒木経惟だが、予想していた通りしぶとく復活してきた。74歳の誕生日にスタートした今回の「左眼ノ恋」展でも、さまざまな工夫を凝らして健在ぶりを強く印象づけている。
「左眼ノ恋」の英語タイトルは「Love on the Left Eye」。これはむろん、オランダのエド・ファン・デル・エルスケンの名作写真集『Love on the Left Bank(セーヌ左岸の恋)』(1956年)のもじりである。荒木は昨年10月に、網膜中心動脈閉塞症という病で右眼の視力を失った。そんな非常事態すらも、作家活動に取り込んでしまうのが荒木の真骨頂で、今回の作品ではカラーフィルムの右半分を黒マジックで塗りつぶして、「左眼ノ恋」と洒落のめして見せたのだ。本来はおさまりのいい構図だったはずの「恋人(こいじん)」のKaoriのヌードや街の情景、カメラを構えるセルフポートレートなどが、黒のパートに侵食されることで、不安定な揺らぎを抱え込むことになる。さらに黒塗りの一部にひび割れが生じたり、塗り残されていたりして、画像の一部がちらちらと見える。想像力を喚起するそのあたりの効果も計算済みということだろう。
今年は豊田市美術館の「往生写集──顔・空景・道」をはじめとして、国内外の数カ所で新作の展示が予定されている。いかにも荒木らしい実験意欲が、まったく衰えていないことがよくわかった。
2014/06/07(土)(飯沢耕太郎)
小原真史・野部博子編『増山たづ子 すべて写真になる日まで』
発行所:IZU PHOTO MUSEUM
発行日:2014年5月9日
2013年10月にスタートし、2014年7月27日まで延長が決まったIZU PHOTO MUSEUMの「増山たづ子 すべて写真になる日まで」展は、じわじわと多くの観客の心を捉えつつある。巨大ダムの建設によって水底に沈んだ岐阜県徳山村で、1977年から10万カットに及ぶという膨大な記録写真を残した増山たづ子の仕事は、写真の撮影と受容の最もベーシックで普遍的なあり方を指し示しているように思えるのだ。
その展覧会のカタログを兼ねた写真集が、ようやくIZU PHOTO MUSEUMから刊行された。2006年に亡くなった増山は、生前に『故郷─私の徳山村写真日記』(じゃこめてい出版、1983年)をはじめとして、4冊の写真文集を刊行している。だが、今回の小原真史・野部博子編の写真集は、その仕事の全般に丁寧に目配りしているとともに、資料・年譜なども充実した決定版といえる。ページをめくっていると、「徳山村のカメラばあちゃん」の行動が巻き起こした波紋が、多くの人たちを巻き込みながら、さまざまな形で広がっていく様子が浮かびあがってくる。
巻末におさめられた「増山たづ子の遺志を継ぐ館」代表の野部博子の文章を読んで、増山の写真の強力な喚起力、伝達力の秘密の一端が見えた気がした。増山は写真を撮り続けながら、昔話の語り部としても抜群の記憶力と表現力を発揮していた。彼女が語る昔話の特徴の一つは「固有名詞が挿入されること」だという。普通は特定の場所、時間、名前抜きで語られることが多いにもかかわらず、彼女の話は「身近な所の話として語りはじめ、さらに地名、人名を入れて語っている」のだ。これはまさに増山の写真とも共通しているのではないだろうか。徳山村の顔見知りの人たち、見慣れた風景、毎年繰り返される行事に倦むことなくカメラを向けることによって、彼女はそこに起った出来事すべてを、「固有名詞」化して記憶し続けようとしたのだ。
2014/06/06(金)(飯沢耕太郎)