artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
東北──風土・人・くらし
会期:2014/04/19~2014/05/18
福島県立博物館[福島県]
国際交流基金の企画で、2012年3月から中国、フィリピン、イタリア、アメリカ、カナダなど世界の24都市を巡回し、今後40都市以上を回る予定の「東北──風土・人・くらし」展が、ようやく日本で公開されることになった。しかもそれが福島県会津若松市で開催されることは、キュレーションを担当した僕にとっても嬉しいことだ。もともと本展は、東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の「風土・人・くらし」を、日本人写真家の作品を通じて紹介することを目的とするものであり、今回はいわば「里帰り」と言うべき展示になったからだ。
出品作家は千葉禎介、小島一郎、芳賀日出男、内藤正敏、大島洋、林明輝、田附勝、仙台コレクション(伊藤トオルをリーダーとする仙台在住の写真家集団)、津田直、畠山直哉の9人+1組。1940~50年代の秋田の農村地帯を細やかに撮影した千葉から、岩手県陸前高田市を流れる気仙川の流域をプライヴェートな視点で記録し続けた畠山まで、年代、作風ともにかなり幅広い作品を選んでいる。それは東北を一枚岩ではなく、多様な視点から浮かび上がらせたいという思いの表われでもある。
もうひとつ、キュレーションにあたって強く意識したのは、4月19日に開催された、福島県立博物館館長の赤坂憲雄、出品作家のひとりである田附勝と筆者による鼎談のテーマでもあった「縄文の再生」ということだった。東北地方には、まさに日本文化の古層と言うべき縄文時代の精神が、色濃く息づいている。それらが写真家たちの作品のなかにどのように投影されているかを、しっかりと確認しておきたかったのだ。「震災後」の社会・文化を考えるときに、縄文時代の「くらし」のあり方を再考することは、大きな意味を持つのではないだろうか。
なお本展は、5月24日~6月22日に岩手県遠野市の遠野文化研究センターに巡回する。柳田國男『遠野物語』の所縁の地で、どのように受け入れられるかが楽しみだ。
2014/04/19(土)(飯沢耕太郎)
第2回 KYOTOGRAPHIE 国際写真フェスティバル
会期:2014/04/19~2014/05/11
京都文化博物館別館、京都駅ビル7階東広場、龍谷大学大宮学舎本館、ASPHODEL、誉田屋源兵衛 黒蔵、虎屋京都ギャラリー、無名舎、下鴨神社細殿、嶋臺ギャラリー、有斐斎 弘道館、アンスティチュ・フランセ関西、京都芸術センター、無鄰菴、村上重ビル、鍵善寮[京都府]
京都市内の歴史ある町家や近代洋風建築、神社、現代建築などを舞台に行なわれている大規模写真展。2回目の今年は、15カ所を会場に9カ国のアーティストが参加した。今年のテーマは「Our Environments 私たちを取り巻く環境」で、天体、動物、自然環境、都市、原発、ファッション、1950年代の日本、1960年代以降の日本の写真集などバラエティーに富む作品が展示されている。本展の魅力は作品と会場に大別されるが、作品では、高谷史郎がNASA撮影の火星の地表画像をもとにつくり上げた巨大映像、西野壮平が数千から数万のベタ焼き写真をコラージュしてつくり上げた世界9都市の鳥瞰図、ティム・フラックによる動物たちの肖像写真、広川泰士が1991~93年に制作した日本各地の原発を撮影したシリーズなどが、会場では、普段は入れない龍谷大学大宮学舎本館、下鴨神社細殿や、京町家(商家)の無名舎、誉田屋源兵衛などが印象的だった。市内を巡り、良質な写真作品を堪能しながら京都の建築遺産も味わえるのがKYOTOGRAPHIEの魅力だが、主催者の意図は十分に達せられていたと思う。また、昨年の第1回に比べて広報展開が充実していたのも特筆に値する。主催者(日仏混成チーム)の手腕は評価されるべきであろう。なお、KYOTOGRAPHIEの会期中にサテライトイベント「KG+」も同時開催中。両方を合わせると市内60カ所以上で写真展が行なわれている。
2014/04/18(金)(小吹隆文)
菱田雄介『2011』
発行所:VNC
発行日:2014/03/08
菱田雄介は2011年3月22日、東日本大震災発生から12日目に被災地に入った。気仙沼の中学校の10日遅れの卒業式や、被害が大きかった石巻門脇地区の状況などを撮影し、その10日後に手づくり写真集『hope / TOHOKU』を完成させる。たまたま渋谷の書店でそのうちの一冊を手にした筆者は、彼が「撮らなければならない」という衝動に突き動かされつつ、あくまで冷静に自問自答を重ねて、これほど早い時期にしっかりとした写真集をまとめ上げていることに衝撃を受けた。それらの写真群は、僕自身が書き綴っていた文章と併せて、のちに共著『アフターマス 震災後の写真』(NTT出版、2011)として刊行されることになる。
だが菱田はこの時期、震災の写真だけを撮影していたわけではない。すでに数年前から、テレビディレクターとしての忙しい仕事の合間を縫って海外取材を積み重ねていたのだが、その頻度と集中力がこの年には異様なほど高まってくるのだ。本書はその彼の『2011年』の行動の軌跡を、文章と写真とでもう一度振り返った600ページを超える大著である。1月のチェルノブイリ取材から始まって、北朝鮮と韓国で同じような状況の人物たちを対比して撮影する「border/korea」のシリーズのために何度か両国に入り、大洪水を撮影するためタイを、「アラブの春」の取材のためにチュニジアを訪れるなど、なんとも凄まじいスケジュールをこなしている。
そうやって見えてきたのは、2011年こそ「振り返ってみれば、あれが転換点だったと思える年」だったのではないかということだ。この認識が正しいのか間違っているのかは、もう少し時が経たないとわからないだろう。だが、菱田のまさに体を張った思考と実践の集積を目にすると、そのことが強い説得力を持って伝わってくる気がする。
歯切れのいい文章で一気に読ませるが、巻末に32ページにわたって掲載された写真に、菱田の写真家としての能力の高さがよく表われていると思う。決して押しつけることなく、だが何かを強く語りかけてくる写真群だ。
2014/04/11(金)(飯沢耕太郎)
高橋宗正『津波、写真、それから──LOST&FOUND PROJECT』
発行所:赤々舎
発行日:2014/02/14
東日本大震災以後に、津波によって家々から流出した写真やアルバムを拾い集めて洗浄し、修復したり、複写・プリントしたりするというプロジェクトが、各地で一斉に立ち上がった。写真を一カ所にまとめて公開し、元の持ち主がそれらを見つけたら返却する。宮城県山元町でも、2011年5月にボランティアを募って「思い出サルベージ」という企画がスタートした。
その過程で、中心メンバーのひとりだった高橋宗正は、ダメージがひど過ぎて、修復も持ち主の同定もほぼ不可能な写真を展示・公開することを思いつく。震災の記憶の共有と、仮設住宅の自治会の資金集めが主な目的だった。「LOST & FOUND PROJECT」と名づけられたその展示は、2012年1月から開始され、東京、北海道など国内だけでなく、アメリカ、オーストラリア、イタリアなどでも展覧会が実現した。その一連の経過をまとめたのが、『津波、写真、それから』である。
ボランティアたちの善意は疑えないし、中心となって活動した高橋も「写真とは何か?」を問い直すうえで、多くのことを学んだはずだ。ただ、一読してやや疑問が残ったこともある。ひとつは、ほとんど画像の判別がつかなくても、特定の地域の誰かの所有物だった写真を、国内外の不特定多数の観客に公開していいのかということ。もうひとつは、このプロジェクトを通じて、写真が「作品化」しつつあることへの懸念だ。写真を壁一面に貼り巡らせたインスタレーションの迫力は圧倒的だが、どこか現代美術作品の展示のようでもある。本人は充分に自覚しているとは思うが、「高橋宗正の作品」としてひとり歩きしかねないようにも見えてしまう。
そのあたりの危うさを含み込んだうえで、「LOST & FOUND PROJECT」が「震災以後の写真」のあり方に一石を投じるプロジェクトだったことは間違いない。そのことは積極的に評価したい。
2014/04/10(木)(飯沢耕太郎)
カンディダ・ヘイファー
会期:2014/03/07~2014/05/10
YUKA TSURUNO GALLERY[東京都]
1944年、ドイツ・ケルン生まれのカンディダ・ヘイファーは、いわゆるベッヒャー派の代表作家のひとり。同じくデュッセルドルフ芸術大学でベルント&ヒラ・ベッヒャーの教えを受けたトーマス・ルフやトーマス・シュトルートと比較しても、その厳密なスタイルをもっとも正統的に受け継いでいる写真家だ。YUKA TSURUNO GALLERYでの個展は、その彼女の作品の、日本では初めてのまとまった紹介になる。I.8×2メートルを超える作品を含む大作7点が展示されていた。
ヘイファーの写真の主なテーマは、図書館、美術館、動物園、駅、銀行などの公共建築物である。それらの内部空間を、遠近法的なパースペクティブを強調して大判カメラで撮影する。こうして見ると、ヨーロッパの建築のスケールは、われわれ日本人にとっては威圧的であり、あまりにも壮麗過ぎて馴染めないものを感じる。ヘイファーにとっては、そのような建築によって培われた空間意識が、写真家としての画面構成の基本になっているわけで、これだけ落差が大き過ぎるとむしろ快感さえ覚えてしまう。もうひとつ気づいたのは、彼女の写真に写り込んでいる光源の扱い方で、建築物の細部を緻密に描写しているために、白っぽく飛んでいることが多い。それが逆に、一見絵画的に見えがちなヘイファーの写真に、生々しさ(ライブ感)を与えているのではないだろうか。
昨年のアンドレアス・グルスキーに続いて、ベッヒャー派の写真家たちの個展が続くのはありがたいが、そろそろベッヒャー夫妻の作品を含む決定版の展覧会を企画してほしいものだ。
2014/04/09(水)(飯沢耕太郎)