artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
カワトウ写真展「京阪神フロンティアザッピング」
会期:2014/03/17~2014/03/29
Port Gallery T[大阪府]
京阪神の空き地を渉猟し、タイポロジーよろしく同一条件で撮影し続けているカワトウ。本展では、1点を除きすべて同一サイズの縦位置写真約390点でギャラリーの壁面を埋めた。彼の作品の魅力は何だろう。都会の一角にぽっかりと空いた空き地を通して、現代社会を掘り下げる、建築史を語るなど、いろいろなアプローチができそうだ。ちなみに筆者が興味を持ったのは、よそ行きではない都会の素顔(すっぴん)が見える点。特に住宅地では、表通りからは窺えない家屋の裏側が露わになる。整理整頓が行き届いた家もあるが、なかにはお世辞にも綺麗とは言えない家も。その油断した風情が愛おしい。
2014/03/17(月)(小吹隆文)
カタログ&ブックス│2014年3月
展覧会カタログ、アートにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
藤田嗣治画集「巴里」「異郷」「追憶」(全3巻)
日本を代表する国際的な画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ/1886〜1968)の多面的で多層的な画業を「巴里」「異郷」「追憶」という三つのテーマ、3巻で概観。藤田嗣治の画業をたどる上で欠かせない「基準作」となる作品を厳選し、美麗な図版で紹介するとともに、第一線の研究者による最新の研究成果に基づくテキストで、作品の内容と制作の背景などについて詳細に解説します。[小学館サイトより]
亜洲狂詩曲 アジアンラプソディ
誰もいない東京を撮ったベストセラー写真集『TOKYO NOBODY』、木村伊兵衛写真賞の受賞作『東京窓景』など話題となる作品集を発表し続ける中野正貴が、35年にわたって撮りためていた「アジア」をまとめた、約5年ぶりとなる写真集。
「縦文字と横文字が混在する重層な文化を持つアジアの日常の様々な断片をシャッフルして、アジアというひとつの国を構築してみた。複数の楽曲を自由に構成して仕上げる狂詩曲(ラプソディ)のように」[本書帯より]
没後50年 上田宇三郎展─もうひとつの時間へ─
2013年12月18日〜2014年2月26日まで、福岡市美術館にて開催された「没後50年 上田宇三郎展─もうひとつの時間へ─」図録。全出品作品をカラー図版で掲載。作品解説や学芸員によるエッセイのほか、宇三郎の日記を掲載したCD付き。
想像しなおし In Search of Critical Imagination 展覧会図録
2014年1月5日〜2月23日まで、福岡詩美術館にて開催された「想像しなおし In Search of Critical Imagination」展カタログ。
テッサ・モーリス=スズキ「世界を再想像する」 (書き下ろしエッセイ)、本展企画者・正路佐知子[福岡市美術館]によるエッセイ、展覧会風景、出品作品のカラー写真(撮影:山中慎太郎)などを収録。[展覧会サイトより]
2014/03/17(月)(artscape編集部)
ex.resist vol.2
会期:2014/03/14~2014/03/23
Galaxy-銀河系[東京都]
resist写真塾は吉永マサユキを塾長に2006年にスタートした。毎回、特別講師の森山大道をはじめとするゲスト講師を迎え、定員20名で作品講評と写真集制作を中心とした授業を行なっている。本展はその修了生によるグループ展で、大谷次郎、奥田敦史、川本健司、竹内弘真、谷本恵、星玄人の6人が参加した。
「時流に乗らず、短期的な結果を追い求めず、技巧手法のごまかしもしない。周りに惑わされることなく、自分がこれと決めた対象に向き合い続ける」という塾の方針をストレートに受けとめた作品群は、気魄と意欲にあふれたものばかりだ。スナップ写真特有の直接的な身体性を、これほど生真面目に追い求めている集団はほかにないのではないだろうか。ただ、スタートから9年経って、8期にわたって修了生を出し続けてくると、そろそろその直球勝負の表現のあり方が、スタイルとして固定しかけているのではないかと思ってしまう。吉永マサユキや森山大道の手法を後追いし続けた結果、彼らの「縮小再生産」になりつつあるのではないかと懸念するのだ。
たとえば、出品者のひとりの星玄人は、東京・新宿のサードディストリクトギャラリーでも発表を重ねている写真家で、本点の出品作である「大阪西成」も、不穏な気配が全面に漂う力作だ。だが、その彼の写真が、ほかの写真家たちの作品と同化し、むしろパワーダウンしているように感じられた。もうそろそろ、resistという枠組そのものを、流動的に解体していく時期にきているのではないだろうか。
2014/03/15(土)(飯沢耕太郎)
ハイレッド・センター:「直接行動」の軌跡展
会期:2014/02/11~2014/03/23
渋谷区立松濤美術館[東京都]
高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之が1963年5月に開催した「第5次ミキサー計画」に際して結成され、公式的には1964年10月の「首都圏清掃整理促進運動」まで継続したアート・パフォーマンス・グループ、ハイレッド・センター(Hi-Red Center、以下HRC)。本展は多くの作品・資料を通じて、その全貌と正体を詳らかにしようとする意欲的な企画である。
ここでは、HRCと写真メディアについてあらためて考えてみることにしよう。彼らの代表作のひとつである帝国ホテルを舞台とした「シェルター計画」(1964年1月)では、来客を前後左右、上下から撮影したり、赤瀬川原平の「模型千円札」では、本物の千円札を写真製版で印刷したりするなど、HRCは積極的に写真を作品に取り込もうとしていた。だが、より重要なのは、彼らのメインの活動というべき「直接行動」(パフォーマンス)が、写真なしでは成り立たなかったということである。ロープを至るところに張り巡らせたり、ビルの屋上からさまざまな物体を落下させたり(「ドロッピング・ショー」1064年10月)、都内各地の舗道などを雑巾で「清掃」したりする彼らの活動は、そもそも一過性のものであり、写真を撮影しておかないかぎりは雲散霧消してしまう。パフォーミング・アートの記録の手段として、写真は大きな意味を持っているが、HRCにおいてはまさに決定的な役割を果たしたと言えるだろう。
その意味では、記録者(写真家)の存在も大きくなるわけで、「ドロッピング・ショー」や「首都圏清掃整理促進運動」を撮影した平田実の写真などは、その写真家としての能力の高さによって、単純な記録を超えた価値を持ち始めていると思う。もしもこれらの写真が存在せず、作品とテキストだけの展示だったとしたなら、HRCの活動の面白さはほとんど伝わらないのではないだろうか。何よりも写真によって、彼らの活動のバックグラウンドとなった1960年代の空気感が、いきいきと伝わってくるのが大きい。
2014/03/15(土)(飯沢耕太郎)
黒部と槍 冠松次郎と穂苅三寿雄
会期:2014/03/04~2014/05/06
東京都写真美術館 2階展示室[東京都]
筆者は長野県安曇野市の田淵行男記念館が主催する「田淵行男賞」の審査員を務めている。優れた自然写真の作者に与えられるその賞の審査のたびに話題になるのは、「山岳写真にいい作品がない」ということだ。動物や鳥、昆虫などを撮影する「ネイチャー・フォト」の隆盛と比較すると、たしかに山岳写真は応募者も少なく、作品も活気に乏しい。これまでの日本の山岳写真の輝かしい伝統を考えると、やや寂しい気もしないわけではない。山岳写真の題材が撮られ尽くしたということもあるかもしれないが、それ以上に写真家たちの被写体を前にした感動が薄れているのではないかと思う。今回日本の山岳写真のパイオニアと言える冠松次郎(1883~1970)と穂苅三寿雄(1891~1966)の代表作を集成した展示を見て、あらためてそのことを強く感じた。
秘境・黒部渓谷を克明に探索・撮影した冠の写真も、槍沢で山小屋を運営しつつ槍ヶ岳を中心とする北アルプス一帯を撮影し続けた穂苅の写真も、現在とは比較にならないほどの困難な条件で生み出されたものだ。重たい組立暗箱やガラス乾板、三脚などの機材を担ぎ上げるだけでも大変な難業だったはずだ。だからこそ、目の前に初めて見るような荘厳な景観が開けてきたときの歓びと感動もまた、大きかったのではないだろうか。彼らの写真にはそれがはっきりと写り込んでいる。多くの写真に、これも現在とはまったく違う服装や装備の登山者たちの姿が写っているのも面白い。まさに彼らの写真の仕事を「原点」として、新たな山岳写真の方向性を模索するべきではないだろうか。
2014/03/12(水)(飯沢耕太郎)