artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
ラルフ・ギブソン「1960-」
会期:2012/07/20~2012/09/08
Gallery 916[東京都]
世界的に評価が高く、重要な仕事をしているにもかかわらず、日本ではほとんど紹介されたことのない写真家が何人かいるが、1939年アメリカ・ロサンゼルス生まれのラルフ・ギブソン(Ralph Gibson)もそのひとりだ。彼が自分で立ち上げた出版社、Lustrum Pressから刊行した『Somnambulist』(1970)、『DEJA-VU』(1973)、『DAYS AT SEA』(1975)の三部作は、写真家たちの関心が社会的、客観的なドキュメンタリーから、個人的、内面的なプラーヴェート・フォトへと転換していった時期の表現のあり方を代表するものと言える。
そういえば田村彰英の「BASE」もまた、ほぼ同時期の社会的視点から個人的視点への転換を体現している作品群だ。だが、その肌合いはかなり違っていて、即物的でメカニカルな田村の作品と比較すると、ギブソンの写真の世界はより文学的で、謎めいている。中心となる被写体をクローズアップする手法を多用した画面構成が、その印象をより強めているようだ。彼の発想の基本にシュルレアリスムの影響があるのは明らかであり、ヌードへのこだわりも含めてマン・レイの正統的な後継者と言えるのではないだろうか。
三部作を中心に代表作58点を展示した今回の個展は、おそらく日本で最初のギブソンの本格的な紹介だろう。1962年にドロシア・ラングの助手をつとめていた時代の、珍しいドキュメンタリー・スタイルのプリントや、1990年代以降のカラー作品まで含まれており、ギブソンの写真の世界を概観する貴重な機会になっている。ただ、会場には作品のタイトルや年代の表記がなく、やや素っ気ない印象を受ける。もう少し丁寧に噛み砕いた、キャプションやテキストがあってもよかったのではないだろうか。
2012/08/03(金)(飯沢耕太郎)
田村彰英「夢の光」
会期:2011/07/21~2012/09/23
東京都写真美術館 2階展示室[東京都]
田村彰英は写真の旨味をよく知っている写真家だ。被写体を見つけだす鋭敏なアンテナを備え、それを的確な、だが時に思いがけない手法とテクニックで作品に落とし込んでいく。けっして派手な印象を与える作家ではないが、そのいぶし銀の作品は高度に練り上げられ、玄人筋を唸らせる魅力を発している。そんな田村の1960年代後半以来の代表作、115点を一堂に会する今回の展示を楽しみにしていた写真ファンも多いのではないだろうか。
1960~70年代前半にかけて、米軍基地をどこか抒情的なブレや揺らぎの効果を活かして撮影した「BASE」(1966~70)から始まり、初期の代表作と言える定点観測写真のシリーズ「家」(1967~68)と「道」(1976~81)、田村のスタイルを確立した「午後」(1969~81)、4×5インチ判のカメラでややズラして撮影した2枚の写真を組み合わせた意欲作「湾岸」(1983~92)、8×10インチ判カメラによる哀感のこもった東京の下町のシリーズ「赤陽」(1996~97)、折りに触れて撮影した非日常的な光景のコレクション「名もなき風景のために」(1977~2011)、そして再び新作の「BASE 2005-2012」に回帰する展示構成は見事というしかない。観客は会場を巡るうちに、田村とともにじっくりと写真の旨味を味わうことができるはずだ。
彼の意欲がまったく衰えていないことは、メカニックな米軍戦闘機をまるで少年のようなまなざしで見つめ返す「BASE 2005-2012」(映像作品も含む)だけでなく、「名もなき風景のために」のパートに展示された、東日本大震災後に撮影された陸前高田の風景にもよく表われている。「被災地に降り注ぐ光り」を前にして「困難と混乱のまま、何も解決出来ない苛立ちの感情」を覚えたと田村は書いている(「〈夢の光〉に寄せて」『eyes』2012 vol.74)。一見クールに見える田村の写真のたたずまいの奥に潜む、エモーショナルな熱気をあらためて感じとることができた。日本カメラ社から、カタログを兼ねた写真集も刊行されている。
2012/08/03(金)(飯沢耕太郎)
キリコ Viewing_02
会期:2012/08/01~2012/08/18
Port Gallery T[大阪府]
祇園の舞妓だった祖母のアルバムと、彼女へのインタビューをもとに制作した私家版『見世出し』。その素材として使用した写真や構想ノートを展示した。もちろん、肝心の私家版を読むこともできた。キリコ特有の私小説的な作風はこれまでと同様だが、対象が自分ではなく祖母になったことで、過去の作品とは少々ニュアンスが異なっていたのもまた事実。特に、祖母が語る舞妓時代の華麗なる人脈や武勇伝は痛快の極み。時代がかった写真とともに読み進むことで、波乱万丈の一代記が味わえた。本作を通じて、彼女は新しい引き出しをひとつ増やしたと言えよう。
2012/08/03(金)(小吹隆文)
柳本史歩「生活について」
会期:2012/07/21~2012/07/31
コニカミノルタプラザ ギャラリーC[東京都]
柳本史歩は1990年代から、しっかりとした技術に裏づけられた、端正なモノクロームのスナップショットを発表し続けてきた。力のある写真家なのだが、自分の写真の世界をどのように展開していくのか掴み切れていないのではないかという思いがずっとあった。だが、今回の個展「生活について」を見て感じたのは、彼が素晴らしい鉱脈を掴みかけているのではないかということだった。
柳本は東日本大震災の前から、岩手県下閉伊郡山田町を何度となく訪ねて撮影を続けてきた。岩手県の太平洋沿岸、宮古と釜石の間にあるこの港町に通うようになったのは、いくつかの偶然の積み重ねだったようだが、海に生きる男たちが織り成す荒々しい光景のたたずまいは、彼の写真の質を少しずつ変えていったのではないかと思う。今回の展示からは、大きな痛手を受けながらも、次第に日常の秩序が恢復しつつある震災後の山田町の「生活」のディテールが、細やかに、だが力強く浮かび上がってくる。
写真に挟み込むように展示されているテキストが、効果的に働いていることにも注目すべきだろう。単純な解説ではなく、かといってまったくかけ離れているわけでもなく、彼が出会った光景や人々との関係を柔らかに描写していく文章が、写真ととてもうまく絡み合っている。むろん今回の展示は中間報告と言うべきものであり、今後さらに長期間の撮影を続けていくことで、「下閉伊サーガ」とでも言うべき写真=物語に育っていくことが、大いに期待できそうだ。
2012/07/31(火)(飯沢耕太郎)
第28回東川賞受賞作家作品展
会期:2012/07/28~2012/08/19
写真の町・東川町文化ギャラリー[北海道]
北海道上川郡東川町は1985年に「写真の町」を宣言し、毎年夏に東川町国際写真フェスティバル(フォト・フェスタ)を開催し始めた。今年はもう28回目ということで、僕は1980年代末からその変遷を見ているのでとても感慨深いものがある。最初の頃は町民との一体感がまったくなく、会場は閑散としていた。だが当地の夏祭りと同時期に開催されるようになり、全国の高校写真部の精鋭が集結する「写真甲子園」も話題を集めるようになって、近年は大いに盛り上がりを見せるようになった。写真の恒例行事として、完全に定着したのは素晴らしいことだと思う。
今年は「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション」のレビュアーのひとりとして招聘されたのだが、東川町文化ギャラリーで開催されていた「第28回東川賞受賞作家作品展」がかなり面白かった。フォト・フェスタの目玉でもある東川賞の今年の受賞者は、海外作家賞がアリフ・アシュジュ(トルコ)、国内作家賞が松江泰治、新人作家賞が志賀理江子、北海道ゆかりの写真家に与えられる特別作家賞が宇井眞紀子、地域に根ざした活動を長く続ける写真家を対象にした飛騨野数右衛門賞が南良和だった。この5人の組み合わせは、ジャンルも年齢も経歴もまったくバラバラなのだが、逆にそれが写真という表現メディアの広がりと可能性をさし示していて興味深いものだったのだ。
会場の入口から、南が1950年代以来撮影し続けている埼玉県秩父の記録写真、アシュジュのイスタンブールを撮影したパノラマ写真、松江の「地名の収集」として続けられている巨視的な風景作品、志賀の「Lily」「Canary」そして新作の「螺旋海岸」のシリーズ、宇井のアイヌの女性運動家、アシリ・レラの活動の記録が並ぶ。そのつながり具合が絶妙で、あたかも写真という生きものの体内を巡っているようなスリリングな視覚的体験を愉しむことができた。特に11月にせんだいメディアテークで本格的に展示されるという志賀の「螺旋海岸」は、現在の日本の写真表現を大きく左右していく可能性を秘めた重要な作品になっていくだろう。さまざまな貴重な出会いを誘発する場としてのフォト・フェスタの役割は、今後より大きくなっていくのではないかと思う。
2012/07/29(日)(飯沢耕太郎)