artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

ZINE/ BOOK GALLERY 2012

会期:2012/07/01~2012/08/31

宝塚メディア図書館[兵庫県]

昨年からスタートした手づくり、あるいは自費出版の写真集を一堂に会する「ZINE/ BOOK GALLERY」が、今年も兵庫県宝塚市の宝塚メディア図書館で開催された。今年は応募総数123点、そのうち66点が入選作品として、さらに昨年の応募者を中心に28点が招待作品として会場内に展示された。昨年にくらべると、かなりクオリティが高くなっている。また、そのうち44点は実際に会場内で販売された。ZINEの愉しみのひとつは好きな本を購入できるということなので、これもとてもよかったと思う。
7月22日には、飯沢耕太郎、綾智佳(The Third Gallery Ayaディレクター)、堺達朗(Boos DANTELION代表)、寳野智之(MARUZEN & ジュンク堂梅田店芸術書担当)を審査員として、出品作からグランプリと個人賞を決める公開審査・公表会も開催された。ちなみにグランプリに選ばれたのは京都造形芸術大学在学中の22歳の若い写真家、石田浩亮の『ZINE(題名なし)』。
友人たちのカラフルなポートレートのシリーズだが、勢いのあるカメラワークと、テンポよく写真を並べていくレイアウトのうまさが高く評価された。僕が個人賞(飯沢賞)に選んだ、くたみあきら『ソファを運ぶ』もそうなのだが、ZINEにはやはり一般的な写真集とは違う独特の表現領域があると思う。思いつきをどんどん形にしていくスピード感、用紙の選択やデザイン、レイアウトなどの自由度の高さなど、ZINEならではの面白さをもっと大胆に追求していってほしい。こういうイベントの積み重ねから、いい作家が出てきてほしいものだ。

2012/07/22(日)(飯沢耕太郎)

岸幸太「Barracks」

会期:2012/07/19~2012/08/10

photographers' gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]

岸幸太の作品は、2011年8~9月のKULA PHOTO GALLERYでの個展「The books of smells」のあたりから、そのフェイズが大きく変わってきた。それまでのように、東京・山谷、横浜・寿町、大阪・釜ヶ崎などのドヤ街の路上で撮影されたスナップ写真を、ストレートに引き伸ばして展示するだけではなく、プリンターで出力した画像をさまざまな材料にプリントして、インスタレーションしていく方向にシフトし始めたのだ。
前回の展示では新聞紙に出力していたのだが、今回のphotographers' gallery/ KULA PHOTO GALLERYの個展ではそれがさらにエスカレートして、拾い集めた廃材、床の材料、プラスチック製品などに直接プリントを貼り付けている。しかも画像がプリントされているのは、ドヤ街で拾ったビラやチラシ、文庫本のページ(ジャン・ジュネ『泥棒日記』、車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』など)、さらには紙ヤスリなど、その物質性が強烈に際立つ材料だ。このようなインスタレーション的な展示の試みは、ともすれば手法が一人歩きして散漫なものになりがちだ。だが岸の場合、むしろ確信犯的にそのような展示のスタイルを選びとっているのがわかる。ある場所からかすめ取ってきた画像を、半ば強引にその場所へ戻そうという彼の意志がしっかりと伝わってくるのだ。
そのなかに2点だけ、釜ヶ崎の路上で撮影した写真を、ストレートに印画紙に引き伸ばした作品が含まれていた。彼がなぜ、この2点を選んだのかはよくわからないが、そのたたずまいが実にかっこよかった。結局のところ、岸のインスタレーションがアイディア倒れに終わっていないのは、彼が2005年頃から積み重ねてきた撮影行為の厚みが、作品のリアリティを保証しているからだろう。このところの彼の仕事を見ていると、より大きな会場での展示も期待していいのではないかと思う。

2012/07/19(木)(飯沢耕太郎)

安彦祐介「あびこのスナップ コドモリミテッド」

会期:2012/07/17~2012/07/22

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

安彦裕介は日本大学芸術学部写真学科の助手をしながら、コンスタントに作品を発表し続けている写真家。1990年代の初め頃に「写真新世紀」や「写真ひとつぼ展」のようなコンペでたびたび入賞し、写真という表現メディアの特性を巧みに活かしつつ、現実世界の見え方を変容させていく作風で注目された。野口里佳から、彼女が大学在学中に安彦の言動から多大な影響を受けたと聞いたことがある。
今回のTOTEM POLE PHOTO GALLERYでの個展でも、その姿勢は基本的に変わっていない。パノラマサイズのフォーマットのカメラ、あるいは手製の4×5インチ判のカメラを使って赤外線フィルムで撮影し、「バライタ印画紙にプリント後、とある種類の薬品にて調色」した作品が並ぶ。赤外線フィルムを使うことで、モノクロームの画像のグラデーション、コントラストに変調をきたし、さらに「調色」によって色味も違ってくる。それが青、緑、茶色などのどんな色調に転ぶのかは、「やってみないとわからない」のだそうだ。そんな偶発的で不安定な画像のあり方が、今回の「コドモ」というテーマにはぴったりしているのではないだろうか。過渡期にある存在である子どもたちの妖しさ、不気味さ、とらえどころのなさが、安彦の錬金術的なテクニックによって、とてもうまく引き出されているのだ。技術と表現意欲のバランスが、どちらか一方に偏ることなく、むしろ生産的に働いている希有な例なのではないかと思う。
次回の個展のテーマはもう決まっていて「オヤジリミテッド」だそうだ。彼がまたどんな匠の業を見せてくれるのかが楽しみだ。

2012/07/19(木)(飯沢耕太郎)

「TOPOPHILIA」由良環

会期:2012/07/18~2012/07/31

銀座ニコンサロン[東京都]

とても生真面目な労作である。由良環は、2005年から「世界の10都市を同じ方法論で撮る」というプロジェクトを開始した。都市を取り囲む環状線(環状道路、鉄道、城壁など)を基準に、そこから都市の中心に向けて撮影していく。滞在中の25日間に25地点を選び、1日1枚それぞれ「日の出から1時間後、日の入りの1時間前」にシャッターを切る。カメラは地面から1.6メートルの高さに縦位置で構える。4×5インチ判のフィールドカメラで、フィルムはモノクロームのコダックTXP。レンズは150ミリ(標準レンズ)で、絞りはf45に固定されている。
このように厳密にコンセプトを定め、その後、粘り強く丁寧に撮影が続けられていった。その成果が銀座ニコンサロンの個展で披露されたわけだ(同名の写真集がコスモスインターナショナルから刊行)。先に書いたように、文句のつけようのない労作なのだが、作品を見ていてあまり心が弾んでこない。金川晋吾の「father」とはその点で対象的で、一見同じような写真が並んでいるように見える金川の仕事が、さまざまなイマジネーションの広がりをもたらすのと比較して、まったく異なる表情をみせてくれるはずの「TOPOPHILIA」の連作には、なぜか閉塞感が漂っているのだ。
おそらく、「方法論」の設定の仕方に、いくつかのボタンの掛け違いがあったのではないだろうか。4×5判のカメラで撮影したモノクロームの端正なプリントが並ぶと、むしろそれぞれの都市の違いが判別しにくくなる。また東京、パリ、ベルリン、ニューヨーク、北京、ニューデリー、イスタンブール、ローマ、ロンドン、モスクワという10都市の選択も、紋切り型で、あらかじめイメージを限定しかねない。ただ長期間、さまざまな都市で過ごした時間の蓄積は、今後の由良の活動に、有形無形のいい影響を及ぼしていくはずだ。今度はよりフレキシブルなアプローチで、写真による都市の「TOPOPHILIA」の再構築を試みてほしいものだ。

2012/07/18(水)(飯沢耕太郎)

金川晋吾「father 2009.04.10-2012.04.09」

会期:2012/07/17~2012/08/02

ガーディアン・ガーデン[東京都]

とても重要な、長く語り継がれていく展覧会になりそうな予感がする。金川晋吾の「father」シリーズは、これまでも断片的には発表されてきたのだが、今回初めて、まとまったかたちでの展示が実現した。会場に入ると、壁にかなり大きく引き伸ばされた写真が10数枚展示され、中央のテーブルには、3冊のポートフォリオ・ブックが置かれている。そこに写っているのは、すべてひとりの中年男を正面から顔を中心に撮影したポートレートで、言うまでもなくそれが金川自身の「father」である。
彼の父親には「蒸発癖」があり、そのために仕事も家も失って、いまは生活保護を受けてアパートでひとり暮らしをしている。2009年4月、金川は父親に35ミリフィルム入りのコンパクトカメラを渡し「毎日父自身の顔を撮影するように」と頼んだ。なぜそんなプロジェクトを始めようとしたのか、金川自身にもよくわかっていないようだが、父親と自分との関係をポートレートの撮影を通じて確認したいという思いがあったのではないだろうか。父親は意外に勤勉に彼の頼みを実行してくれた。こうして、カメラを持った手を延ばして自分の顔にレンズを向けて撮影された3年分のセルフポートレートが蓄積していったわけだ。
テーブルに置かれた、2009年~10年、2010年~11年、2011年~12年の3冊のブックのページをめくっていくと、じわじわとなんとも言いようのない感情(むしろ恐怖感といってもよい)がこみ上げてくる。そこに写っている父親の表情は異様なほどに均質だ。淡々と、生真面目な表情でシャッターを切り続けている。時々空白のページがあるが、それは「行方をくらませていたために写真が撮られていない時期」ということのようだ。それ以外のすべてのカットに、なんら積極的なメッセージを発することもなく、無表情な男の顔、顔、顔が写り込んでいるのだ。
それでも、ページをめくっていてまったく飽きるということはない。何も起こらないことを予感しつつ、写真を見続け、見終えたときに、誰しも「人間とは奇妙な生きものだ」という感慨を抱くのではないだろうか。考えてみれば、味も知らぬ他人の顔をこれだけ大量に見続けるという経験は、これまでも、これから先もあまりないかもしれない。頭にこびりついてしまった、金川の父親の顔のイメージ、今後はそれを抱え込んでいかなければならないのだが、それがあまり重荷には感じられないのはなぜだろうか。閉じているようで開いている、不思議としか言いようのない写真群だ。

2012/07/18(水)(飯沢耕太郎)

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