artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
辰野登恵子/柴田敏雄「与えられた形象」
会期:2012/08/08~2012/10/22
国立新美術館企画展示室2E[東京都]
取り合わせの妙というべき展覧会だ。辰野登恵子は油彩による抽象画、柴田敏雄は緻密かつスケール感のある風景写真で、それぞれすでに高い評価を受けているアーティストだが、この二人の作品を一緒に展示するということは、普通は思いつかないだろう。ところが、あまり知られていなかったことだが、辰野と柴田は東京藝術大学絵画科油画専攻の同級生(1968年入学)だったのだ。在学中には、同じく同級生の鎌田伸一を加えてコスモス・ファクトリーというグループを結成し、シルクスクリーン作品を中心に発表していた。卒業後はまったく違う道を歩むのだが、辰野と柴田のアーティストとしての活動は同じ母胎から出発したと言えるだろう。
実際に彼らの作品を見ると、意外なほどに共通性があることに気がつく。画面を大づかみな色面のパターンとして把握し、構築していくやり方は、メディウムの違いを超えてかなり似通っている。特に2006年以降、柴田がそれまでのモノクロームからカラーにフィルムを変えてからの作品は、基本的な世界の見方に同一性があるのではないかと思ってしまうほどだ。今回の展示を見てあらためて強く感じたのは、辰野が展覧会のカタログにおさめた対談(「偶然と必然、選択と創作~コスモス・ファクトリーから国立新美術館まで~」)で指摘しているように、柴田が「絵描きの目でカメラを扱っている」ということだった。柴田がもともと優れたデッサン力を持つ「絵描き」だったことは、難関の東京藝術大学絵画科に現役で入学したということからもわかる。たしかに彼の写真を見ていると、目の前の事物を二次元の平面に置き換えていくプロセスが、「絵描きの目」で、力強く、絶対的な確信を持って成し遂げられていることがわかる。辰野が言うように、柴田の写真作品を「絵がやり損なったというか、立ち往生しているポイントに光をあて、写真で絵になっている」という側面から見直す必要があるのではないだろうか。
2012/08/12(日)(飯沢耕太郎)
井上廣子 展〈Mori:森〉
会期:2012/08/07~2012/08/19
ギャラリーヒルゲート[京都府]
社会性の強いテーマや人間存在の本質を問うような作品を、写真やインスタレーションなどで表現してきた井上廣子。彼女が新作のモチーフに選んだのは、日本の東北とドイツの森だった。これらの場所は、いずれも天災や戦争にまつわるエピソードを持っているが、作品にそれを直接匂わせるような手掛かりは仕込まれていない。井上は昨年、東日本大震災のニュースに接した際、これまで自分は自然をテーマにしたことがなかったと気付き、本作の構想に入ったそうだ。その意味で、今回の作品は一種のエスキースと見なすこともできる。今後コンセプトや技法などが煮詰められ、数年後にはかっちりまとまったシリーズ作品が生み出されるのではなかろうか。その端緒を見られたという意味で、本展は貴重な機会だった。
2012/08/12(日)(小吹隆文)
松江泰治「世界・表層・時間」
会期:2012/08/05~2012/11/25
IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]
松江泰治が静岡県各地を空撮した「JP-22」(2005)で、初めてカラー作品を発表したときにはかなり驚いた。松江といえば、緻密なモノクローム作品というイメージが強かったからだ。さらに2007年、作品の一部に写り込んでいる人物を極端なクローズアップで浮かび上がらせた「cell」シリーズを発表したときにもびっくりした。そういうトリッキーな仕掛けをこらした作品を出してくる作家とは思っていなかったからだ。だが、それ以後の彼の仕事を見ていると、ひとつのコンセプトを厳密に追い求めるというよりも、制作のプロセスを愉しみつつ、写真表現のさまざまな可能性にチャレンジしていくというのが、彼の本来の資質なのではないかと思い始めた。
その姿勢は、今回のIZU PHOTO MUSEUMでの個展でも見事に貫かれていた。特に目立つのは、写真作品と映像作品とを組み合わせていくインスタレーションである。映像作品はすでに2010年のTARO NASUでの個展「Survey of Time」で見ることができたのだが、今回は質的にも量的にもより大きな位置を占めるようになってきている。つまり、従来の「世界」の「表層」を引き剥がすように収集していく静止画像に「時間」の要素が加わることで、より偶発性の強い、実に味わい深い作品に仕上がっているのだ。映像作品のなかをかなり速いスピードで走り過ぎていく自動車(「DXB 112294」)、ガラス窓をつたう雨滴(「MAN 12840」他3点)、不意に画面を横切る子どもたち(「JUTLAND 112361」)などからは、松江の世界を新たな角度から見つめ、驚きに溢れるイメージを発見することの歓びがストレートに伝わってくる。
静止画像の写真作品でも、これまでのような距離を置いた俯瞰的な構図だけではなく、より融通無碍に世界を見渡す姿勢が強まっていることに注目すべきだろう。展示の最初に掲げられていた「MCT 17451」は、貝殻や小石がちらばった海辺の地表をかなり近距離から撮影したものだし、『NORWAY 18243』「同18148」「同18149」には、フィヨルドに停泊する大きな客船が横向きに写っている。松江の作品世界はたしかに拡大しているが、それが散漫な拡張であるようには見えない。むしろ「地名の収集家」としてのテンションと集中力は、より高まっているのではないだろうか。
なお、東京・馬喰町のギャラリー、TARO NASUでは、カラー写真で青森県と秋田県を空撮した「jp0205」シリーズが展示された(8月31日~9月21日)。ここでも風景を観察し、切りとって提示することの歓びが、軽やかに発揮されている。
2012/08/11(土)(飯沢耕太郎)
池田みどり「I Love You, I Hate Youーすきよ、きらいよー」
会期:2012/07/20~2012/08/26
NADiff a/p/a/r/t[東京都]
アーティストの池田晶紀と三田村光土里によるユニット「池田みどり」。その新作の「I Love You, I Hate Youーすきよ、きらいよー」は、なかなか面白いパフォーマンス作品に仕上がっていた。
舞台になっているのは、東京・板橋区にある「50年以上、精密板金業を営む町工場」である。そのどこか既視感のある「映画のセット」のような空間で、男性と女性とが「揺れ動く男女の人生の悲喜こもごもが交差する」場面を演じる。「春のおとずれ」「つのる想い」「素直になれなくて」「心の嵐」「私は離れない」などと名づけられたシークエンスは、やや大仰な振付けのミュージカル調に仕立てられているが、その場面設定や二人の表情には切実なリアリティがある。彼らの巧みな演技力と的確なカメラワークが、パフォーマンスを単なる絵空事ではない、誰もが身に覚えがあるような場面として成立させているのではないかと思う。
この作品が演劇や映画ではなく、写真のかたちで発表されていることは、かなり重要なファクターなのではないだろうか。写真は前後の場面をカットして、ある特定の身振りを強調して提示することができる。そのことによって「すき」「きらい」という個人的なエモーションが、より普遍的な、抽象化されたイメージとして再構築されるのだ。「池田みどり」の活動が今後どのようなかたちで展開されていくかはわからないが、いろいろな可能性がありそうだ。この「Untitled Film Stills」のスタイルを、さらに推し進めていってほしいものだ。
2012/08/08(水)(飯沢耕太郎)
仙台コレクション写真展 vol.16
会期:2012/08/07~2012/08/12
SARP(仙台アーティストランプレイス)[宮城県]
仙台在住の写真家、伊藤トオルを中心にして大内四郎、松谷亘、小滝誠、斎藤等、片倉英一、安倍玲子、佐々木隆二の8人によって2001年から開始されたのが「仙台コレクション」。仙台市内の建物、橋、道路などの「日々失われていく無名の風景」を区域ごとに担当を決めて、できうる限り正確に撮影し、プリントに残そうというユニークなプロジェクトである。1万枚を目標に開始された「コレクション」の点数は6,000枚を超え、まだ道のりは遠いが、ようやくゴールがおぼろげに見えてきた。今回のSARPでの展示は、その16回目の中間報告ということになる。
会場には6切りサイズのプリントが22点、やや大きめのA3サイズのプリントが8点並んでいた。写真の選択も、プリントの質もきちんと整えられているので、「仙台コレクション」の全体像を知る者にとってはこれくらいの数でちょうどいいかもしれない。だが、そうではない観客にはその意図がややわかりにくいだろう。やはりもう少し展示の点数を増やすとともに、プロジェクトの概要についての丁寧な解説もほしかった。それと、どうやらこの種のタイポロジー的な作品の場合、プリントのサイズはあまり大きくない方がいいように思える。小さめのサイズの方が、視点が拡散せず、写真の細部まで把握しやすいからだ。
「仙台コレクション」の営みは、昨年の東日本大震災によってさらに重要度を増しつつある。すでに都市開発などによって、2000年代初頭に撮影された建物のうちかなりの数が失われてしまった。震災はまさにその状況を加速させていったのだ。むろんその進行に歯止めをかけることはできない。だが撮影しておくことで、記憶を喚起する手がかりを未来に向けて残すことは可能だ。目標の1万枚に達したとき、どんな眺めが見えてくるのかが今から楽しみだ。
2012/08/07(火)(飯沢耕太郎)