artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

安世鴻「重重 中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」

会期:2012/06/26~2012/07/09

新宿ニコンサロン[東京都]

すでに報道されているとおり、名古屋で活動している韓国人写真家、安世鴻(アン・セホン)の「重重 中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」については、その開催を巡ってさまざまな問題が湧き上がった。2012年1月に、ニコンサロンの写真展選考委員会で開催が決定していたにもかかわらず、5月22日に「諸般の事情で写真展を中止したい」という申し出がニコンサロン側から同展実行委員会にあった。それに対して実行委員会が東京地方裁判所に提出した仮処分申請が、6月22日に認められ、写真展は一転して予定通り開催されることになった。6月25日には、竹内万里子が一連の経緯を踏まえて選考委員を辞任するなど、その余波はさらにこの先も続きそうだ。
ドキュメンタリー写真を巡って、この種の問題が起きるのは珍しいことではない。写真は社会的、政治的な立場の違いによって、まったく異なる解釈を引き起こすことがあるからだ。だからこそ、写真の発表においては「オープンネス」(公開性、開放性)が原則となるべきだと思う。歪めたり、包み隠したりすることなく、逆にさまざまな解釈の余地を残しつつ、責任を持って提示・公開していくということだ。もし、何かしら軋轢や問題が生じたならば、その時点で当事者が粘り強く解決していくしかない。その点において、この「オープンネス」の原則を自ら放棄してしまったニコンサロン側の対応は、やはりまずかったと言うべきだろう。
筆者はちょうど展覧会のオープニングの時期に日本にいなかったので、7月3日にようやく展示を見ることができた。その時点では、ガードマンによる所持品検査などはあったものの、会場の雰囲気はほぼ静穏だった。裁判所の決定に従うという消極的なかたちではあったが、展覧会が開催され、落ちついた雰囲気で写真を見ることができたのはよかったと思う。
安は1996年から「慰安婦」の問題についての取材を開始し、この中国在住の女性たち(80歳代後半から90歳代)の写真は、2001年から05年にかけて撮影した。労作であり、その真面目な撮影の姿勢は、一枚一枚の写真に強い説得力を与えている。やや気になったのは、プロジェクト全体についての解説はあるが、それぞれの写真についてはキャプションが一切省かれていることだ。この種のドキュメンタリーでは、写真ですべてを語らせようというのは無理があるし、むしろ危険でもある。個々の女性たちの肉声と、それに対する安自身のメッセージを、会場にきちんと掲げるべきではなかっただろうか。

2012/07/03(火)(飯沢耕太郎)

安世鴻 写真展

会期:2012/06/29~2012/07/09

新宿ニコンサロン[東京都]

「従軍慰安婦」とされた朝鮮人女性たちの現在をとらえた写真。開催の反対を訴える抗議活動を受けて、会場を運営するニコンが写真展の中止を決定するも、写真家が仮処分を申請したところ、東京地裁が会場使用を命じ、ようやく開催された。会場の入り口には警備員が立ち、来場者は持ち物検査の後、金属探知機を通過してはじめて写真を鑑賞することができた。とはいえ、会場の物々しい雰囲気とは裏腹に、展示された写真は一見すると静謐そのもの。モノクロ写真のなかの老婆たちは、ゆるやかな時間に身を委ねながら、ある者は追憶し、ある者は激情を押し殺し、ある者は哀しみに暮れていたように見えた。展覧会の開催によって彼女たちに出会えたことの意義は大きい。

2012/06/29(金)(福住廉)

安世鴻写真展「重重 中国に残された朝鮮人元日本軍『慰安婦』の女性たち」

会期:2012/06/26~2012/07/09

新宿ニコンサロン[東京都]

文字どおり重々しくて長ったらしく、過剰に反応する人たちもいるらしいタイトルとは裏腹に、写真そのものはきわめて淡々としている。写されているのは、中国のどこかの田舎町を背景にした老婆たち。室内も衣服も質素で飾り気がなく、表情はおしなべて暗い。なかには泣いている人もいる。それをツヤのない和紙のような紙に粒子の粗いモノクロームプリントで焼き付けている。画面がどれもわずかに斜めに傾いているのは、被写体の不安定さを表わすと同時に、三脚を使わない撮影者と被写体の近さも証しているのだろう。作品そのものからは特別に政治性を感じることはない。つーか、そもそもあらゆる作品は政治性を含んでいるわけだし。ある種の人たちが過剰に反応するのは写真ではなくタイトル、つまり言葉に対してだろう。でもこれは言葉の展覧会でなく、写真展だ。それともニコンは写真を見る目がないのだろうか。いずれにせよ、ニコンの起こしたドタバタ騒動が結果的にこの写真展の宣伝に大きく役立ったことは間違いない。じつはそれがニコンの作戦だったりして。

2012/06/28(木)(村田真)

森山大道『カラー color』

発行所:月曜社

発行日:2012年4月30日

森山大道がカラーで、しかもデジカメで東京を撮り始めたと聞いてから、もう4年あまり経つ。その2008~2012年までの成果をまとめた、最初の「カラー本」が月曜社から刊行された。
森山=ハイコントラストのモノクロームというイメージには強固なものがあるが、本人にはもともと、周りが思っているほどのこだわりはなかったのかもしれない。荒木経惟もそうだが、森山も人体実験的に新たなスタイルを模索し続けてきた写真家であり、デジタルカメラへのシフトもごく自然体で為されたのではないだろうか。例によって、見開き裁ち落としで表紙から最終ページまでアトランダムに写真がぎっしりと並ぶ構成をとるこの写真集でも、カラーだから、デジタルだからという気負いはまったく感じられない。むしろ、被写体の選択、切り取り方などに強く表われている、森山特有のフェティッシュな嗜好は、モノクロームとまったく変わりがなく、逆に拍子抜けしてしまうほどだ。
だが、当然ながら、色という要素が加わることで、感情を不穏にかき立てる生々しさがより強まっていることはたしかだ。とりわけ、圧倒的な存在感で目に飛び込んでくるのは「赤」の強烈さである。ケチャップとも血ともつかない毒々しいほどの原色の「赤」は、デジタルカメラを使うなかで森山が発見したものだろう。この「赤」だけではなく、くすんだ灰色の印象が強い東京の街のそこここに、黄、緑、青などの原色がかなり氾濫していることにあらためて気づかされた。
今のところまだ第一歩であり、「カラー本」の試行錯誤はさらに続きそうだ。決定版が出るまでには、まだもう少し時間がかかるかもしれない。

2012/06/24(日)(飯沢耕太郎)

澄毅「空に泳ぐ」

会期:2012/06/18~2012/06/23

Port Gallery T[大阪府]

大阪市西区京町堀のPort Gallery Tでは、2012年5月~6月に若手写真家5人の連続展が開催された、やまもとひさよ、田村智子、宇山聡範、小川美緒と続いた最後に登場したのが、澄毅(すみ・たけし)である。
澄は1981年、京都生まれ。2008年に写真ひとつぼ展で入選、2009年と2010年には写真新世紀展で佳作に入っている。昨年同じギャラリーで開催された個展「光」を見て、ユニークな思考力を備えた写真家だと思った。今回の展示は、その続編というべきもので、虫ピンで小さい穴を穿ったプリントを太陽にかざし、そのままカメラで複写するという手法でつくられた作品が並んでいる。一見フォトショップで加工したようだが、その無数の穴を通ってきた光は、光としてのかなり生々しい物質性を感じさせる。写真の画像の中に異なった次元が導入されることで生じた「空白」を、写真を見る者は自らの記憶や願望で埋めようとする。虫ピンで穴を穿つ澄の行為と見る者の思いとが、光の「空白」を通じて交流することがもくろまれているのだ。
昨年の個展では、祖父母や自分自身が写っている家族写真が中心だったが、今回は東京で撮影した路上のスナップのプリントにも穴をあけている。そのことによって、光が侵入する範囲が、個人的な記憶から集合的な都市の記憶まで拡大してきた。彼の意図がより的確に表現されるようになってきたのではないだろうか。ただ「見せ方」のレベルでいうと、最終的なかたちがまだ完全に定まっているとは言えない。プリントを太陽にかざすという行為の痕跡が、もっとストレートに見えていいと思うし、展示作品の大きさ、プリントのクオリティも、まだこれでいいのかという疑問を感じる。フィニッシュワークに、さらに磨きをかけていく必要があるだろう。

2012/06/22(金)(飯沢耕太郎)