artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
ロベール・ドアノー「Rétrospective」
会期:2012/03/24~2012/05/13
東京都写真美術館 地下1階展示室[東京都]
ロベール・ドアノーといえば、なんといっても《市庁舎前のキス》(1950)だ。今回の回顧展のチラシに使われ、会場となった東京都写真美術館の外壁にも、この代表作が巨大なサイズに引き伸ばされて飾られている。だが、日本ではおそらく初めての200点を超える規模の展示を見ると、ドアノーが決していわゆる「パリ写真」の範疇におさまる写真家ではないことがよくわかる。「パリ写真」というのは、比較文化の視点から写真を読み解いた今橋映子が『〈パリ写真〉の世紀』(白水社、2003)で提起した概念で、ジャーナリスティックに垂れ流しされたパリのイメージ、すなわち「パリの男女、犬や猫、子供たちを、ユーモアや優しさを込めて映し出す」写真の総称である。ドアノーの「市庁舎前のキス」は、その「パリ写真」の典型として絵葉書やポスターなどに無数に複製され、今なお流布し続けている。
にもかかわらず、写真家としてのドアノーの本質は「パリ写真」とはかけ離れたものであることが、今回の展示を見てよくわかった。彼は「ユーモアや優しさ」どころか、シニカルな批評精神の持ち主であり、被写体をクールに突き放す醒めた視線を保ち続けた写真家だったのだ。それは「市庁舎前のキス」が普通考えられているような偶然撮影されたスナップショットではなく、『ライフ』誌の特集のための完全な演出写真であることでもよくわかる。ドアノーはこれと狙った場面を撮影するために、いわゆる「やらせ」を仕組むことに対してまったく躊躇することがない。彼は決してナイーブな写真家ではなく、むしろ経験を積んだプロフェッショナルであり、その技術に誇りさえ抱いていたことが、写真から見えてくるのだ。被写体に対する批評的な距離感がドアノーの写真の最大の特徴であり、その小気味よい職人的な映像の切れ味こそ今回の写真展の見所といえるだろう。
1980年代になって、ドアノーはDATAR(国土整備庁)の依頼で、彼のメイングラウンドであったパリ郊外をカラー写真で撮影した。特別展示されていたその写真群を見て、なんともクールで素っ気ない(同時期にアメリカの写真家たちが撮影した「ニュー・カラー」の写真を思わせる)そのたたずまいにこそ、ドアノーの地金が表われているのではないかと感じた。
2012/03/24(土)(飯沢耕太郎)
村山知義の宇宙 すべての僕が沸騰する
会期:2012/02/11~2012/03/25
神奈川県立近代美術館 葉山[神奈川県]
なにもないからこそ、なんでもやる。関東大震災にせよ、東京大空襲にせよ、広島・長崎への原爆投下にせよ、私たちの先達たちは焦土と化した焼け野原からいくども立ち上がり、その都度いくつもの文化や芸術を生み出してきた。村山知義の回顧展をつぶさに見て思いを新たにしたのは、豊かな芸術は貧しさのなかから生まれるという厳然たる事実。演劇から美術、写真、書籍、看板、はては建築にいたるまで、村山が手がけた創作物はじつに広範なジャンルに及んでいる。大量に集められた展示物の物量が、村山自身の貪欲な創作意欲を物語っているようで、まさしく沸騰する村山の迫力に圧倒されてやまない。それらのいずれもが貧しい時代の只中でなんとかやってきた格闘の痕跡と言えるが、村山が苛まれていた貧しさとはまた別の貧しさが世界を覆いつつある現在、はたして野性的で生命力にあふれた、新しい芸術は生まれるのだろうか。
2012/03/21(水)(福住廉)
宍戸清孝「Home」
会期:2012/03/20~2012/03/26
新宿ニコンサロン[東京都]
銀座ニコンサロン、新宿ニコンサロンを舞台に開催されてきた「Remembrance 3.11」の展示も最終回を迎えた。とてもよい企画だったのだが、前にも書いたように東北在住の写真家たちの写真展が少なかったのがやはり気になる。今回の宍戸清孝(仙台市在住)の展示を見て、あらためてその感を強くした。別に東京や他の地域から被災地に向かった写真家たちの仕事を軽視しているわけではない。誠実に、自分の視点で撮影に取り組んだ写真を、今回の企画でも数多く目にしてきた。だが、宍戸のような地元の写真家の仕事ぶりは、その厚みと生々しさにおいてやはり違いを感じないわけにはいかないのだ。
宍戸は仙台の事務所で被災し、4日後の3月15日に、アシスタントの菅井理恵(福島県出身)とともに初めて仙台湾岸の名取市閖上を撮影した。自衛隊員が遺体を毛布に丁寧に包んでいる様を見て、「胸がいっぱいになってしまい、カメラを持つ手が震えた」という。それからは、もう二度と被災地には行きたくないという気持ちと、「撮らなければ」という思いとの間で、ずっと長く葛藤が続いた。今回の「Home」展に展示された写真の一枚一枚に、その激しい心の揺らぎと、撮り続けていくなかで少しずつ芽生えてきた再生の兆しに託した希望とが刻みつけられている。まさに渾身の写真群であり、日系米軍兵士の戦後を追った「21世紀への帰還」など、長くドキュメンタリー写真の分野で活動してきた宍戸にとっても、この1年は覚悟を決めてひとつの壁を乗りこえていく大事な時期になったのではないだろうか。写真展にあわせて仙台市若林区の出版社から刊行された写真集『Home 美しい故郷よ』(プレスアート)も高精度の印刷、質の高いデザインの力作である。
なお、同時期に銀座ニコンサロンでは吉野正起「道路2011─岩手・宮城・福島─」(3月21日~27日)が開催された。震災後の「道路」を淡々と撮影したシリーズだが、福島県の農道を何気なく塞いでいる「立入禁止」の看板が、どうしても目に残ってしまう。
2012/03/21(水)(飯沢耕太郎)
荒木経惟 写真集展 アラーキー
会期:2011/03/11~2012/07/22
IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]
「3.11」に「写真集展」をぬけぬけとスタートさせるところが、いかにも荒木経惟らしい。タイトルが示すように、彼がこれまで刊行した写真集を中心とする著作450冊以上を一堂に会そうという破天荒な企画である。
僕は2006年に『荒木本!』(美術出版社)という本をまとめたことがある。荒木の全著作を解説つきで紹介したのだが、そのとき、1971年の「ゼロックス写真帖」シリーズから2005年に至る時期に出版された著作の数は357冊だった。それから6年余りで100冊ほど増えているわけで、これはやはり異常事態としかいいようがない。現時点において、またこれから先も、彼を超える生産量の写真家は絶対に現われてこないだろう。
実際に会場を見て、意外にすっきりと本が並んでいるのにむしろ驚いた。一番大きな壁に1冊ごとの小さな棚をつくって本を置き、その大部分は巨大なテーブルの上に並んでいて、手に取ってページをめくり、閲覧することができる。1980~90年代の名作がずらりと並んでいるのは壮観だし、最近はヨーロッパや台湾などで展覧会のカタログや翻訳本の出版が相次いでいるのもわかる。だが全体的には、本が整然と並んでいる印象が強いのだ。おそらく、杉本博司設計の美術館のスペースでは、荒木の事務所のように仕事と生活がごっちゃになったカオス的な雰囲気が感じられないのが、その大きな理由だろう。いっそのこと、美術館のスタッフが展示室をオフィスがわりに使ったりしていると、生活感が滲み出てきていいのではないかと思った。
著作のほかにも、「さっちんとマー坊」(1963)の巨大なポートフォリオの展示や「アラキネマ」全シリーズの上映、震災を全力投球で投げ返した新作の「‘11・3・11」シリーズの展示などもあり、盛りだくさんの内容だ。覚悟を決めて、朝から夕方まで部屋に詰めていれば、「荒木世界」にどっぷりと浸ることができるだろう。なお、関連企画として、6月10日(日)14:30~16:00に荒木と飯沢耕太郎との対談「『荒木本!』のマンダラ宇宙」が開催される。
2012/03/18(日)(飯沢耕太郎)
村越としや「ここから見える光は?」
会期:2012/03/06~2012/03/18
TAP GALLERY[東京都]
村越としやは福島県須賀川市の出身。いうまでもなく、震災による福島第一原子力発電所の大事故は他人事ではなかったはずだ。だが、今回彼がTAP GALLERYで開催した写真展を見てもわかるように、あえて原発や避難対象区域を撮影するのではなく、震災前から続けていた故郷の須賀川市を中心とした風景写真を発表している。35ミリ、6×6、6×7、パノラマサイズなど、さまざまなフォーマットの写真が壁に40枚ほど並んでいた。インクジェットで出力した大判プリントも1枚ある。もっとたくさん見せたかったそうだが、手持ちのフレームの数が足りなかったので断念したのだという。
村越の仕事は、いかにも古風でオーソドックスなモノクローム・プリントであり、湿り気の多い田園地帯や里山の眺めがしっとりとした雰囲気で画面におさまっている。その穏やかで繊細なたたずまいの風景を見ていると、震災や原発事故が実際に起こったことが信じられなくなってくるほどだ。だが逆に非常事態の写真があふれている現在の状況のなかで、彼があえて日常の眺めにこだわり続けていることの意味が見えてくる。震災後に6×7判のカメラで撮影した近作も6点ほど並んでいたが、その「変わりのなさ」に村越の強い意志を感じるのだ。これはこれで、震災に触発された写真のひとつの問いかけとして、充分に成立しているのではないだろうか。
2012/03/15(木)(飯沢耕太郎)