artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

北島敬三「ISOLATED PLACES」

会期:2012/04/06~2012/05/13

RAT HOLE GALLERY[東京都]

北島敬三は1990年代前半から「PLACES」と題するシリーズを撮影・発表し始めた。アジアやヨーロッパの諸都市の建築物を、その周囲の空間も含めて、大判カメラで写しとっていく試みだ。そこでめざされていたのは、各地域に固有の表象をなるべく剥ぎとり、その眺めを、いわばその時代における「どこにでもありそうな光景」へと還元していく試みだったと思う。
ところが、90年代後半になって、被写体が日本各地の風景へと限定されていくようになると、そのようなミニマリズム的なアプローチの厳密さはやや薄れていくようになる。今回の個展で展示された「ISOLATED PLACES」のシリーズから受ける肌合いは、以前の「PLACES」とはかなり異なっている。北海道から沖縄まで、それぞれの地域の建築物のヴァナキュラーな要素だけでなく、以前は注意深く排除されていたはずの「前田歯科専用」とか「こころ、届けます。GIFT PLAZA」などの看板の文字も、そのまま写り込んできているのだ。雪のなかにぽつんと一軒だけ取り残された家を撮影した作品(「Yubetsu 2009」)のように、なんとも寄る辺ないISOLATED(孤立した、隔離した)な感情がかなり強く滲み出ているのも、今回のシリーズの特徴である。
それを北島の表現意識の弛みとして、ネガティブに評価することもできそうだが、個人的にはその変化は好ましいものに思えた。彼の1990年代以降のもうひとつのシリーズ「PORTRAITS」にあらわれている、見る者をがんじがらめに縛りつけてしまうような窮屈な強制力ではなく、北島本来の写真家としてののびやかな自発性が回復しつつあるように感じるからだ。打ち棄てられ、干涸びて「顔と名前を失った光景」が、写真のなかでふたたび生命力を取り戻しているようにも見える。

2012/04/17(火)(飯沢耕太郎)

鈴木諒一「郵便機」

会期:2012/04/12~2012/04/25

エモン・フォトギャラリー[東京都]

鈴木諒一は2011年度のエモン・ポートフォリオ・レビューのグランプリ受賞者。筆者を含む審査員(飯沢耕太郎、小松整司、大和田良、河内タカほか)が、最終審査に残った10名から、彼の「郵便機」のシリーズをグランプリに選んだ。東京藝術大学先端芸術科在学中という毛並みのよさ、抜群の映像センスとたしかな技術力、思考と言語化の能力の高さ──誰が見ても文句のつけようのない受賞だったと思う。
だが、今回の展示を見て、やや肩すかしを食ったような気分になった。作家であり郵便飛行機のパイロットでもあったサン・テグジュペリの軌跡を、映像によって辿り直すというコンセプトは鮮やかに決まっている。印刷物を、デストーションをかけて複写して、完璧な技術でイリュージョナルな旅を再構築してみせた。ところが、そこから浮かび上がってくる世界が、審査のときに見たポートフォリオ以上にはふくらまず、なんとなく小さくまとまっているように見えてしまうのだ。アクリルでプリントをサンドイッチするという展示の手法も、どことなくありきたりなものに見えてしまう。
往々にして、彼のように才能に恵まれた作家は、最初からあまり冒険をせず、まとまりやおさまりを最優先しがちだ。だが、それは諸刃の剣で、知らず知らずのうちに自らの潜在的な可能性を狭めてしまう。むしろ鈴木にとっては、次回の展示が正念場だろう。そこでは、自分でもコントロールがきかないような未知の領域にチャレンジしていってほしい。

2012/04/12(木)(飯沢耕太郎)

伊藤時男「断章」

会期:2012/04/03~2012/04/13

コニカミノルタプラザ ギャラリーB[東京都]

伊藤時男は1980年代から「断章 Fragment」と題するシリーズを発表し続けている。これまで個展を6回ほど開催しているが、基本的なスタンスはまったく変わっていない。道を歩きながら目についた風景を、画面全体にピントが合ったパンフォーカスで切り取っていく。とりたてて変わったものが写り込むわけではなく、道端の植え込み、道路標識、舗道の白線、工事現場のフェンスなどが、雑然と画面のなかにひしめき合っている。唯一目を引くのは、時折写り込んでいる自分自身の影くらいだろう。だが、その切り取り方には細やかな神経と独特の美意識が働いており、この眺めをこの角度で見たかったという彼の意図が明確に伝わってくる。一見同じような場面に見えるのだが、それぞれに微妙な違いがあって、これはこれで現実世界の厚みと豊かさをきちんとさし示すシリーズとして定着しているのではないだろうか。
伊藤は1985~96年にかけて、ニューヨークを何度も訪れて、この「断章 Fragment」のシリーズを制作してきた。そのときは縦位置の写真が多かったのだが、最近は東京を中心とした撮影に移行し、横位置が多くなってきた。また今回、ずっと固執し続けてきた28ミリの広角レンズのほかに、50ミリの標準レンズにもトライしてみたのだという。
伊藤のこのシリーズが、まったく変わっていないようで、微妙に形を変えつつあることがわかる。コンセプトをきっちりと定めたライフワークであることに変わりはないが、緩やかに、彼の人生の軌跡と呼応するように、このシリーズもシフトしていくのだろう。逆に、これまでの作品を集大成した展示も見てみたいと思えてきた。

2012/04/12(木)(飯沢耕太郎)

佐内正史「ラレー展」

会期:2012/04/06~2012/05/06

NADiff Gallery[東京都]

佐内正史の本領発揮というべき写真展だ。「ラレー」というのは佐内の造語で、「ラーメン+カレー」のこと。いうまでもなく、展示されている作品にはすべてラーメンとカレーが写っている。それも衒いなく、まっすぐに、ラーメンの丼とカレーの皿を画面の真ん中に置いて、射抜くように撮影した写真ばかりだ。ここ2年ほど、都内を中心にラーメン屋やカレー屋に通い詰めて撮影したようだが、店内が少し暗いので、「ピントが一点にしか合っていない」ものが多い。だが、そのことが逆にラーメンとカレーそのものの存在感を強め、見る者を引きつける不思議な魅力を発しているように感じる。
佐内には『俺の車』(メタローグ、2001)という写真集がある。買ったばかりの愛車、黄色いスカイラインを、さまざまな場所で前後、左右、上下から撮影した写真をまとめたものだ。「これが好きだ」「これが撮りたい」という彼の思いがストレートに伝わってくる。子どもっぽいといえばそれまでだが、佐内が手放しで被写体に向かうときの純真無垢な衝動が、『俺の車』にも今回の「ラレー」シリーズにもあふれ出している。そんなときの彼は無敵だ。しばらくこういう一点突破の写真を見ていなかったので、とても新鮮だった。佐内にとっての「原点回帰」といえるのではないだろうか。
なお、佐内自身が主宰する「対照」レーベルとMatch and Companyの共同出版で写真集『ラレー』も刊行された。前作『パイロン』の続編にあたる写真集だが、すっきりした造本で気持ちよく仕上がっている。

2012/04/06(金)(飯沢耕太郎)

すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙

会期:2012/04/07~2012/05/13

京都国立近代美術館[京都府]

ベルリン留学時にダダや構成主義などの新興芸術に強い影響を受け、1923年の帰国後に爆発的な勢いで、絵画、コラージュ、トランスジェンダーなダンスパフォーマンス、建築、デザイン、舞台美術、前衛芸術集団「マヴォ」結成などの活動を展開した村山知義。その圧倒的なエネルギーとインパクトを、初めて本格的に紹介するのが本展だ。1988年に開催された「1920年代日本展」で彼の存在を知ってから20年余、遂にこの機会が訪れたことに感慨を禁じえない。現存作品が少ないため、写真資料が多いなど難点もあるが、展覧会が行われたこと自体に意味があるのだ。本展を機に今後一層研究が進み、彼の真価が鮮明になることを期待する。

2012/04/06(金)(小吹隆文)

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