artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

吉村和敏「MAGIC HOUR」

会期:2010/12/22~2011/02/12

キヤノンギャラリーS[東京都]

「MAGIC HOUR」というのは「夕陽が沈んだ直後から、空に一番星が現れるまでのわずかな時間」のこと。たしかに空や大気の色が一瞬のうちにみるみる変化し、家々のイルミネーションが宝石のように瞬くこの時間には、魔術的な魅惑がある。「奇蹟」とか「永遠」とか言う言葉がよく似合うこの「MAGIC HOUR」の風景を、吉村和敏はアメリカ、カナダ、フランス、ドイツ、ベルギー、スウェーデン、フィンランド、ニュージーランド、そして日本など世界各地で撮影した。そのなかから厳選された作品が小学館から写真集として刊行されるとともに、品川のキヤノンギャラリーSの会場に、スポットライトに照らし出されて並んでいた。
「MAGIC HOUR」はたしかに美しく魅力的だが、それは同時に「黄昏時」であり「逢魔が時」でもある。つまりどこか禍々しさを秘めた、死者たちの領域と近接する時間でもあるのだが、吉村の作品はひたすら安らぎの微光に満ちあふれていて、そんな気配は微塵もない。だが、それはそれでいいのではないだろうか。風景を品のよい上質の「絵」として定着するのが彼の本領であり、多くの観客を引きつける理由にもなっているからだ。一方で吉村は、ほぼ同時期に『CEMENT』(ノストロ・ボスコ)という写真集も刊行している。北海道の石灰岩採掘現場とセメント工場を大判カメラで撮影したこのシリーズは、「MAGIC HOUR」とは対極にあるハードな仕事だ。風景写真家としての野心と志を、彼は多様な領域にチャレンジすることで、さらに強く発揮し始めているように感じる。

2011/02/04(金)(飯沢耕太郎)

王子直紀「KAWASAKI」

会期:2011/01/15~2011/02/27

photographers’gallery[東京都]

王子直紀はこれまでもずっと川崎周辺の路上をスナップしたモノクローム写真を発表し続けてきた。だが今回の「KAWASAKI」展を見て、その完成度が格段に上がり「黒ベタ、縦位置の美学」といえるような強度にまで達していると感じた。以前は不規則に傾き、揺れ動いていくような、ノーファインダーの画面に執着していたのだが、今回の展示作品はどっしりと落ちついて見える。川崎市市民ミュージアムの中庭にある溶鉱炉のモニュメントや、「京浜急行発祥の地」という石碑が写っているということもあるのだが、人物や建物の一部を切り取った作品でも、モニュメンタルに直立するようなあり方が強調されているのだ。王子自身、「歩く速度が遅くなった」と言っていたが、たしかに光景を把握し、捕獲していく姿勢そのものが変化しているということだろう。
もうひとつ気になったのは「鳥獣保護区」「水子地蔵・子安地蔵・子育地蔵」「信号直進 ココ左折」「元祖チヂミ本店」「D & G」といった看板や掲示物の文字が写り込んでいる写真が多いこと。ちょうど中平卓馬展を見たあとだったので、その共通性を強く感じた。ただ、言葉の意味を軽やかに宙づりにしてしまう中平の写真と比較すると、王子の場合は塗り込められたようなモノクロームの調子もあって、文字の物質性(呪術性といってもよい)がより強調されているように感じる。いずれにせよ、「KAWASAKI」という場所へのこだわり方が、彼の作品世界中に凝固し、揺るぎないものになってきていることは確かだ。

2011/02/02(水)(飯沢耕太郎)

石川光陽 写真展

会期:2010/12/07~2011/03/21

旧新橋停車場鉄道歴史展示室[東京都]

石川光陽(1904~1989)は1927年に警視庁に巡査として採用されて以来、63年に退職するまで主に写真撮影を業務としてきた。犯罪や政治活動だけではなく、そのなかには昭和史を彩るさまざまな場面が含まれている。特に有名なのは1942年から終戦に至るまでの東京空襲の記録である。凄惨な状況を克明に記録したそれらの写真は戦後になってから発表され、貴重な資料として高い評価を受けている。だが彼は、昭和初期から戦後にかけての東京の街の風俗の変化を写しとったスナップ写真も多数残していた。今回は東京・九段の昭和館が保存する9,000点あまりの石川の作品のなかから約80点を、「交通と乗り物」「都市と下町」「警察官として」の3部構成で展示している。
本展を監修した東京都写真美術館専門調査員の金子隆一がカタログに書いているように、石川の写真はプロの報道写真家とはやや異なった肌合いを感じさせる。報道写真家はあるテーマを強調して現実を分析的に切り取ってくる。それに対して石川の写真は個人的なメッセージではなく、あくまでも客観的な記録に徹しているため「引き気味な撮影ポジション」が選ばれており、「写真の中にはいくつもの現実が交錯している」ように見える。彼自身の視点が希薄な分、写真を見るわれわれは直接的に1930~40年代の街の情景に向き合っているように感じるのだ。そうやって見えてくる街や人のたたずまいは、戦時下にもかかわらず意外に穏やかで居心地がよさそうだ。いくつもの読み取りの可能性を示唆してくれるという意味でも貴重な写真群といえるだろう。

2011/02/01(火)(飯沢耕太郎)

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ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー

会期:2011/01/08~2011/03/21

金沢21世紀美術館[石川県]

なぜ写真家はアーティストになりたがるのだろうか。荒木経惟しかり、篠山紀信しかり。「カメラマン」はいつのまにか「フォトグラファー」となり、やがて「アーティスト」となって一丁上がりというわけだ。ホンマタカシもこの流れに乗っているように見えるのは、今回の展示で発表された写真が現代アートの文法を確実に押さえているように見えてならないからだ。もちろん、もともとホンマタカシは現代アートと親和性が高かったし、双眼鏡で写真を見せるインスタレーションなどは美術館の展覧会という条件を踏まえた現われなのだろう。けれども雪原に広がる血痕をとらえた写真は、視覚的な美しさを強調する反面、背景となる物語の説明を一切省き、結果的に何かの「痕跡」を直接的に提示することになっている。そう、これは日本の現代アートをいまも牛耳る因襲的なルールである。言葉による明快な説明より見た目の曖昧な美しさを、加算的で過剰な表現より減算的で禁欲的な表現を。痕跡や不在、欠落があるからこそ、その穴を充填しようとして鑑賞者の視線が作品に導かれるというわけだ。けれども、痕跡がつねに同時代の表現を読み解くキーワードであるとはかぎらないし、痕跡そのものが様式のひとつと化しているといえなくもない。現代アートはもっと多様であるし、現実社会はそれ以上に乱雑としている。その混沌をとらえてこそ、「ドキュメンタリー」ではなかったか。今回の展覧会は、もっと貪欲に挑戦することができたはずなのに、どうにも「置き」にいった印象が否めないのだ。

2011/01/28(金)(福住廉)

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任田進一 展 SILENT DRIFT

会期:2011/01/25~2011/02/13

neutron kyoto[京都府]

モノクロ写真の中央には、中空に静止する煙の塊のような物体が写っている。なんともシュールな情景だ。作家が在廊していたので制作法を質問すると、泥水をスポイトに詰めて水槽に放った瞬間に撮影したという。それだけでこれほど神秘的なイメージをつくれるものだろうか。きっと、照明やカメラのセッティング、泥水の配合など、独特のノウハウがたっぷり詰まっているに違いない。

2011/01/25(火)(小吹隆文)