artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

高橋万里子「Night Birds」

会期:2011/03/05~2011/04/22

photographers’ gallery[東京都]

photographers’ galleryのメンバーのひとりとして、高橋万里子は2002年以来コンスタントに作品を発表し続けてきた。2009年には同ギャラリーで4回にわたって「月光」シリーズを展示し、人物、人形、植物、剥製などを、室内灯だけでぼんやりと浮かび上がらせて撮影する独特な作品のスタイルを完成させた。
今回の「Night Birds」も、基本的にはその延長線上にある。被写体になっているのはさまざまな鳥の死骸で、フライフィッシングの毛針の材料としてその羽が用いられるのだという。極彩色の羽を持つ鳥たちは、宙吊りにされているようなやや不安定な構図で画面におさめられている。蛍光灯などのコントラストの強い光が、そのどことなく不吉なフォルムを照らし出し、ブレやボケが強調されることでより禍々しい印象が強まる。あたかも死のなかから強引に生の気配を引き出そうとするようなその手つきによって、鳥の死骸は宗教的な儀式で使用される呪物のようにも見えてくる。まだどうなるか予測はつかないが、「月光」シリーズの発展形として今後の展開が期待できそうだ。
なお、同ギャラリーの向いの部屋にリニューアル・オープンしたKULA PHOTO GALLERYでは、高橋のもうひとつのシリーズ「lonely sweet」が展示されていた。こちらはクリームソーダ、アイスクリーム、パフェ、果実類などの「sweet」が、やはり同じ手法で撮影されている。一見おいしそうだが、実はすべて食堂のショーケースなどで使われるサンプル食品だという。不安感よりは、どちらかといえば安らぎや懐かしさを感じさせるシリーズで、これを見ても高橋の表現力の幅が大きく広がってきていることがわかる。

2011/03/10(木)(飯沢耕太郎)

秦雅則「明るい部屋」

会期:2011/03/08~2011/03/13

企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]

企画ギャラリー・明るい部屋が最後の展覧会を迎えた。小野寺南、三木義一に続いて、実質的にギャラリーの活動を牽引してきた秦雅則による展示である(もうひとりのメンバーの遠矢美琴は既に1月に「保存」展を開催)。
ギャラリーの壁に大きなアクリル板にサンドイッチされて並んでいるのは、一見不定形のパターンの抽象画のように見える作品。「光(今回の場合は、太陽からの光ではなく室内で燈されていた科学的な光)と時間(2011/1月~3月の間の企画ギャラリー・明るい部屋に存在した時間)を、抽出し記録したもの」という説明がある。これだけでは何のことかよくわからないが、実はギャラリーの蛍光灯に晒し、天井裏のスペースに保存した現像済みのカラーフィルムからプリントした作品ということのようだ。つまり、「光と時間」の作用によって、フィルム上に発生したカビや染みのようなパターンを、そのままプリントしたのだ。
そんなことをやって何か意味があるのかということだが、秦としては「やってみたかった」ということに尽きるのではないか。予想不可能なパターンの変化をしっかりと確認することで、写真の生命力、生産力を祝福することが、ギャラリーの活動の締めくくりにふさわしいと判断したということだろう。2年間走り続けた企画ギャラリー・明るい部屋は、次の週から解体工事が開始され、間もなく姿を消す。だが、その果敢な冒険の軌跡は長く記憶に残っていくだろう。

2011/03/09(水)(飯沢耕太郎)

芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展

会期:2011/03/08~2011/05/08

東京都写真美術館 3F展示室[東京都]

いろいろな意味で感慨深い展覧会である。もう30年ほど前、筆者は筑波大学大学院芸術学研究科で日本の「芸術写真」の歴史を調査・研究していた。明治後期から昭和初期にかけて、主にアマチュア写真家たちによって担われていた絵画的な写真作品の追求(ピクトリアリズム)は、それまで写真史において「間違ったエピソード」という扱いを受けていた。草創期の素朴なドキュメントと、写真独自の表現可能性を模索した「近代写真」との間の混迷の時代の産物とみなされていたのだ。だが、「芸術写真」が確立した、写真を自立した一枚の「絵」としてとらえ、その枠内での表現の可能性を最大限に追求していく考え方は、現在に至るまで強い影響力を保ち続けている。何よりも、野島康三、福原信三、淵上白陽、山本牧彦、高山正隆といった「芸術写真」の時代を代表する写真家たちの、高度な技術と張りつめた表現意欲に裏打ちされた作品群は実に魅力的だった。これらを歴史に埋もれさせておくのはあまりにも惜しいという思いがあった。
その成果は、博士論文を書き直して刊行した『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房、1986)にまとまる。ちょうど同じ頃、まだ在野の写真史研究家だった金子隆一も、独力で「芸術写真」の研究を進めていた。その後、金子は東京都写真美術館の専門調査員となり「日本のピクトリアリズム」の作品の収集・展示に力を注ぐことになる。その集大成として企画されたのが、今回の「芸術写真の精華」展である。120点の作品はまさに「精華」という言葉にふさわしい名品ぞろいだ。30年前、これらの作品の価値を正確に把握できていたのは、おそらく僕や金子を含めてごく限られた数の人だけだったに違いない。あの評判が悪かった「芸術写真」が、これだけの大きな規模の展覧会に堂々と展示されている。そのことに感慨を覚えずにはおれなかったのだ。
さて、今回の展示であらためて目を見張ったのは、関東大震災以後、中嶋謙吉を理論的な指導者として田村榮、高尾義朗、塩谷定好、佐藤信、本田仙花、小関庄太郎らによって追求された「表現派」とも称されるスタイルの作品である。彼らは「主観の命ずるまゝに自己の感激を、何の捉はるゝ事なしに思ひ切って表せばよいとの考で、自己を自然以上に尊重する」(中嶋謙吉「現在の写真芸術」『中央美術』1923年1月号)ことを主張し、さまざまな技巧を駆使して凝りに凝った作品を制作した。特に「雑巾がけ」と呼ばれる、画面にオイルを引いて鉛筆や絵具などでレタッチを施す技法は実に興味深い。小関庄太郎の1920年代後半から30年代にかけての作品(《古風な町》1928、《海辺》1931)など、ほとんど写真原画の跡を留めないほどに改変されている。この極端なほどに「主観」的な表現のあり方を、現代のフォトショップなどによる画像改変と比較したくなるのは僕だけではないだろう。「芸術写真」を、過去の一時期の特異な表現ということだけで終わらせるのは、あまりにももったいないのではないだろうか。

2011/03/08(火)(飯沢耕太郎)

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夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史 四国・九州・沖縄編

会期:2011/03/08~2011/05/08

東京都写真美術館 2F展示室[東京都]

日本写真史の「夜明けまえ」、幕末から明治初期の状況を検証しようという「知られざる日本写真開拓史」のシリーズも、関東編(2007年)、中部・近畿・中国地方編(2009年)に続き、今回の四国・九州・沖縄編で3回目になる。薩摩藩主・島津斉彬と家臣たちによる先駆的なダゲレオタイプの研究(1857年)、長崎の上野彦馬による写真館開業(1862年)など、この地方は日本の写真発祥の地のひとつと言ってよい。今回の展示でも、なかなか面白い写真資料が集まっていた。
例えば、長崎大学附属図書館が所蔵する全3冊の「ボードイン・アルバム」。長崎養生所(医学伝習所の後身)で教官をつとめていたアントニウス・F・ボードインと、弟の駐日オランダ領事アルフォンス・ボードインが蒐集した写真を中心に貼り付けたもので、フェリーチェ・ベアトが撮影した「占拠された長州藩前田御茶屋低台場」(1864年)など、貴重な写真、イラストが含まれている。普通このようなアルバムの展示では、開いたページだけしか閲覧できないのだが、複写した全画像を壁面にプロジェクションして、他のページも見ることができるようになっていた。ほかにも名刺判肖像写真の台紙裏のデータを読み取れるように、アクリルケースに立てて展示するなど、全体的に見やすくする工夫が凝らされている。普通の観客は古写真にはあまり馴染みがないので、このような細やかな配慮は大切ではないかと思う。
次回は東北・北海道編の予定だが、さらに幕末・明治初期の日本写真の全体像を浮かび上がらせる総集編も視野に入れていかなければならないのではないだろうか。

2011/03/07(月)(飯沢耕太郎)

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風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから

会期:2011/03/08~2011/06/05

国立国際美術館[大阪府]

西洋美術史の文脈とは異なる視点から、現代の日本やアジアで活動するコンセプチュアルな作風のアーティストたちをピックアップした展覧会。1960年代から関西を拠点に活動しているプレイ、ダンスとも喧嘩ともつかないパフォーマンスで知られるcontact Gonzoをはじめ、島袋道浩、木村友紀、ヤン・ヘギュ、ディン・Q・レーら9組の作家が紹介された。どの作品にも、かつてのコンセプチュアル・アートにありがちな上から目線の難解さや近寄り難さは感じられない。むしろわれわれと同じ目線、同じ言葉で語りかけてくるので、スムーズに作品の世界へと入っていけるのだ。担当学芸員は本展を読み解くキーワードとして、スピードの遅さ、ローカリティー、日常との緩やかなつながり、を挙げていた。とても風変わりな企画展だが、本展のような機会が増えれば、現代アート展は今までよりずっと身近なものになるだろう。

2011/03/07(月)(小吹隆文)

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