artscapeレビュー
写真に関するレビュー/プレビュー
秦雅則/エグチマサル「写真/物質としての可能性」

会期:2011/01/25~2011/01/30
企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]
2009年4月にスタートした企画ギャラリー・明るい部屋の活動期間は、あらかじめ2年間ということになっているので、だいぶ終わりが近づいてきた。今回は中心メンバーのひとりの秦雅則と、何度か明るい部屋で個展や二人展を開催しているエグチマサルによる意欲的な展示である。
秦とエグチは2010年8月8日から2011年1月24日まで、写真作品のデータをインターネットでやり取りしながら、加工・改変していく作業を続けた。秦がつくった作品にエグチが変更を加え、それをまた秦に送り返す。画像の一部をかなりはっきりと活かしている作品もあれば、まったく別の画像につくり変えてしまう場合もある。そのやり取りのプロセスが、そのまま228枚の作品(壁に214枚、テーブル上に最終日に制作された作品が14枚)としてギャラリーに展示されていた。作品の一枚一枚の変幻の様子も興味深いが、それよりもプロセス全体が一挙に見えてくることに注目すべきだろう。デジタル化以降の、不安定で流動的な写真画像の「物質としての可能性」を、しっかりと確認していこうというユニークなアイディアの企画といえる。
なお、現代美術系のウェブサイトFFLLAATT(http://ffllaatt.com)では、同時期に秦雅則とエグチマサルによる「写真/仮想のイメージとしての可能性」展(2011年1月1日~2月28日)が開催されている。彼らの作品から42枚をシャッフルして取り出し、無記名でウェブ上にアップするという試みである。画像は自由にダウンロードすることができる。このような「写真の物質的価値をまったく無視する」展示をぬけぬけと並行してやってしまうあたりが、なかなか頼もしい。今のところはまだ試行錯誤の段階だが、こういう実験から何かが芽生えてきそうな気がする。
2011/01/25(火)(飯沢耕太郎)
没後20年 孤高のモダニスト 福田勝治 写真展

会期:2011/01/15~2011/01/29
ときの忘れもの[東京都]
福田勝治は1899年生まれだから、木村伊兵衛より2歳、土門拳より10歳年長の写真家。戦前から戦後にかけての一時期は、『女の写し方』(アルス、1937)が当時としては異例の売行きを示すなど、その大衆的な人気は木村、土門を凌いでいたほどだった。ところが1970年代以降になると、ほぼ忘れられた存在になり、91年に没後はほとんどその業績を顧みられることもなくなった。その大きな理由は、彼の作風が極端な耽美主義であり、リアリズム、スナップショットといった日本の写真表現の主流からは相当に隔たっていたためだろう。
今回の福田勝治展は、彼の戦後の代表作である《光の貝殻(ヌード)》(1949)、《心の小窓(藤田泰子)》(同)、《Still Life(静物)》(1952)と、1955年のイタリア滞在時にポンペイ、オスティアなどで撮影された風景作品15点を展示するもので、規模は小さいがひさびさの彼の回顧展となるものである。むしろデジタル化以降の多様化し、拡散していこうとする写真の状況において、福田の練り上げられた美意識と深みのあるモノクロームのプリントの技術を味わうことは意義深いのではないだろうか。彼のような、自己の美的世界を純粋に探求していこうとする写真家たちが、どうしても片隅に追いやられてしまうことにも、日本の写真表現の歪み(それを必ずしも否定的に捉える必要はないが)が端的にあらわれているようにも思える。
2011/01/24(月)(飯沢耕太郎)
朝海陽子「sight」/「Conversations」

「sight」AKAAKA[東京都]2011年1月15日~2月19日
「Conversations」無人島プロダクション[東京都]2011年1月15日~2月26日
赤々舎から写真集としても刊行された朝海陽子の「sight」は、見ていてさまざまな楽しみを味わわせてくれるシリーズだ。写真に写っているのは、部屋の中で何かを熱心に見つめている人たち。年齢も人種もさまざまで、ひとりの場合もグループになっていることもある。いったい彼らは何を見ているのかという謎解きは、タイトル(キャプション)によって明らかにされる。『バンビ』『エデンの東』『勝手にしやがれ』『三丁目の夕日』……。要するに彼らはホームビデオでお気に入りの映画を鑑賞中なのだ。何ごとかに没入している人(なかにはそうでもない人もいるが)の姿をそっと覗き見るのは、なかなかスリリングな行為だ。それとともに,そこに写っている人たちの出自やライフスタイルを、インテリアや服装から想像していく楽しみもある。東京や横浜だけでなく、ベルリン、ウィーン、ロンドン、ソウル、ニューヨーク、ロサンゼルスなど6カ国9都市で撮影されているので、比較文化論的な分析の対象にもなりうるだろう。
この完成度の高いシリーズと比較すると、無人島プロダクションで展示されている新作「Conversations」は、まだ発展途上という印象を受けた。こちらはいろいろな研究にたずさわる若い科学者たちを、彼らのラボラトリーで撮影しているのだが、写真から見えてくる情報が均質なのでどうしても似通って見えてしまうのだ。そのことを踏まえて、朝海は自分自身の旅の経験と彼らとの会話から展開するイメージをつなげていく組写真も試みている。こちらはかなり面白くなりそうだが、まだ数が少なく試行錯誤中のようだ。「sight」のようにコンセプトと内容がしっかりと固まってくるまでには、もう少し時間がかかるのではないだろうか。
2011/01/21(金)(飯沢耕太郎)
植田正治 写真展 写真とボク

会期:2010/12/18~2011/01/23
埼玉県立近代美術館[埼玉県]
福沢一郎にとっての満州は、植田正治にとっての鳥取砂丘だった。地平線と白い砂丘、太陽の強い光などで構成される植田の写真にはシュルレアリスムの匂いが強く立ち込めているが、シュルレアリストの多くが画面のなかに架空の世界を描くほかなかったのに対し、その舞台を鳥取砂丘という現実的な土地の上につくり上げることができたという点が、植田の強みだ。家族や地元住民、都市から呼び寄せたモデルなどを砂丘の上に配置した写真は、奥行き感より平面性が優先され、そのうえ強い陰影と、何より画面を左右に貫く地平線のラインが、現実世界でありながら非現実的に見える両義性を巧みに強調している。植田の写真を見ていると、福沢一郎から引かれたシュルレアリスムの系譜が、北脇昇の《クォ・ヴァディス》や諸星大二郎の『遠い国から』など、美術や写真、マンガなど、じつに多様なジャンルに引き継がれているのが、よくわかる。
2011/01/20(木)(福住廉)
牧野智晃「Daydream」

会期:2011/01/12~2011/02/02
B GALLERY[東京都]
牧野智晃のデビュー写真集『TOKYO SOAP OPERA』(フォイル、2005)は、彼の母親の世代の中年女性たちを、その居住空間でわざと大げさなポーズをとらせて撮影するというシリーズだった。彼女たちのどうしようもない自意識過剰ぶりを、やや皮肉を込めてスペクタクルなドラマに仕立て上げたこのシリーズを、今度はニューヨークで2008年に再演したのが「Daydream」である。
前作と比較すると、カメラが中判から4×5インチサイズになったことで、室内のディテールがよりくっきりと写り込んでいる。距離もやや引き気味の写真が多く、「観察する」という態度が強まっているように感じる。それよりも興味深かかったのは、日米の女性たちの「演じる」ことへの意識の差だった。どうしても顔が引きつってしまい、ぎこちなくなりがちな日本の女性たちと比較すると、アメリカの女性たちは堂々とふるまっているように見える。笑うに笑えなかった前作よりも、今回の方が安心して「SOAP OPERA」を楽しめる気がした。ただ、このアイディアをこれ以上いろいろな国で展開しても、バリエーションが増えるだけであまり発展性はないように思える。「中年女性」というテーマそのものは面白いので、何か別なやり方を考えてみてはどうだろうか。写真展にあわせて、瀟洒な装丁の写真集『Daydream』(4×5 SHI NO GO)も刊行されている。
2011/01/18(火)(飯沢耕太郎)


![DNP Museum Information Japanartscape[アートスケープ] since 1995 Run by DNP Art Communications](/archive/common/image/head_logo_sp.gif)