artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

村上心『THE GRAND TOUR ライカと巡る世界の建築風景』

発行所:建築ジャーナル

発行日:2009年3月1日

建築を学び始めた人にぜひ手に取ってもらいたい一冊である。写真家であり建築研究者でもある村上心氏にいただいた。平易なテキストで、世界のさまざまな都市への旅の内容とともに描かれるエッセイ。そのなかには建築を学ぶための基本的な用語の解説も含まれている。建築を学ぶのに旅は不可欠であることは多くの建築家が語るところであり、旅に一眼レフのカメラを持っていく人も多いだろう。本書には写真の撮り方に触れられているページもある。建築風景という言葉が新しく感じた。風景として写真に撮られる建築は、街の一部として、建築と都市の熟成した関係を示している。風景と建築をつなげる思考というのも面白そうだと思った。

2009/06/01(月)(松田達)

ホンマタカシ『たのしい写真 よい子のための写真教室』

発行所:平凡社

発行日:2009年5月

建築の本ではないが、郊外の風景や金沢21世紀美術館など、現代建築の撮影でも知られる写真家、ホンマタカシの本である。この春には、『アサヒカメラ』の連載枠で鼎談もさせていただいたが、彼は建築への興味ももつ。サブタイトルに、「よい子のための写真教室」とあるように、わかりやすく本人の言葉で(借り物ではなく)、第1章で写真の歴史をコンパクトにふりかえりつつ、第2章はワークショップを通じて、具体的な作品の分析と批評を行なう。おまけでは、同じ写真家の立場から行なった、アメリカの建築写真家の大御所、ジュリウス・シュルマンとの対話も収録されている。建築の世界でも、こんな「たのしい建築」の本があったら良い。

2009/05/31(日)(五十嵐太郎)

内野清香「6つの部屋」

会期:2009/05/09~2009/05/30

art & river bank[東京都]

1980年生まれ、2006年に東京綜合写真専門学校夜間部を卒業した内野清香の初個展。「他人の夢」を写真で辿り直し、再構築すると言う試みである。たとえばこんな夢。

──幼馴染みの友達に小学校で公開デッサンがあると連絡があって見に行く。会場に到着するとすでにデッサンが始まっていて、部屋は薄暗い。客は俺一人。モデルは机と椅子を重ねた上に座っている。画家がモデルの周りで考え事をしたかと思うと、ナイフを取り出した。いきなり「根拠を証明する」とか言って、モデルの左目からこめかみにかけてナイフで斬りつけた。モデルは前を向いたままじっとしている。モデルの周りを一周したところに、誰かが入ってきて「そいつの名前はピンクフロイドっていうんだよ」と言った。

こんな感じの6つの夢が、2~6枚程度の写真で再演されるとともに、テキストを読む声がCDから流れるようにセットされている。「他人の夢」を共有し、「誰のものともわからぬ物語」を生み出していくというアイディアは悪くない。もちろん、その再構築のプロセスがあまりうまくいっていないものもあるが、もう少し数を増やして(同時にレベルに達していないものを淘汰して)いけば、見応え、聴き応えのあるシリーズに成長していきそうだ。

2009/05/30(土)(飯沢耕太郎)

秦雅則・エグチマサル「破壊する白と創造する黒」

会期:2009/05/26~2009/06/07

企画ギャラリー・明るい部屋[東京都]

四谷三丁目に4月にオープンした「企画ギャラリー・明るい部屋」は、昨年「遊び言葉」で写真新世紀グランプリを受賞した秦雅則を中心とする同人制の自主ギャラリーである。今回はやはり写真新世紀で2年続けて佳作となり、個展も開催して注目を集めているエグチマサルとの二人展。二人ともプリントに着色したり、コラージュしたりする作風なので親和度が高く、なかなか充実した気持ちのよい展示だった。
互いのヌードを撮影したモノクロ写真、各9枚を加工した展示がメイン。それに「死生観」をテーマに二人のアトリエを6回往復して制作したという、B全2枚分の大きな「共同作品が」壁に直接釘で打ち付けられている。一見荒々しく、生っぽいエネルギーを剥き出しにしているだけに見えて、二人ともかなり繊細に画面をコントロールしている様子がうかがえる。純粋に「写真」を志向することを金科玉条とする人たちにとっては、あまりにも雑駁で強引すぎるように見えるかもしれないが、秦もエグチもあくまで写真家としての原点から出発し、その可能性の幅をどれだけ伸ばせるかを模索しているのだろう。こういう「叫び」系の作品が出てくる要素が、実は若い写真家たちのなかにかなり色濃く共有されているのではないかとも思える。

2009/05/29(金)(飯沢耕太郎)

「日の丸」を視る目 石川真生 展

会期:2009/05/23~2009/06/12

GALLERY MAKI[東京都]

石川真生の写真展。さまざまな人たちに日の丸を使って自己表現をしてもらう「日の丸を視る目」シリーズをおよそ10年ぶりに再開し、モノクロを中心とした旧作とカラーで撮影された新作をあわせて数十点発表した。被写体となったのは、右翼から左翼、運動家からノンポリ、在日からアイヌまで、有名無名、老若男女を問わず、文字どおり多種多様な人たち。たとえば歩道橋の上から眼下の「豚ども」をライフル銃で狙撃する構えを見せる見沢知廉など、写真としての完成度が高いものももちろんあるにせよ、このシリーズの醍醐味は石川による写真の質というより、むしろ被写体の人びとによる豊かな自己表現にある。左右を問わず、いずれの写真にも見受けられるのが、誰にとっても等しく該当するはずの「日の丸」という象徴にたいしてどのように自己を位置づけるのか、その態度を世間に表明する厳しさに耐える彼ら自身の強度である。それが、いわゆる「一般人」では到底なしえない類稀な特質であることはいうまでもないが、しかしそれを個人が引き受ける強さがなければ(逆にいえば個別の身体を欠いた抽象的なレベルだけでは)、日の丸をめぐる議論は何も生産しないことを石川は鋭く見抜いている。撮影者である石川と被写体である人びとが、ともに責任を負った写真は、だから安易なイデオロギー闘争の道具としてではなく、写真を見る者にとっての「日の丸」を問い返すメディアとして、「見る責任」をこちら側に突きつけてくるのだ。甘ったるいだけの自己表現に完結しがちな昨今の写真とは対照的な石川真生の写真こそ、まことの意味で社会に開かれている。まさしく、「日本の自画像」である。

2009/05/23(土)(福住廉)