artscapeレビュー

写真に関するレビュー/プレビュー

北島敬三『JOY OF PORTRAITS』

発行所:Rat Hole Gallery

発行日:2009年5月

Rat Hole Galleryから北島敬三「PORTRAITS」展に合わせて刊行された分厚い写真集が届いた。「PORTRAITS 1992-」の巻と、「KOZA 1975-1980」「TOKYO 1979」「NEW YORK 1981-82」「EASTERN EUROPE 1983-84」「BERLIN, NEW YOYK, SEOUL, BEIJING 1986-1990」「U.S.S.R. 1991」というスナップショットを集成した巻の二部構成、700ページを超えるという大著であり、これまでRat Hole Galleryから出版された写真集のなかでも、最も意欲的な出版物の一つといえるだろう。ずっしりとした重みとハードコアな内容は、これだけの本をよく出したとしかいいようがない。
とはいえ、特に「PORTRAITS」のシリーズについて、展示を観たときに感じたすっきりしない思いが晴れたかといえば、どうもそうではない。倉石信乃による懇切丁寧な解説を読んでも、なぜ北島があらゆる意味付けを拒否するような「『顔貌』それ自体の出現・露呈」にこだわらなければならないのか、まったく理解できないのだ。
倉石が詳しく跡づけているように、白バック、白シャツ、正面向き、というような厳しい条件を定め、なおかつあまり特徴のない「壮年」の人物(老人、子ども、外国人、極端なデブなど特徴のある容貌は注意深く排除される)を選別することによって、見る者の想像力は北島が設定した水路の中に導かれ、それ以外には伸び広がらないように限定される。それはポートレートにまつわりつく「エキゾティシズム」を潔癖に拒否するという志向のあらわれだが、そもそもなぜ「エキゾティシズム」をここまで悪役に仕立てなければならないのか。さらにいえば、それならなぜ「エキゾティシズム」の極端な肥大化というべき彼自身のスナップショットを、わざわざ同じ写真集に別巻としておさめているのか。最近のインタビューで、北島は「『PORTRAITS』と同じような手つきで、スナップショットの写真も扱えるのではないか」(『PHOTOGRAPHICA』Vol.15 2009 SUMMER)と述べているが、その「手つき」とはいったい何なのか。この試みは、倉石が指摘するようにある種の「アーカイブ」の構築なのだが、その「アーカイブ」はいったい誰のためのものなのか。それがモデルのためでも、観客のためでも、ましてや未来の人類のためでもないのはたしかだろう。北島敬三による北島敬三のための「アーカイブ」、それ以上でもそれ以下でもないのではないか。疑問は尽きない。

2009/06/17(水)(飯沢耕太郎)

中井精也 写真展 ゆる鉄 from 1日1鉄!

会期:2009/06/12~2009/06/25

エプソンイメージングギャラリーエプサイトギャラリー2[東京都]

レイルマン中井こと、写真家・中井精也の写真展。毎日必ず一枚、鉄道写真を撮影して発表するブログ「一日一鉄」(http://railman.cocolog-nifty.com/blog/)から選りすぐりの「ゆるい鉄道写真」を発表した。写真はおもに地方の小さな駅や路線を写したものが多く、緊張に満ち満ちた都市で生きる者を脱力させるような魅力がある。会場の入り口に設けた改札口に中井本人が駅長として立ち、来場者に入場切符を手渡すなど、演出も気が利いていた。

2009/06/17(水)(福住廉)

森山大道「記録」on the road collaboration with 8 creators

会期:2009/05/27~2009/07/04

エプソンイメージングギャラリーエプサイトギャラリー1[東京都]

森山大道の写真をもとに、8名のクリエイター(東信、岡室健、川名潤、喜田夏記、軍司匡寛、斉藤彩、ペラ・ジュン、ヤングアンドロボット)が試みたコラボレーション・ワークを発表した展覧会。巨匠とのコラボという条件を前に尻込みしたわけではないだろうが、森山へのリスペクトとオマージュを確認できることはあっても、コラボレーションとして成功している作品はほとんど見受けられなかった。森山の写真に「FUCK OFF」と落書きした東信と、森山の写真が一切見えなくなるほど油絵で塗りつぶした斉藤彩は、それぞれクリエイターとしての生意気根性を披露したといえるが、それが森山写真でもなく、彼ら自身の作品でもなく、第三のクリエイションに昇華しているとはとてもいえないからだ。「コラボレーション」というに値するのは、森山が写した都市風景に別の風景をモンタージュすることで、どこかにありそうでどこにもない都市のイメージを見せたペラ・ジュン、ただひとりだった。

2009/06/17(水)(福住廉)

写真◎柳沢信

会期:2009/06/02~2009/06/28

JCIIフォトサロン[東京都]

柳沢信という名前を、若い世代は知らないかもしれない。1936年、東京・向島生まれ。東京写真短期大学卒業後、58年に「題名のない青春」という洒落たタイトルのシリーズでデビューするが、結核で2年間の療養生活を送る。病がようやく癒え、60年代半ばから『カメラ毎日』を中心に「二つの町の対話」(1966)、「新日本紀行」シリーズ(1968)、「片隅の光景」(1972)などを発表。タイトルが示すように、旅の途上で目に入ってきたさりげない光景を、飄々と、静かに哀感を込めて写しとったシリーズで注目を集めた。同時代の「コンポラ写真」との類縁性を指摘されることもあるが、基本的には孤立した水脈を全うした写真家といえるだろう。2008年、喉頭癌、食道癌による長い闘病生活を経て死去。写真集として『都市の軌跡』(朝日ソノラマ、1979)、『写真◎柳沢信』(書肆山田、1990)が残された。
その彼の1960~70年代の代表的なシリーズを集成したのが今回の回顧展である。高度経済成長下の騒然とした時代だったはずなのに、過度な感情移入を潔癖に拒否して、淡々と撮影されたスナップショットは、猥雑な部分が削ぎ落とされ、不思議に清澄な印象を与える。人柄があらわれているとしかいいようがない。スナップショットを通じて「写真」の広がりと深み(渋みや苦味も含めて)を探求しようとしていた求道者の面影が、しっかりと伝わってくる。カタログを兼ねた小冊子もJCIIフォトサロンから刊行されている。若い人たちにぜひ見てほしい写真群だ。

2009/06/12(金)(飯沢耕太郎)

韓国若手作家による「4つの方法」

会期:2009/06/08~2009/07/02

ガーディアン・ガーデン[東京都]

ガーディアン・ガーデンで1994年から開催されている「アジアンフォトグラフィー」シリーズの第6弾。今回は韓国の写真評論家、キム・スンコンのキュレーションで、韓国の「若手作家」4人の作品を紹介している。
出品しているのはユー・ジェーハク、キム・オクソン、パク・スンフン、クォン・ジョンジュン。大地に繁茂する植物群を大判カメラで静かに凝視するシリーズ(ユー)、国際結婚したカップルを自室で撮影したポートレート(キム)、16ミリフィルムの画像を織り込むようにして構成した都市の光景(パク)、林檎をクローズアップした写真を箱形に再構成した立体作品(クォン)と、制作のスタイルはバラバラで、まったく統一感がない。韓国でも、90年代のように、ある一つのスタイルが一世を風靡して強い影響力を持つような時期は過ぎ去ってしまったのだろう。
以前は韓国の現代写真というと、荒々しいエネルギーを全面に押し出した力強い作品が多かった。それが、今回の作品を見ると、洗練され、細やかな配慮が感じられるものになっている。そのやや弱々しく、おとなしい傾向は日本の美術系大学の出身者にも共通しているものだが、本当にそれでいいのかとちょっと心配になってくる。韓国写真の「日本化」は、あまり望ましいこととはいえないだろう。それともこの過渡期を経て、何か新たなうごめきが湧き起こってくるのだろうか。

2009/06/12(金)(飯沢耕太郎)