2020年11月15日号
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artscapeレビュー

2020年11月15日号のレビュー/プレビュー

分離派建築会100年展 建築は芸術か?

会期:2020/10/10~2020/12/15

パナソニック汐留美術館[東京都]

建築は芸術か否か。いまから100年前の1920年、東京帝国大学建築学科の学生6人がそんな議論を熱く交わした。歴史を俯瞰してみると、その少し前の1911年に欧州では理論家のリッチョット・カニュードが著書『第7芸術宣言』を著し、映画を7番目の芸術であると宣言した。では、その前提となった6つの芸術とは何か。それは音楽、詩、舞踏(時間芸術)、建築、彫刻、絵画(空間芸術)で、実は建築はすでに芸術に含まれていたのである。本展の主旨を知り、そんなことを思ったが、当時の日本と欧州とでは置かれている状況が違いすぎた。日本は明治維新後、西洋の様式建築をひたすら吸収し、ようやく身に付けた頃だったという。そのうえで日本人が目指すべき建築とは?を模索し始めた、言わば分岐点だったのだ。

とはいえいまの感覚からすると、芸術という言葉がかなり重たく、またその意味も変容しているので、あえて勝手に解釈するとすれば、「建築に審美性は必要か」となるのではないか。これはデザインに置き換えることもできる。デザインは芸術ではないが、「デザインに審美性は必要か」となる。どちらも答えはイエスだ。現代ではそんな風に当たり前に答えられることも、100年前の当時、学生たちは青臭く議論し、行動に起こし、建築運動にまで発展させた。いや、彼らの運動があったからこそ、いま、我々は当たり前のものとして答えられるのかもしれない。

分離派建築会創立時の集合写真 1920(大正9)年2月3日[写真協力:NTTファシリティーズ](展示期間:10月10日~11月10日)

本展は分離派建築会の始めから終わりまでを追った色濃い内容である。第一回作品展で発表した迫力ある卒業設計、ロダンをはじめ欧州の彫刻に影響を受けた大胆な模型、農村に設計した新しい形の住宅、関東大震災からの復興、モダニズム思想との出合いなど。どれも独自の審美性を持ち、たくましくも美しい建築を志向していて、とてつもないエネルギーを感じた。もうひとつ私が注目したのは、1918〜1920年は世界中でスペイン風邪が大流行した時期ということだ。奇しくも、いまは新型コロナウイルス感染症が蔓延する時期である。つまり彼らはパンデミックを乗り越え、この建築運動を起こしたのだ。ということは、我々の未来にも希望が残されているのか。良い意味で歴史は繰り返すことを期待したい。

山田守 卒業設計 国際労働協会 正面図 1920(大正9)年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻(展示期間:10月10日~11月10日)

瀧澤眞弓 《山の家》 模型 1921(大正10)年/再制作:1986年 瀧澤眞弓監修

堀口捨己 紫烟荘 1928(昭和3)年 『紫烟荘図集』(洪洋社)所収、東京都市大学図書館


公式サイト:https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/20/201010/

2020/10/09(金)(杉江あこ)

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いきることば つむぐいのち 永井一正の絵と言葉の世界

会期:2020/10/09~2020/11/21

ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]

照明を落とした薄暗闇の空間に林立する、かわいらしくも、どこか悲しみを帯びた動物たちの絵。その間を縫うようにして言葉が立ち並び、印象的にスポットライトを浴びている。「人と違っているから、生きる意味が生まれる。」「本物の美と出会う。自分が問い直される。」など、どれもシンプルなメッセージでありながら、時々、ハッとさせられてしまう。この絵と言葉の“森”とも言うべき空間に身を置いていると、不思議と心が静かに、安らかになるのを感じた。コロナ禍を経て、ギャラリーは展覧会を通していったい何を発信すべきなのか。そのひとつの答えが本展であるようだ。2020年、我々は多くのことを考えさせられたし、さまざまなものの価値観が変わった。だからこそ「いったん立ち止まって、すべてを考え直す時期にきている。」という言葉が心にグッと響いた。

展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリー1階[写真:藤塚光政]

本展は、グラフィックデザイナーの永井一正が上梓した著書『いきることば つむぐいのち』が基となり生まれた企画だ。言うまでもなく、永井は戦後のデザイン創世記を築いた重鎮である。札幌冬季オリンピックをはじめ、JA、三菱UFJフィナンシャル・グループ、アサヒビールなど、誰もが知るロゴマークを数多く手がけてきた。その一方で、ライフワークとして動物の命をモチーフにした「LIFE」シリーズを描き続けている。フリーハンドによる線画や緻密な点描画、そして手の込んだ銅版画まであり、その取り組みには並々ならぬエネルギーを感じる。本展で展示された絵も、すべて「LIFE」シリーズから厳選された作品だ。永井が「LIFE」シリーズを通して訴えるのは、すべての命との「共生」である。この地球上でこれから人間はどう生きるべきか。まさに「いったん立ち止まって、すべてを考え直す時期にきている。」のだ。

冒頭でも述べたが、どれもシンプルなメッセージであるのに、時々、ハッとさせられるのは、おそらく今年91歳を迎えた永井の言葉だからこそだろう。それは100歳前後の人が書いた“アラハン本”が売れるのと同じ構造で、我々は人生の大先輩から生きる術を優しく教えてもらいたいのだ。コロナ禍で心が揺らいでいるいまだからこそ“効いた”展覧会だった。

展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリーB1階[写真:藤塚光政]


公式サイト:https://www.dnpfcp.jp/gallery/ggg/jp/00000768

2020/10/09(金)(杉江あこ)

さいたま国際芸術祭2020

会期:2020/10/17~2020/11/15

メインサイト:旧大宮区役所/アネックスサイト:旧大宮図書館/スプラッシュサイト:宇宙劇場、大宮図書館、埼玉会館、鉄道博物館ほか[埼玉県]

2020年3月に開催される予定だった「さいたま国際芸術祭2020」が、コロナ禍のため半年以上のブランクを余儀なくされた後、ようやく公開された。しかし新型コロナウイルス感染拡大が懸念される一部の作品については、展示が中止になるなど、いろいろな苦難を乗り越えての芸術祭である。テーマは「花/flower」であるが、会場を訪れて感じたのは、むしろ「廃墟」という裏テーマのような背景であった。何しろメインサイトは旧大宮区役所、アネックスサイトは旧大宮図書館である。おそらく同芸術祭のディレクターがこうした場を利用することが得意なのだろう。かつて大勢の人々が出入りし活動していた場が、人の気配だけをなくし、そのまま残されている。それが大きな存在感として横たわり、展示作品はそれをいかに生かすか、もしくは共存するかにかかっているようにも感じた。同ディレクターは「花をモチーフとして捉えるのではなく、テーマとして考えること」と語っている。もしかして芽吹き、生長し、咲き、散り、種を落とすといった花の循環を考えるメタファーとして、この廃墟をわざわざ選んだのか。

例えばメインサイトで展示されていた篠田太郎の作品は、もともとあった「支援課」「高齢介護課」などのサインが天井からぶら下がる空間に、いくつもの砂山をつくり、シュールな風景をつくり出していた。シュールではあるが、静謐で、まるで「つわものどもが夢の跡」とでも言わんばかりである。もし地球から人類が急に消えたとしたら、このような風景になるのだろうかと想像してしまう。また、メインサイトの薄暗い地下空間を使ってドラムセットなどを展示した梅田哲也の作品は、一体どこまでが作品で、どこまでが何も手を加えていない廃墟なのか、その境が曖昧で、まるでお化け屋敷を覗くようなドキドキ感をともなった。一方、「花/flower」のテーマを明確に組み込みながら、かつての場の記憶をスパイスとして生かし展示していたのがミヤケマイの作品だ。もともとあった「外国人生活相談室」のサインから始まり、移動を余儀なくされる移民や女性ら弱者への視点、また生物のはかなさや循環などを、工芸的手法で丁寧につくられた作品群を通して問いかけていた。

展示風景 メインサイト 篠田太郎《ニセンニジュウネン》

展示風景 メインサイト 梅田哲也《0階》[撮影:丸尾隆一/写真提供:さいたま国際芸術祭実行委員会]

展示風景 メインサイト ミヤケマイ《胡蝶之夢》

コロナ禍を経験したことで、同芸術祭はオンラインとオンサイト(会場)の両方で鑑賞できる体制となった。しかしオンラインではわずかな紹介に過ぎず、やはり会場まで足を運ばなければ作品を真に理解し体験し得なかったことを、最後に付け加えておきたい。


公式サイト:https://art-sightama.jp

2020/10/16(金)(杉江あこ)

フィリップ・ワイズベッカーが見た日本 大工道具、たてもの、日常品

会期:2020/10/02~2020/11/20

GALLERY A4(ギャラリー エー クワッド)[東京都]

海外旅行に行くと、街中や宿泊先にあるもの何もかもが珍しく映り、ワクワクする。それは日常的な道具や設備であればあるほどだ。例えば信号機や標識、ポスト……。母国の見慣れたものとは形やサイズ、仕様が違うだけで、その違いがなぜか愛おしく思えてくる。だから、何でもないものをつい写真に収めてしまったという経験はないだろうか。フィリップ・ワイズベッカーの創作の原点もそんな心情にあるのではないかと、本展を観て感じた。もちろん彼の場合、写真ではなく、ドローイングとして残しているのだが。

展示風景 GALLERY A4[撮影:光齋昇馬]

ワイズベッカーはフランス政府によるアーティスト・イン・レジデンスの招聘作家として、2004年、京都に4カ月間滞在した経験があるという。また東京2020オリンピックの公式ポスターをはじめ、日本での広告仕事や展覧会も多く、日本との縁は深い。そんな彼が日本滞在中に見たものが本展の主題だ。例えば綿密に描写された畳敷きの和室などは、日本らしい風景としてうなずけるのだが、いかにも和のものばかりではない。小さな工場か倉庫のような素朴な建物、トラックの荷台シート、立ち入り禁止のために道路に置かれたバリア標識、ゴミ箱など、一見、何でもないものを徹底的に観察し、それらにはさまざまな形状があることを知らせる。決して美しいものではないのに、彼の手にかかると、それらはまるで魔法をかけられたように愛おしいものへと変わる。その根底にあるのは、ものへの執着であり愛だ。そう、ワイズベッカーの圧倒的な愛を感じた展覧会だった。

展示風景 GALLERY A4[撮影:光齋昇馬]

本展の見どころは、竹中大工道具館の企画ということもあり、日本の大工道具である。鋸(のこぎり)、曲尺(かねじゃく)、墨壺、鉋(かんな)、鑿(のみ)といった伝統的な大工道具やさまざまな木目を写した木片などが、年月を経た古紙に描かれていて圧巻だった。また、パリにあるアトリエをワイズベッカー自らが紹介する映像のなかで、鋸について触れる話も興味深かった。それは「欧米では押して、日本では引いて切るという違いがある。私は絵を描く人間だから、引く方がずっと使いやすい。日本の鋸は私にとって素晴らしい発見だった。そのうえ美しいので気に入っており、しょっちゅう使っている」というのである。そんな視点で日本の鋸が称賛されるとは! 我々も身の回りにある日用品をもう少し自信を持って、いや、愛を持って見直してもいいのかもしれない。

展示風景 GALLERY A4[撮影:光齋昇馬]


公式サイト:http://www.a-quad.jp/

2020/10/17(土)(杉江あこ)

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ダムタイプ 新作パフォーマンス『2020』上映会

会期:2020/10/16~2020/10/18

ロームシアター京都 サウスホール[京都府]

18年ぶりのダムタイプの新作として今年3月に上演予定されるも、コロナ禍で直前に中止となった『2020』。無観客で収録、編集した映像が、収録場所と同じホールで上映された。

冒頭、暗闇のなか、ライトが振り子のように左右に揺れ続ける。前作『Voyage』(2002)のシーンを直ちに想起させるこの導入は、18年の歳月の隔たりを埋めて前作との連続性やバトンタッチを示唆する仕掛けだ。舞台中央を円周状に進みながら静謐なダンスシークエンスを展開する女性パフォーマー。静謐な所作と次第に増幅する電子音、そして轟音のなかで波しぶき/吹雪のように乱舞する白い光の嵐。暴力性と美しさが拮抗に達したとき、その床面を飲み込むかのような巨大な皆既日食の影が落ち、正方形の深い「穴」が舞台中央に残される。この穿たれた「穴」の周囲で本作は展開する。



[撮影:井上嘉和]


男性中心主義からの脱却、「テクノロジーとの融合」に加えコロナ禍の予言的ですらある「まばたきによるコミュニケーション」のシーンを経由して、人間中心主義への決別と未知の生物との融合・変態へ。本作の構造はこのように要約できるだろう。匿名的で均質的なスーツを着た5人のパフォーマーが登場し、足を広げて座る、腕組みなど「男性的」なポーズとともに苛立ちを募らせていく。「穴」と呼応するような正方形のスクリーンで顔を遮断された彼らは、ひとり、またひとりとスクリーンの手前に現われ、スーツを穴の中へ脱ぎ捨てると、カラフルなワンピースやスカートがその下から姿を現わす。監視カメラのモノクロ映像をグリッド状に映していたスクリーンは、トランプ、プーチン、習金平のモザイク画像に変貌する。図式的だが、記号化された男性の抑圧性、攻撃性、匿名性から、女性と個人としての解放が提示される。

また、2019年3月に行なわれたワークインプログレス公演で披露された3つのシーンのうち、「まばたきによる会話」のみが最終的に採用された。水着姿の2人の女性パフォーマーが横たわり、顔のアップがスクリーンにライブ投影される。まばたきに合わせ、一音ずつ区切った録音音声が流れ、「さみしい」「いいわけ」「さようなら」など心情や挨拶などコミュニケーションに関わる単語が星座のように浮遊する。「これが、コミュニケーションのさいしん」というメタな台詞は、コロナ禍への予言とともに、機械による身体機能の拡張を示す。



[撮影:井上嘉和]


ラストシーンでは、電子音と映像の競演のなか、白い全身タイツに身を包んだパフォーマーが、仰向けの体勢でゆっくりと四肢をくねらし、性別、人間/軟体動物の境界すら超えた未知の生物の目覚めを目撃するかのようだ。彼女が背中から穴の中へダイブする幕切れは、『S/N』(1994)のそれを反復する。セクシュアリティ、人種、国籍、障害といった分類のラベルや境界とその暴力性、HIV+と国家による性の管理や統制について問う『S/N』において、「壁の上から向こう側へ落下」するパフォーマーたちの身体は、「銃殺/向こう側への命懸けの逃走や境界の越境」を体現し、絶望と希望が同居する両義性に満ちていた。一方、本作は、「人間(中心主義)への決別」という終末的トーンが漂う。



[撮影:井上嘉和]


このように、冒頭とラストでそれぞれ過去作の象徴的なシーンを「引用」した本作は、「洗練された音響や映像と身体パフォーマンスの融合」という既存の「ダムタイプ」像を良くも悪くも超え出て更新するものではなかった。ただ、ラストシーンに初参加の若い世代(アオイヤマダ)を起用した点には、「世代交代」「新陳代謝」の意図も読み取れる。本来は、大型フェスティバル「KYOTO STEAM─世界文化交流祭─2020」のプログラムの目玉として予定されていた本作。プロデューサー主導の流れではなく、メンバー自身の自発的な創作動機や更新となるかは、むしろ今後の展開にかかっている。

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ダムタイプ 新作ワークインプログレス 2019|高嶋慈:artscapeレビュー(2019年04月15日号)

2020/10/17(土)(高嶋慈)

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