2018年07月15日号
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artscapeレビュー

壷井明 連作祭壇画 無主物 3.11を描く

2016年11月01日号

会期:2016/10/01~2016/11/12

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

無主物とは、文字どおり、主の無い物。福島第一原発事故で飛散した放射性物質の責任を問う裁判で、被告の東京電力が、その汚染除去の責任を免れるために採用した理屈である。いわく「飛散した放射性物質は誰のものでもない無主物である」。このあまりにも一方的な言い草に憤激した壷井は、原発事故をめぐる出来事を主題にした祭壇画を制作し始めた。
その祭壇画とは、3枚のベニヤ板を連結した横長の画面に、仮設住宅で暮らす被災者や白い防護服で全身を固めた原発作業員、そしてさまざまな動物たちを描いたもの(壷井が人間と動物を並列して描写している点はきわめて重要である)。すべて、あの事故の当事者たちだ。特徴的なのは、いずれの図像も黒い線でしっかりと縁取られている点に加えて、随所に言葉が描きこまれている点である。壷井は、被災者たちが語る肉声をそのまま画面に含めたり、新たに描き足した図像についての解説文を絵画とは別に添付したり、とにかく自分が得た知見をなんとかして鑑賞者に伝達しようと努めている。それゆえ鑑賞者は、絵画を「見る」だけではなく「読む」ことを求められるのだ。図像と文字で構成された祭壇画の前で、私たちは茫然と立ち尽くすことを余儀なくされる。そこには、私たちの知らない被災者や原発作業員の生々しい「声」が埋め込まれているからだ。
画面から文字や言葉を徹底的に排除することを求めたモダニズムとは対照的に、壷井はおそらく絵画を純然たるメディアとして考えているのではないか。事実、壷井は自らが描いた祭壇画を脱原発デモの現場などで展示してきた。それは、美術館や画廊では望めない野外展であることにちがいはないが、注目したいのは、そうした露出展示そのものが、ある種のメディアとして機能している点である。それは、美術館や画廊には訪れないが脱原発問題には関心のある人々にとって、壷井の祭壇画を鑑賞する機会になりうるからであり、同時に、壷井にとっても、彼らとの交流によって祭壇画に新たな図像を加筆する契機になりうるからだ。つまり壷井の「祭壇画」を結節点として、じつにさまざまな人々が連結しているのであり、それは祭壇画には直接的に描写されずとも、確かなイメージとして鑑賞者の眼前に立ち現われているのである。
かつて丸木位里・俊が描いた《原爆の図》は全国を巡回することで知られざる被爆のイメージを形成することに大いに貢献した。壷井は、メディアとしての祭壇画を徐々に拡充することで、急速に忘却されつつある被曝のイメージをなんとかして確立しようとあがいている。その途中経過を見守ることは、脱原発という同時代的なリアリティの観点からだけではなく、絵画の未来を模索するうえで、私たちにとって必要不可欠な身ぶりではないか。

2016/10/16(日)(福住廉)

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