2018年01月15日号
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artscapeレビュー

Chim↑Pom 「また明日も観てくれるかな?」

2016年12月01日号

会期:2016/10/15~2016/10/31

歌舞伎町振興組合ビル[東京都]

Chim↑Pomの醍醐味は、同時代における政治的社会的な問題への先鋭な意識と、それらを体現する桁外れな想像力の強度である。時として作品の重心が前者に傾きすぎると奇妙に優等生的で退屈になりがちであり、後者に傾きすぎると社会を騒乱させる「お騒がせ集団」というレッテルを貼られがちだという難点がないわけではない。だが、その両極のあいだで絶妙な均衡感覚を保ちながら生き延びてきた粘り強い生命力こそ、彼らの類い稀な特質なのかもしれない。
本展は新宿歌舞伎町の一角に立つ古い雑居ビルで催された彼らの自主企画展。ギャラリーの後援も企業や自治体による支援もないまま、建物の全体をほぼ丸ごと使用しながら空間の隅々に作品をインストールし、あるいはその空間全体を作品化した。この雑居ビルは、前回の東京オリンピックが催された1964年に建造され、次回の開催が予定されている2020年を前に解体が決定していることから、これまでのChim↑Pomの作品の多くがそうであったように、過去と現在と未来という時間軸を強く意識させる展観になっていた。
なかでも最も際立っていたのが、2階から4階までの会場の床を位置と大きさをそろえて切り落とした作品。4階から床に開けられた穴を見下ろすと、1階まで抜ける高さに恐怖を禁じえない。ところがほんとうに恐ろしいのは、むき出しにされた床の断面である。そこに認められる鉄筋の数が想像を超えて少なかったからだ。重力に逆らいながらも私たちの文明的な日常生活を支えているはずの土台が、思いのほか不安定で寄る辺ないもののように見えることが衝撃だったのである。むろん、こうした不安の感覚は911が起こったときに否応なく味わったという点で、決して新しいものではない。だが歌舞伎町のど真ん中に穿たれた巨大な穴は、究極的には重力に敗北せざるをえない建築の宿命とは、やや性質を異にしていると思われる。
端的に言えば、それは建築の敗北というより、むしろ戦後民主主義の敗北ではなかったか。というのも、この底抜けの感覚は昨今の政治的社会的な状況の正確な反映として考えられるからだ。民主主義という制度と思想が戦後の日本社会の復興と繁栄を領導してきたことは事実だとしても、主権在民という原則を足蹴にする極右政権の誕生と持続は、それが必ずしも人間の善と幸福を約束するわけではないという事実を改めてつきつけた。戦争の放棄を謳う平和憲法をないがしろにする政策や、沖縄の米軍基地をめぐる問題について民意を無視した強行政策に見られるように、民主主義という理念はいままさに骨抜きにされつつある。それまで民主主義を信奉してきた者さえ、その価値に疑いの眼差しを向けているほど、それは大きな危機に瀕していると言わねばなるまい。これまでの戦後社会を支えていた土台が次々となし崩しにされているという点で言えば、私たちは確実に落ちているはずなのだが、社会全体が周囲の風景を巻き込みながら落ちているせいだろうか、落下の感覚すらおぼつかない。あの1階まで抜けた穴を見下ろしたとき、私たちは落下するかもしれないというより、むしろいままさに落ちていることを想像的に思い知るのである。その反動として思わず上を見上げたとしても、そこにはジェームズ・タレルの作品のように解放感あふれる大空があるわけではなく、薄汚れた5階の床がまるで私たちの未来に蓋をするかのように広がっている。それゆえ結局のところ、私たちは果てしなく落ちていくイメージに束縛されながら、自らの脚で階段を降りていくほかないのだ。
しかしChim↑Pomの今回の作品が優れているのは、物質を大胆に工作することで、そのような社会状況をみごとに体感させているからではない。最下層の1階に降り立つと、そこで眼にするのは、積み上げられた3枚の床。2階から4階までの切り抜いた床を、そのまま下におろし、ビル内にあった色とりどりの家具や事務用品なとの廃物を挟み込んだ。コンクリート製の床面をバンズに、廃物を具材に、それぞれ見立てたハンバーガーのような作品である。つまり切り抜いた床は本来的には落下すると粉砕される可能性が高いが、彼らはそれらを自分たちに馴染みのある造形として反転させたわけだ。《スーパーラット》が渋谷の雑踏でたくましく生きる自分たち自身の自画像だったように、この作品もまた私たちの現在地を刻んでいると言ってよい。
落ちつつも、単に滅びるのではなく、再び立ち上げること。あるいは、なんとかして立ち上がろうともがくこと。ここにこそ、Chim↑Pomならではの思想が表わされている。例えば坂口安吾が扇動したように、滅びの時代にあっては、堕落の道を極めることもありえよう(『堕落論』)。だが、Chim↑Pomの時代感覚はあくまでも同時代的である。どれだけ過去を振り返り未来を見通したとしても、彼らの関心はいかにしていまを生きるかという点にあるからだ。過去や未来はあくまでも現在の輪郭を明確にするための参照点であり、未来の光明を信じて現在の滅びをよしとすることはありえない。そこに、Chim↑Pomのしぶとい生命力の源がある。

2016/10/24(月)(福住廉)

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