2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

奥山由之「As the Call, So the Echo」

会期:2017/11/18~2017/12/24

Gallery 916[東京都]

奥山由之の新しい写真集『As the Call, So the Echo』(赤々舎)は、これまで彼の写真を見てきた読者にとって、やや意外な印象を与えるものになった。奥山といえば、目に飛び込んでくる現実世界の断片を、軽やかに掬い取り、撒き散らしていくような作風が特徴的なのだが、今回の写真集には東京から長野県に移住した友人、「哲朗さん」とその家族の日常を撮影した写真が大きくフィーチャーされている。被写体としっかりと向き合ってシャッターを切った写真も多く、「私写真」的な雰囲気が色濃い。
ちょうどデビュー写真集となった『BACON ICE CREAM』(PARCO出版、2015)を完成させた頃から、奥山は「急に音が聞こえなく」なり、「目にするもの全てがグレーに見えた」時期があったのだという。自己と現実世界とのズレが極限状態に達したということなのだろうが、そんな引きこもり状態の時期に「哲朗さん」と出会い、彼とその家族(奥さんと幼い息子)を撮影するうちに、再び「前向きな喜び」を感じられるようになった。つまりそれらの写真は、奥山にとって、写真家としての原点回帰としての意味を持っていたということだろう。
とはいえ、写真集として刊行された『As the Call, So the Echo』も、916で開催された同名の個展も、一筋縄ではくくれないつくりになっている。写真はⅰ~ⅳの4部に分かれており、そのうちⅱとⅳは気持ちのよい波動が伝わる家族写真だが、ⅰとⅲにはなんとも不穏な気配の漂う、奇妙な雰囲気の写真が集められているのだ。「彼が作り上げたプールでの出来事」(ⅰ)と「吉祥寺キチムでの小さな舞台」(ⅲ)を撮影した写真群は、ほとんどがブレていて、光と色に暴力的に浸透されており、どうも居心地がよくない。なぜこのような構成にしたのか不思議に思っていたのだが、12月10日に916で開催された奥村とのトーク・イベントに参加して、ようやく納得することができた。つまり、これらの写真群は、奥山が長野の「哲朗さん」の家とその周辺で経験した出来事を、いったんフィルターにかけて濾過して出現させた、いわば彼自身の脳内環境の写しとでもいうべきイメージだったのだ。
あらゆる出来事が、外在的な現実(意識)と内在する幻影(無意識)とに分化して、しかも表裏一体となってあらわれてくるという考え方はとても興味深い。その2つの世界をつなぐ役目を果たしているのが、「水」のイメージなのだという。916での写真のインスタレーションも、そのⅰ~ⅳの構成プランに対応して、細部まできっちりと組み上げられていた。写真家としての奥山の本領がようやく発揮できるようになってきたのではないかと思う。加速度的に成長しつつある彼の次の展開が楽しみだ。

2017/12/10(飯沢耕太郎)

石内都「肌理(きめ)と写真」

会期:2017/12/09~2018/03/04

横浜美術館[神奈川県]

2017年はよく練り上げられたいい写真展が数多く開催されたが、1977年のデビュー展「絶唱、横須賀ストーリー」から40周年という区切りで企画された石内都の「肌理と写真」は、まさにその締めくくりにふさわしい内容の展覧会だった。
展示は、石内が暗室を構えていた横浜を舞台とした作品を集成した「横浜」、出生地の群馬県桐生市の特産物であり横浜とも輸出品としてかかわりの深い絹織物をテーマとした「絹」、女性の身体に残る傷を撮影した「Innocence」と『苦海浄土』の作者である作家の石牟礼道子の手、足を接写した「不知火の指」からなる「無垢」、いまやライフワークとなった「ひろしま」と「Mother’ s」、「フリーダ」の3作品をまとめた「遺されたもの」の4つのパートで構成されている。全240点近いそれらの作品のほかに、写真展示室では横浜美術館が所蔵している「絶唱、横須賀ストーリー」の55点のヴィンテージ・プリントも見ることができた。部屋の壁を塗り分け、壁一面に大小の写真を展示するインスタレーションも見事な出来栄えで、このところの石内の写真作家としての充実ぶりがよくあらわれていた。
実際に写真を見ていくと、石内自身が選んだというタイトルの「肌理」という言葉が、彼女の作品世界を貫くキーワードであることがよくわかる。石内は多摩美術大学在学中に染織を学び、写真家として活動し始めてからも銀塩写真の印画紙の粒子の表現にこだわり続けてきた。対象物を視覚的ではなく触覚的に捉えるやり方は、彼女のなかにしっかりとプログラミングされていて、「肌理」を指で触り、目で追う愉しさこそ、写真家としての活動の原動力となっているということだ。この展覧会を置き土産として、石内は来年、住み慣れた横浜を離れて桐生市に移住するという。そのことで、彼女の写真がどんなふうに変わっていくのか、大きく期待が膨らむ展示だった。

2017/12/08(飯沢耕太郎)

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村越としや「沈黙の中身はすべて言葉だった」/「月に口笛」

会期:2017/11/25~2017/12/22

CASE TOKYO/tokyoarts gallery[東京都]

村越としやがCase Publishingから写真集を2冊刊行し、それに合わせて展覧会を開催した。『沈黙の中身はすべて言葉だった』は、2011~15年にかけて福島県各地を撮影したパノラマサイズの写真群を集成している。故郷の須賀川市の周辺も大きな被害を受けた2011年の東日本大震災以降、村越の写真の質が変わったことは間違いない。画面全体を把握していく構築力が強まり、緊張感を孕んだ風景を定着することができるようになった。それにつれて、写真のフォーマットも流動的に選択するようになり、6×6判、6×7判、パノラマサイズなどを自在に使いこなしている。展覧会の会場のCASE TOKYOには、プリントのほか印刷に使用した刷版なども同時に展示され、写真集ができ上がっていくプロセスを追体験できるように構成されていた。
一方『月に口笛』は、まだ写真を始めたばかりの頃の2000年代初頭のネガをもう一度見直し、新たにセレクトして再プリントした作品集である。風景の細部に眼を凝らし、湿り気のある空気感を丁寧に写しとっていく作風が、すでにでき上がりかけていたことがわかる。こちらはtokyoarts galleryの空間に、オーソドックスにフレームに入れた写真が並んでいた。どちらも、きちんと組み上げられたいい展示だし、田中義久がデザインした写真集の出来映えも悪くない。ただ、どことなくピクトリアリズム風の、閉じられた世界に引き込まれつつあるのではないかという危惧感も覚える。両写真集のタイトルが示すように、村越は言葉をしっかりと使いこなす才能にも恵まれている。小さくまとまらず、多方向に大きく開いていくような作品に向かうべきではないだろうか。

2017/12/05(飯沢耕太郎)

アーティスト・プロジェクト#2.02 北野謙:光を集める

会期:2017/10/07~2017/12/10

埼玉県立近代美術館[埼玉県]

「アーティスト・プロジェクト#2.02」は「収蔵作家という制約にとらわれず、活躍中のアーティストを選出」し、埼玉県立近代美術館1階のスペースに作品を展示するプログラムである。その第2回目にあたる今回は、北野謙が新作を含む16点を出品していた。
「光を集めるプロジェクト」(6点)は埼玉県立近代美術館の屋上を含む各地にカメラを設置し、半年間露光して得られた画像をスキャン、調整してプリントしたシリーズである。画面には季節の変化によって少しずつ移動していく太陽の軌跡が、都市空間を貫くように斜めに写り込んでいる。曇りや雨の日には光の軌跡が途切れ、時にはゆらめくようなフレアーが出現する。長時間露光によって、太陽と都市とが織り成すダイナミックな眺めがあらわれてくるのだが、それがどのように形をとるかは、やってみなければわからない。
もうひとつの新作の「未来の他者」(5点)も意欲的なシリーズである。誕生してから4日のあいだに撮影された新生児の、複数のイメージを多重露光すると、手足をゆるやかに動かす画像が重なり合って、思いがけない形が見えてくる。北野のこれまでの多重露光作品は、複数の他者の像を合成したものだったが、ここでは単独の個体の姿が定着されている。ほかにこの2つの新作を繋ぐように、実質的なデビュー作である都市風景の長時間露光のシリーズ「溶游する都市/Flow and Fusion」(5点)が展示されていた。
本人は否定的なようだが、これらの写真群には山崎博との共通性があるのではないかと思う。特に「光を集めるプロジェクト」は、太陽の軌跡の定着というコンセプトが、山崎の「HELIOGRAPHY」と同じなので、余計にそんなふうに感じた。いかに厳密に作業を進めていったとしても、どこか予想不可能な揺らぎが入り込んでしまう、そんな「計画と偶然」のダイナミズムは、山崎から北野へと受け継がれ、さらに大きく開花しようとしているのではないだろうか。なお、東京・恵比寿のギャラリーMEMでも、同時期に北野の個展「光を集めるプロジェクト」(11月25日~12月24日)が開催された。

2017/12/01(飯沢耕太郎)

Lily Shu「ABSCURA_04」

会期:2017/11/29~2017/12/10

72 Gallery[東京都]

Lily Shu(周浩)は1988年、中国・ハルピン生まれ。埼玉大学、イギリスのケント大学などで芸術論を学び、現在は東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科に在学中である。イギリス滞在中から、時間や記憶をテーマとする映像表現を試みていたが、このところ急速に写真に対する関心を深め、第33回東川町国際写真フェスティバルの「赤レンガ公開ポートフォリオオーディション2017」でグランプリを受賞したことが、本展の開催に結びついた。
タイトルの「ABSCURA」というのはShuの造語で、「abstract(抽象)」と、もともとは「部屋」という意味を持つ「obscura」(camera obscuraは写真機の前身)を合体した言葉だという。撮影されているのは、彼女が「東京でひとり暮らすアパート」の「20平米足らずの空間」の中で起こった出来事の断片であり、そこには中国からやって来て短期間同居していた両親、「親密な他者」、そして自分自身の身体の一部などが写り込んでいる。それらのかなり生々しい感触の画像と、素っ気なく抽象化して撮影された「04号室」のインテリアの画像とが絡み合い、衝突しあって、まさに物質化した記憶の集積としか言いようのない写真群が生み出されてくる。ユニークな経歴と世界観を持つ写真家のデビューにふさわしい、初々しさとスケール感を両方とも兼ね備えたとてもいい展示だった。あたかも母親の胎内を思わせるこの小さな部屋から、彼女がどんな風に外に出て歩み続けていくのか、次の展開がとても楽しみだ。

2017/11/29(水)(飯沢耕太郎)

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