2018年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

松本美枝子「ここがどこだか、知っている。」

会期:2017/09/05~2017/09/29

ガーディアン・ガーデン[東京都]

松本美枝子は1974年、茨城県生まれ。1998年に実践女子大学文学部卒業後、写真家として活動し始める。写真集『生あたたかい言葉で』(新風舎、2005)、谷川俊太郎との共著『生きる』(ナナロク社、2008)など、日常を細やかに観察しつつ、思いがけない角度から描き出していくスタイルを確立していった。
今回のガーディアン・ガーデンでの個展でも、いかにも松本らしい思考と実践とを一体化した写真の展示を見ることができた。日付け入りの家族写真を再提示した「手のひらからこぼれる砂のように」(2017)、「古生代ゴンドワナ超大陸の海底あるいは高鈴山」、「震災による地盤沈下で消滅した砂浜あるいは河原子海水浴場」の2部から成る「海は移動する」(2017)、東海JCOの臨界事故をテーマにした「想起する」(2017)、日々のスナップ写真をアトランダムに上映する「このやり方なら、知っている。/ここがどこだか、知っている。」(2011~2016)、鳥取藝住祭で滞在制作した「船と船の間を歩く」(2014)、2面マルチのスライドショー「考えながら歩く」(2017)といった作品群は、一見バラバラだが、「時間と、それが流れる場所と、その中に生じる事象について、できるだけ考え続け観察する」という松本の一貫した姿勢を感じられるものになっていた。
特に興味深かったのは、会場の3分の1ほどのスペースを使ったスライドショー、「考えながら歩く」で、天気予報や歌などの日常の音と映像とが少しずつズレたりシンクロしたりしながら進行することで、観客の意識に揺さぶりをかけるつくりになっていた。われわれが「絶えず揺れ動く世界の際」にいることが、一見穏やかだが、微妙な裂け目を孕んだ映像の集積によって提示されている。展示を見ながら、そろそろ次の写真集もまとめてほしいと強く思った。

2017/09/13(水)(飯沢耕太郎)

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平敷兼七「沖縄、愛しき人よ、時よ」

会期:2017/09/04~2017/10/29

写大ギャラリー[東京都]

平敷兼七(へしき・けんしち)は1948年、沖縄県今帰仁村運天の生まれ。沖縄工業高校デザイン科卒業後、1967年に上京して東京写真大学(現・東京工芸大学)に入学するが、2年で中退する。東京綜合写真専門学校に入り直して、同校を72年に卒業している。その後、沖縄とそこに生きる人々を柔らかな温かみのある眼差しで撮り続けたが、その仕事がようやく評価されるようになるのは、亡くなる2年前、2008年に銀座ニコンサロンで個展「山羊の肺 沖縄1968─2005年」を開催し、第33回伊奈信男賞を受賞してからだった。だが、没後も展覧会や写真集の刊行が相次ぎ、あらためてその独自の作品世界に注目が集まっている。今回の写大ギャラリーの展覧会には、代表作の「山羊の肺」のシリーズから78点、ほかに沖縄出身者が入寮する東京都狛江市の南灯寮での日々をスナップした写真群から63点が展示されていた。
平敷の写真は一見、目の前にある被写体に何気なくカメラを向けた自然体のスナップショットに見える。だが、「山羊の肺」の「『職業婦人』たち」のパートにおさめられた写真の「前借金をいつ返せるか毎日計算する」、「客に灰皿をもって行く子ども」といったキャプションを読むと、彼が沖縄の現実と人々の生の条件を深く考察し、時には辛辣とさえ思える批評的な眼差しでシャッターを切っていることが見えてくる。亡くなる2日前の日記には「人生の結論は身近にあり、身近の人物達、身近の物達、それらを感じることができるかが問題なのだ」という記述があるという。あくまでも「身近」な被写体にこだわり続けながら、「感じる」ことを全身全霊で哲学的な省察にまで昇華させようとした写真家の軌跡を、もう一度きちんと辿り直してみたい。

2017/09/08(金)(飯沢耕太郎)

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田代一倫「ウルルンド」

会期:2017/09/05~2017/09/24

photographers’ gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]

田代一倫は2013年に東日本大震災の被災地域を中心に撮影したポートレートの写真集『はまゆりの頃に 三陸・福島2011~2013年』(里山社)を刊行した。丁寧に向き合って撮影した「肖像写真453点と覚え書き」で構成されたこの写真集は、「震災後の写真」のあり方を模索した成果として高い評価を受けた。田代にとって、このシリーズの次のかたちを見出すことは簡単ではなかったのではないかと想像できる。その後photographers’ galleryで、韓国で撮影したポートレートの展覧会を3回ほど開催するなど、試行錯誤が続いていた。だが、今回の「ウルルンド」を見ると、少しずつその輪郭が定まりつつあるように見える。
「ウルルンド」=鬱陵島は竹島(独島)のすぐ西に位置する島で、日韓の領土問題にからめて言及されることが多い。だが、田代のアプローチはそのような政治的な文脈はひとまず括弧に入れ、『はまゆりの頃に』と同様に、被写体となる人物に正対し、「写される」ことを意識させてシャッターを切っている。結果的に、前作と同様に人物とその背景となる環境が絶妙のバランスで捉えられているのだが、シリーズ全体にそこはかとなく漂う緊張感が、これまでとは違った手触りを生じさせている。これから先は、より「人々の暮らしや立ち居振る舞い」に対する感覚を研ぎ澄まし、竹島(独島)や対岸の日本/韓国をよりくっきりと浮かび上がらせる工夫が必要になりそうだ。福岡出身の田代にとって、韓国との距離感はかなり近いものであるはずだ。そのあたりを意識して、もっと強く打ち出していってほしい。

2017/09/08(金)(飯沢耕太郎)

田淵三菜「FOREST」

会期:2017/09/08~2017/09/26

Bギャラリー[東京都]

田淵三菜は、2016年に第2回入江泰吉記念写真賞を受賞し、写真集『into the forest』を刊行した。2012年、23歳の時から北軽井沢の森の中の山小屋に移り住み、1年間かけて、ひと月ごとに驚くべき勢いで変化していく森の姿を捉えきったそのシリーズは、新たな自然写真の可能性を指し示す鮮やかなデビュー作となった。今回の新宿・Bギャラリーでの展示では、森の落ち葉をそのままガラスケースに詰め込んだインスタレーションなどとともに、「それ以後」の彼女の写真の展開を見ることができた。
田淵はいまもなお北軽井沢で暮らしているが、その生活のかたちは少しずつ変わりつつある。2年前からは、難病のパーキンソン病を患っている父も同居するようになった。そのためもあって、森そのものよりはその周辺にカメラを向けることが多くなってきている。今回の「FOREST」のシリーズは、北軽井沢の住人たちや訪ねてきた友人たち、父が同居するために改装工事が進行中の山小屋、森で出会った犬たちなどが前面に出ることで、圧倒的な自然と向き合っていた前作とは異なる、「ひと」の気配が濃厚なシリーズとして成立していた。
その変化を、むしろポジティブに捉えるべきだろう。彼女にとっての「森の生活」がこれから先どんなふうになっていくのかはわからないが、山小屋という拠点を中心として、さまざまな生き物たちが織りなす小宇宙を、あくまでも等身大の視点で見つめ続けるという視点は揺るぎのないものがある。前作と今回の展示とを合体した、もう一回り大きな「FOREST」のシリーズも視野に入ってきそうな気もする。

2017/09/08(金)(飯沢耕太郎)

第6回EMON AWARDグランプリ受賞作 大坪晶展

会期:2017/08/18~2017/09/09

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

毎年開催されるEMON AWARDのグランプリ受賞者は、EMON PHOTO GALLERYで個展を開催する権利を得る。大坪晶はその第6回目の受賞者で、今回は受賞作の「Portrait and Crowd」のシリーズのほかに、新作の「Portrait of Women」、「種の起源/On the Origin of Species」、そして立体作品の「Collective Memories of a Family─ある家族の集合的記憶」を展示していた。
大坪の作品は、パネルに大量の画像を貼り付けたコラージュ作品である。一見すると、ただのポートレートのようだが、細部に目を凝らすと、それらが豆粒のように小さな群衆の集合写真でつくられていることがわかる。「無数の見知らぬ人々の記憶のつらなり」と「作者の個人的系譜」が重なり合う「Portrait and Crowd」のシリーズは、コンセプトと技術とが完璧に融合した質の高い作品群だった。今回発表された新作の「Portrait of Women」では、その試みをより社会性、歴史性のほうへ押し広げて、樋口一葉、平塚らいてう、ヴァージニア・ウルフという、ほぼ同時代に生きた3人の女性作家、活動家のポートレートをテーマに大作にチャレンジしている。
たしかに、「政治性や社会性について考察するケーススタディ」として面白い試みなのだが、以前の作品に見られた写真そのものの生々しい物質感が希薄になっているので、どこか平板な印象を受ける。第二次世界大戦に従軍した祖父の記憶を辿る「種の起源/On the Origin of Species」や、顔の形の立体にコラージュした「Collective Memories of a Family─ある家族の集合的記憶」のほうが、写真の使用については積極的であり、よりダイナミックな構造を備えた作品として成立していた。このままだと、写真をもとにコラージュすることの意味が、薄れていってしまうのではないだろうか。

2017/08/31(木)(飯沢耕太郎)

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