2019年01月15日号
次回2月1日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

ふせなおき「名前のない写真」

会期:2018/10/20~2018/11/02

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

ふせなおきの展覧会の初日にギャラリーに顔を出したら、まだ展示作業中だった。どうやら当初のプランを変更したようで、壁全体を200枚ほどの写真で埋め尽くすつもりのようだ。その様子を見ながら思い出したのは、中平卓馬が1971年のパリ青年ビエンナーレに出品した「サーキュレーションー日付・場所・行為」のことである。その日に撮影した写真をすぐ現像、プリントし、壁面にどんどん貼り付けていくというパフォーマンス的な展示で、中平の写真は定められたスペースをはみ出して床にまで増殖し、事務局からクレームがついて撤去せざるを得なくなった。ふせの作品はここ10年ほどのあいだに撮影されたスナップショットの集積なので、むろん写真のあり方は違う。だが、写真家の生に寄り添うようにして撮影された写真群を、無作為に抽出して壁に貼っていくということにおいては共通性がある。近頃、中平やその同時代の写真家たちのような、アナーキーな、荒々しい展示風景を見ることが少なくなったので、その雑然とした佇まいがむしろ新鮮に思えた。

今回の展示では、カラーとモノクロの写真が混じり合っているのだが、そのなかでモノクロコピーの写真がまとめて貼られているパートが妙に気になった。聞けば、ふせは2016年に心臓発作で生死の境をさまよったことがあるのだという。モノクロの写真は、その後まだ心身ともに回復していなかった時期に、「意味なく」電車に乗って、行き過ぎる風景にシャッターを切り続けた時のものだという。全体に彼岸の気配とでもいうべき奇妙な浮遊感が漂っているのは、そのためなのかと合点がいった。その前後に撮影された、猥雑な「生の世界」の写真群も悪くないが、この「死の世界」のパートをもっと拡大していくと、面白いシリーズになるのではないだろうか。ふせは、2006年頃から写真を本格的に撮影し始めて10年余りが経過し、写真家としてもう一段階飛躍していく時期を迎えつつある。より破天荒な世界に踏み込んでいってほしい。

2018/10/20(土)(飯沢耕太郎)

澤田知子・須藤絢乃「SELF/OTHERS」

会期:2018/10/16~2018/11/22

キヤノンギャラリーS[東京都]

1977年神戸生まれの澤田知子と、1986年大阪府生まれの須藤絢乃の二人展である。この二人には、セルフポートレートを中心に作品を発表してきたという共通性がある。とはいえ、年齢や活動場所だけでなく、それぞれのセルフポートレートのあり方は相当に違っているのではないかと思う。澤田は自分の外見が変わることで、どのような社会的な反応を生むのかに関心があり、今回の展覧会のタイトルで言えば「SELF」を素材として、「OTHERS」のあり方を浮かび上がらせようとしてきた。須藤はその逆に、自己の内面性を「OTHERS」を素材として掘り下げてきたのではないかと思う。その二人が3年前に大阪のアートフェアで出会い、以後ディスカッションしながら今回のキヤノンギャラリーSの展示を組み上げた。

澤田は成安造形大学在学中の初期作品「Early Days」(1996~97/2018)と新作の「BLOOM」(2007~)を、須藤は稲垣足穂のエッセイのタイトルを借りた「Vita Machinicalis」(2018)を出品している。結論からいうと、今回の展示では両者の異質性よりも同質性のほうが際立っていたように思う。澤田のセルフポートレート制作の原点と言うべき「Early Days」は別として、メイクアップの美的効果を探求する「BLOOM」にも、アンドロイドの日常性を丹念に描出する「Vita Machinicalis」にも、「SELF」の可能性を拡張するというポジティブな思考が貫かれているからだ。二人のアーティストの出会いが連鎖反応を生んで、面白い化学変化が生じてきたのではないだろうか。

パネルが表裏に立ててあって、片側から見ると澤田の作品が、その反対側から見ると須藤の作品が目に入ってくるという会場構成もとても効果的だった。

2018/10/19(金)(飯沢耕太郎)

クロダミサト「裸婦明媚」

会期:2018/10/05~2018/10/21

神保町画廊[東京都]

クロダミサトは昨年から今年にかけて、SNSでモデルを募集して、6回にわたってヌード撮影のセッションをおこなった。今回の個展では、19名の女性たちをiPhoneで撮影した写真、600枚を、11×11センチの大きさにプリントして展示している。撮影場所は、写真展の会場になった神保町画廊であり、打ち合わせや準備等を入れると実際に撮影できる時間は30分くらいだという。

このシリーズは、ありそうであまりない取り組みだと思う。女性のヌードは、おおむね性的な欲望の対象として消費されるか、美的なフォルムや陰影を追求するかのどちらかになりがちだ。だが、クロダのヌードはことさらにエロスを強調しているわけでも、リアルなオブジェとして描写しているわけでもない。等身大の女性たちの「からだ」のあり方を、とても丁寧に、その細部にまで視線を届かせながら押さえている。個々の写真には、名前や年齢や日付けなどのデータは一切省かれているが、それもかえってよかったのではないだろうか。写真を見ながら、自分自身で意味付けしていかなければならないことで、写真(被写体)と観客との間に自発的な対話が成立していた。

大学時代の同級生をモデルに撮影した2011年の写真集『沙和子』以来、クロダは『沙和子 無償の愛』(2013)、『美しく嫉妬する』(2015)と、ヌード写真集の発表を積み重ねていった。そこで培われていった、モデルとの距離感を細やかにコントロールしていく撮影法が、本シリーズでも充分に活かされている。

2018/10/17(水)(飯沢耕太郎)

ハービー・山口「時間(とき)のアトラス」

会期:2018/10/17~2018/11/10

Kiyoyuki Kuwabara AG[東京都]

ハービー・山口の写真展も、ありそうであまりない展示だった。東京・馬喰町のKiyoyuki Kuwabara AGの会場の壁には、写真のフレームが21個並んでいた。それそれのフレームには、対になった2枚のプリントがおさめられている。なぜ2枚なのかといえば、「相似形のテーマ」で撮影された写真を、対比するように並べるというのが今回の展覧会のコンセプトだからだ。

例えば、東京・五反田で撮られた写真には日の丸の旗が、ロンドンの写真にはイギリス国旗が写っている。京都とモロッコの写真を繋いでいる「相似形のテーマ」は石の階段だ。ほとんど同じポーズで窓から顔を出している人物を写した中目黒の写真には老婆が、フィンランドの写真には少女が写っている。東京とパレスチナで、赤ん坊を抱く若い母親を撮影した写真もある。寺山修司の写真と、パンクロッカーのジョー・ストラマーの写真を見て思わず唸ってしまった。二人ともテーブルの上に足を投げ出しているのだ。

「相似形のテーマ」を膨大な量の写真群から見つけ出し、その取り合わせを考えて写真を選び、並べていくハービー・山口の眼力と手際は鮮やかとしか言いようがない。しかも、それらが意地悪で批評的な視点ではなく、あくまでも「幸せそうな人々や、美しい人々や光景の写真を撮る」というポジティブな狙いで選ばれているところに、彼の写真家としての真骨頂がある。見れば見るほど、味わい深い、深みのある感情の波動が伝わってくるいい展覧会だった。誰でも同じようなことは思いつきそうだが、おそらく実際に写真を並べてみるとスカスカになってしまうのではないだろうか。ハービー・山口の写真家としての50年近い経験の厚みが、豊かな膨らみを持つ展示に結びついていた。

2018/10/17(水)(飯沢耕太郎)

愛について アジアン・コンテンポラリー

会期:2018/10/02~2018/11/25

東京都写真美術館[東京都]

今年、東京都写真美術館事業企画課長からブリヂストン美術館副館長に転じた笠原美智子は、東京都写真美術館の学芸員として、ジェンダーやセクシュアリティをテーマにした多くの展覧会を企画してきた。今回の「愛について アジアン・コンテンポラリー」展はその置き土産と言うべきグループ展で、現代アジアの女性アーティストたちにスポットを当てている。出品作家は笠原が選出した中国のチェン・ズ(陳哲)、シンガポールのジェラルディン・カン、台湾のホウ・ルル・シュウズ(侯淑姿)、在日コリアン3世のキム・インスク(金仁淑)、韓国のキム・オクソン(金玉善)、そして東京都写真美術館学芸員の山田裕理が選出した大阪出身の須藤絢乃の6人である。

いうまでもなく、日本を含めて、アジアの女性は長く社会的に抑圧されてきた歴史を持つ。女性アーティストたちもむろん例外ではない。今回の出品作家の多くは、それぞれの精神的、肉体的な違和感や苦痛を起点として、写真作品のテーマを選び、自己と社会との関係のあり方を細やかに再組織化し、提示しようとしている。むろん国や地域によって生の条件は異なっているが、アーティスト自身の身体性が、作品の中に不可欠の要素として組み込まれていることで、男性作家とは違った、直接的で生々しいメッセージが伝わってきた。

家族のポートレートを演出して撮り続けるジェラルディン・カン、中国の内戦を逃れて台湾に渡った住人たちの住む「眷村」をテーマとしたホウ・ルル・シュウズ、在日コリアンとして直面したアイデンティテイの多様化に着目する金仁淑、自身を含めて外国人と結婚した韓国人のカップルを撮影したキム・オクソン、そしてジェンダーの違和感を梃子に変身型のセルフポートレートを制作し続ける須藤絢乃と、それぞれクオリティの高い作品が並んで見応えがあった。だが特に注目したのは1989年、北京生まれのチェン・ズの展示だった。

自傷行為をテーマとした作品で、2011年に第3回三影堂撮影大賞を受賞してデビューしたチェンは、今回「我慢できる」と「蜜蜂」の2作品を出品した。傷口を抉るような痛々しいイメージと、美の極致とでも言うべき完璧な画面構成とが合体して、繊細なストーリーが織り上げられていく。今回はアジア各国に目配りしたやや総花的な展示だったが、東京都写真美術館にはさらに積極的に、「アジアン・コンテンポラリー」の写真作品をより深く掘り下げた企画を期待したい。

2018/10/06(土)(飯沢耕太郎)

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