artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

「現代ストレート写真」の系譜

会期:第一部:2023/12/06〜2023/12/24~ 第二部:2024/01/06〜2024/01/28

MEM[東京都]

「現代ストレート写真」という本展のタイトルに、やや違和感を感じる人もおられるのではないだろうか。今回の出品者は、潮田登久子、牛腸茂雄、佐治嘉隆、関口正夫、三浦和人の5名である。1960年代に桑沢デザイン研究所で学んだ彼らの作品については、「コンポラ写真」という枠組みで論じられることが多い。だが、1966年にアメリカ・ニューヨーク州ロチェスターで開催された「Contemporary Photographers: Toward a Social Landscape」展に起源を持つとされる「コンポラ写真」については温度差があったようだ。自分たちの写真を「コンポラ写真」としてひとつに括られたくないという思いが「現代ストレート写真」という言い方につながっていった。

桑沢デザイン研究所で彼らを指導していた大辻清司は、口絵ページの構成を担当した「写真 ●いま、ここに─」(『美術手帖』臨時増刊、1968年12月)で、「ストレート・フォトグラフィー」という言葉を用いている。報道写真や戦争写真を含むかなり広い意味で使われてはいるが、その章には「初心の写真」「記念と思い出」という項目もあり、大辻が「コンポラ写真」を定義した「カメラの機能を最も単純素朴な形」で使い、「写真の手練手管」を拒否して「日常ありふれた何げない事象」に向かうという写真のあり方を見ることができる。「現代ストレート写真」という言い方は、「コンポラ写真」のもっとも本質的な部分を体現したものともいえるだろう。

本展の出品作家たちの作品をあらためて見直すと、それぞれの個人的な問題意識を踏まえつつ、同時代の社会状況に「ストレート」に向き合っていこうという意欲を強く感じることができる。もともとデザインを学んでいたこともあり、被写体を切り取り配置する技術レベルも一様に高い。いわゆる「コンポラ写真」を、現時点でもう一度再構築していく第一歩にふさわしい展示になっていた。なお、本展の第一部では主に彼らの1960年代後半から70年代の写真が、第二部ではそれ以後の仕事がフォローされる。


「現代ストレート写真」の系譜:https://mem-inc.jp/2023/11/12/jsp_j/

2023/12/07(木)(飯沢耕太郎)

東京工芸大学 創立100周年記念展 写真から100年

会期:2023/11/11~2023/12/10

東京都写真美術館地下1階展示室[東京都]

渡辺義雄、大辻清司、田沼武能、細江英公、立木義浩、柳沢信、築地仁、古屋誠一、小林紀晴、本城直季、岡田敦、高木こずえ、新田樹、吉田志穂──ここに並んだ写真家たちの名前を見て、どんな繋がりがあるのだろうと思われた方もいるのではないだろうか。年代も作風もバラバラだが、木村伊兵衛写真賞の受賞作家も含めて、日本の写真表現の歴史に大きな足跡を残した人たちである。実はこれらの写真家たちはすべて、小西寫眞専門学校として1923年に設立され、東京写真専門学校、東京写真大学、そして1975年に東京工芸大学と改称されて現在に至る学校の卒業生なのだ。彼らはまた、創立100周年を期して東京都写真美術館で開催された「写真から100年」展に作品を出品している作家たちでもある。

学校創立から現在までを詳細な年表で辿る「1.工芸ヒストリー」、卒業生たちの代表作を展示する「2.活躍する卒業生」、1977年に設立され、内外の写真の名作を展示、コレクションしてきた「写大ギャラリー」の所蔵作品が並ぶ「3.写大ギャラリーコレクション」、東京工芸大学工学部と芸術学部の共同研究を紹介する「4.次の100年に向かって」の4部構成による展示は、とても充実していた。東京都写真美術館で開催されたということもあるのだが、学内のギャラリーに「写大」という名称が残っているのを見てもわかるように、写真という分野が、東京工芸大学のバックボーンとして今もなお重要な位置を占めていることが伝わってきた。デジタル化やAIの登場により、日本の写真教育のあり方は大きく変わりつつある。東京工芸大学だけでなく、日本大学、大阪芸術大学、九州産業大学などの写真学科も、そろそろその歴史を検証し、未来を志向する展覧会を企画してもいいのではないだろうか。


東京工芸大学 創立100周年記念展 写真から100年:https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4589.html

2023/12/02(土)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00067301.json s 10189045

柿本ケンサク「As is」

会期:2023/11/24~2023/01/15

キヤノンギャラリーS[東京都]

主にCMや広告・ファッション写真の世界で活動し、若手作家として頭角をあらわしつつある柿本ケンサクは、写真作品の発表にも意欲的に取り組んでいる。キヤノンギャラリー50周年企画展の枠で開催された今回のキヤノンギャラリーSでの展示では、「名もなき一滴の記憶を写真に閉じ込める」というコンセプトのもとに、近作を中心に65点を出品していた(ほかに50分の映像作品も上映)。

まず驚くべきことは、被写体に向ける眼差しの鮮度と幅の広さである。狙いを定めたポートレート作品などもないわけではないが、多くは目の前を掠めていく場面を素早く切り取っている。そのめくるめく多様性と、画面構成の確かさに、彼の写真家としての能力の高さがよくあらわれている。それは同時に、現代社会の流動性、多次元性、表層性をそのまま反映しているともいえるだろう。

ただ、それらのイメージ群が、彼が「世界をこのように見た」という深みのある認識にまで結晶していくのかといえば、必ずしもそうとはいえない。会場を一巡りして、そこで何を見たのだろうと自問してみると、記憶に残る写真が意外なほどに少ないことに気がつく。パソコンの画面を見ていて、クリックした瞬間に直前に目にしていたものがあっという間に消えてしまう、あの感覚と似ているように感じた。柿本の優れた映像化の能力を、より普遍的な認識と了解のレベルまで達するまで活かし切ってほしい。そのためには、撮った後にしっかりと「考える」というプロセスをともなった、より注意深い写真の選択、配置の作業が必要になってくるだろう。


柿本ケンサク「As is」:https://canon.jp/personal/experience/gallery/archive/kakimoto-50th-sinagawa

2023/11/25(土)(飯沢耕太郎)

井津建郎「BLUE」

会期:2023/11/22~2024/01/13

PGI[東京都]

ニューヨークから石川県金沢に拠点を移して製作活動を続けている井津建郎。だが、今回のPGIでの個展は新作ではなく、2001~2004年にプリントされた写真シリーズ(日本では未発表)だった。井津が谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に触発されて制作したという「BLUE」シリーズから25点が展示されていた。

「美は物体にあるのではなく、物体と物体の作り出す陰影のあや、明暗にある」とする谷崎の考え方は、日本人には馴染みやすく、腑に落ちるところが多いのではないかと思う。井津もニューヨークで長く暮らしていくなかで、知らず知らずのうちに日本的な美意識のあり方に引き寄せられていくように感じていたのではないだろうか。日本から呼び寄せたというダンサーのヌード、花や静物などをテーマとして制作された本シリーズは、技術的にはかなり凝ったものになっていた。14×20インチの大判カメラで撮影した画像をプラチナプリントに起こし、やはり古典技法のサイアノタイプ(青写真)の感光剤を何度も塗布して露光を重ね、精妙な陰影表現を試みているのだ。結果的に、その「プラチナサイアノタイプ」の表現効果は驚くべきもので、まさに「物体と物体の作り出す陰影のあや」が見事に浮かび上がってきていた。

ただ、ピカソの「青の時代」のオマージュにもなっているという「BLUE」の色味は、どちらかといえば西欧的な視覚効果を導き出しているように見えなくもない。谷崎が『陰翳礼讃』で主に取り上げているのは、蝋燭の光のような、やや赤みがかった色調なのではないだろうか。むろんそれで本作の価値が下がるというわけではない。井津の「BLUE」は、いわばニューヨークの風土・環境をバックグラウンドとした陰影表現の模索だったといえそうだ。


井津建郎「BLUE」:https://www.pgi.ac/exhibitions/9043

2023/11/22(水)(飯沢耕太郎)

今村源 遅れるものの行方展

会期:2023/11/03~2024/01/28

水戸芸術館現代美術ギャラリー[茨城県]

今村源の作品には以前から注目している。筆者はきのこ(菌類)に強い関心を抱いているので、現代美術のフィールドで同様の志向をもつ彼の仕事がいつも気になるからだ。静岡市美術館での「わた死としてのキノコ」(2013年8月~10月)以来、美術館での個展としては10年ぶりという今回の水戸芸術館現代美術ギャラリーの展示でも、まさに「きのこ的」としか言いようのない作品が並んでいた。

だが、立体作品のインスタレーションだけではなくドローイングも含む55点の作品を見ると、きのこの形象がはっきりとあらわれているものも多いが、むしろ彼の作品のライトモチーフとなっているのが菌糸であることがわかる。実は菌類の本体は細長い細胞が連なった菌糸であり、きのこ(子実体)は植物でいえば花や果実にあたる生殖器官である。菌糸は普段は人の目に触れることなく、地下に生と死の両方の領域にまたがる巨大なネットワークを形成し、生きものたちの活動にさまざまな作用を及ぼしている。今村の作品は、そのような不可視の世界のあり方を、日常的な事物を紐や針金のような構造体で結びつけ、つなぎ合わせることで浮かび上がらせようとする試みなのではないかと思う。

共感とほのかなユーモアとが絶妙にブレンドされた彼の作品世界はとても魅力的だ。今回の展示では、まさに菌糸の先端の感触を繊細に定着したようなドローイング作品が特に印象深かった。今村は言葉を綴る能力も高いので、「絵本」のような形で彼のドローイングと文章を合体させるのもいいのではないだろうか。


今村源 遅れるものの行方展:https://www.arttowermito.or.jp/gallery/lineup/article_5251.html

2023/11/21(火)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00067005.json s 10189042