2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー

尾形一郎 尾形優「UNMANNED」

会期:2018/02/24~2018/03/31

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

尾形一郎と尾形優は、30年前に新婚旅行でベルリンに行った時に「ベルリンの壁やスターリン時代の超高層ビル、商店の存在しない街といった、価値観の転倒した世界」に大きな衝撃を受ける。その驚きを表現するために、87分の1スケールのキットを組み合わせて、鉄道が縦横に走る架空の街のジオラマをつくり始めた。最初のジオラマが完成した後、新たに住居を兼ねた「東京の家」を建てることが決まり、その一室に「もう一つの小さな都市」として、さらにスケールアップした新しいジオラマをつくることになる。それは最終的に2m×8mの大きさの精密なジオラマとして完成した。

今回のタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルムの個展「UNMANNED」には、このジオラマを4K撮影した画像を再編集した2点の映像作品が出品されていた。音のない光の動きだけに抽象化された作品と、走る列車から撮影された映像に、世界各地の都市で収録された音声を重ね合わせた2作品だが、特に後者の映像の面白さは特筆すべきものがある。「転倒する共産主義の世界、巨大な工場、終着駅、廃屋、団地、ガード下に広がる飾り窓……」といった眺めが、列車の走行とともに次々に展開し、めくるめくイメージの氾濫に身をまかせていると、ここには確かに「もう一つの小さい都市」が存在していると実感することができる。この作品の隠しテーマは「20世紀」ではないだろうか。資本主義と共産主義が火花を散らして対峙していたあの時代の感触が、まざまざと蘇ってきた。

ただ、僕はたまたま「東京の家」のジオラマを見ているのだが、それを体験しているか、していないかでは、作品の見え方にかなりの違いが出てくる。「東京の家」でこの作品を上映するのが一番いいのだが、それが難しければ、ジオラマの一部を移動して、映像と一緒に展示するのもひとつのやり方だろう。

Yu OGATA & ICHIRO OGATA ONO, “UNMANNED”, 2017, set of 2 4K videos, 12’15” each
© Yu OGATA & ICHIRO OGATA ONO / Courtesy of Taka Ishii Gallery Photography / Film

2018/02/24(土)(飯沢耕太郎)

野村恵子「OKINAWA」

会期:2018/02/07~2018/03/11

POETIC SCAPE[東京都]

野村恵子の写真集デビューは『Deep South』(リトルモア、1999)だが、それ以来ほとんどの写真集に沖縄で撮影された写真がおさめられてきた。この「日本の最南端、美しい珊瑚礁の海に浮かぶ大小の島々からなる、沖縄」(野村によるコメント)に対する思い入れは相当に深いものがある。そのひとつの理由は、母方のルーツが沖縄にあることだが、それだけではなく、南島の空気感や強烈な光と影のコントラスト、生々しい原色が氾濫する色彩感覚が、彼女の感性とぴったりシンクロしているからではないだろうか。ポルトガルの出版社、Pierre von Kleist Editionsから同名の写真集が刊行されたことを受けて開催された本展の、どの写真を見ても、沖縄を撮ることへの確かな安らぎと歓びとを感じとることができる。

だが、前作の『Soul Blue』(Silver Books、2012)からすでに5年以上が過ぎ、そろそろ安定した水準を突き抜けて次の世界へと出て行く時期に来ている。沖縄の人や自然はこれから先も撮り続けられるだろうし、「私の魂もいつか、この島に還ると思っています」という確信にも揺るぎないものがありそうだ。とすれば、いま野村に必要なのは、むしろ沖縄からできるだけ遠く離れてみることなのではないだろうか。それは彼女自身も自覚しているようで、狩猟をテーマにした新作が少しずつ形を取り始めているという。1990年代にデビューした野村と同世代の女性写真家たちの多くが、ちょうどいま成熟の時期を迎えつつある。次回の新作の発表に期待したい。

2018/02/22(木)(飯沢耕太郎)

亀山亮『山熊田』

発行所:夕書房

発行日:2018/02/20

これまでメキシコ・チアバス州のサバティスタ民族解放軍、パレスチナ自治区のインティファーダ(イスラエルの占領政策に対する民族蜂起)などを取材し、アフリカ各地の戦場を撮影した写真をまとめた『AFRICA WAR JOURNAL』(リトルモア、2012)で第32回土門拳賞を受賞した亀山亮の新作写真集は、やや意外なものとなった。今回彼が撮影したのは、山形との県境に位置する新潟県村上市山熊田。山間の集落に50人ほどが暮らす小さな村である。農業のほか、伝統的な「シシマキ」と呼ばれる熊猟、シナの皮の繊維で織り上げる「シナ布」などが主な産業であるこの村の四季の暮らしを、亀山は被写体との距離を縮めて丹念に撮影している。

そのまさに「山と熊と田」の写真群を眺めていると、亀山がなぜ取り憑かれたように村に通い詰めたのかがじわじわと伝わってくる。仕留めた熊も含めて、「山から手に入れたものはみんなで等分に分かち合う」山熊田の生活原理は、「グローバリゼーション」とは対極のものだ。利益優先で、便利さを追求してきた結果として、現代社会はさまざまな矛盾をはらみ、軋み声を上げている。亀山が撮影し続けてきた世界各地の「紛争」もその産物と言えるだろう。彼は、もう一度人の暮らしと幸福の原点とは何かを問い直し、つくり直すきっかけとして、この村にカメラを向けたのではないだろうか。

とはいえ福島第一原子力発電所事故の余波で、熊の体内から放射能が検出され、地球環境の温暖化で野生動物の生態系も大きく変わるなど、村の暮らしも次第に現代社会の毒に侵されつつある。そのギリギリの状況になんとか間に合ったという歓びと、それがいつまで続くのかという不安とが、この写真集には共存している。写真がモノクロームで撮影されていることについては、微妙な問題を孕んでいると思う。モノクロームの深みのある画像は、美しく、力強い。だが、それはともすればややノスタルジックな感情も呼び起こしてしまう。カラー写真の生々しさを、あえて活用するやり方もあったのではないだろうか。

2018/02/20(火)(飯沢耕太郎)

村山康則「月の出てない月夜の晩に」

会期:2018/02/14~2018/02/20

銀座ニコンサロン[東京都]

会場に掲げてあった村山康則のメッセージを引用しておくことにしよう。

「いくつもの層が 複雑に絡み合うように矛盾に満ち、一面的には理解しえない社会をそのままに 受け止めること/社会の中の個の存在/そういったものを 表現したいと思いました」。

28点の写真に写り込んでいるのは、都市風景の断片である。一見すると多重露光のようなのだが、実際にはガラスの映り込みと向こう側の光景を、そのままストレートに撮影したものだという。都市を構成する「いくつもの層」をガラスや鏡を媒介として浮かび上がらせる手法は、特に珍しいものではないが、ポジションの選択と画面構成が的確なので、意図がきちんと伝わってくる。特にビルなどの小さな窓とその中の人物たちの姿を、とてもうまく取り込んだことで、「社会の中の個の存在」がきちんと浮かび上がってきていた。撮影時間を夜に絞ったこともよかった。クオリティの高い、安定感のある表現だが、このままだと見え方がパターン化する可能性がある。もっとダイナミックな視点の変化を試みること、また東京や横浜だけでなく、アジアのほかの国々などへも被写体を広げていくことも考えられそうだ。

北海道出身の村山は、ワークショップやグループ展に積極的に参加している写真家だが、本格的な個展は今回が初めてだという。この展示を機会にさらに作品をスケールアップしていってほしい。なお本展は3月15日〜3月21日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2018/02/19(月)(飯沢耕太郎)

安村崇『1/1』

発行所:オシリス

発行日:2017/12/15

安村崇の「1/1」のシリーズは、前に個展(MISAKO&ROSEN、2012)で見たことがある。その時は面白い試みだとは思ったが、あまりピンとこなかった。だが今回写真集として刊行された『1/1』を見て、その目に鮮やかに飛び込んでくる印象の強さに驚きを覚えた。おそらく、ギャラリーの展示が精彩を欠いていたのは、壁に並ぶ作品が一度に目に入ってくることと、作品以外の要素(ノイズ)が作用して、このシリーズの純粋性が損なわれてしまうからではないだろうか。しかし、写真集のページをめくって一点一点の作品を味わうことで、安村が4×5インチ判の大判カメラのファインダーを覗いて被写体と対面している視覚的体験を追認しているようにも感じられた。

安村が撮影しているのは「主に地方の公園や港、市民会館など公共の場」の壁、床面、屋根などであり、それらの表面の凹凸や色彩が、一切の妥協なくまさに「1/1」の画像に置き換えられている。にもかかわらず、清水穰が写真集の解説の文章(「イクイヴァレント2017──安村崇によるスティーグリッツの再解釈」)で指摘するように、「その厳格な方法論から見れば人間的な要素を一切排除した極北の写真」であるはずなのに「まさにそのことによって、人間くさい世界を回帰させる」という逆説が生じてくる。そこに写っているのは、経年変化で趣味の悪さがさらに露呈してしまった「公共の場」の、身も蓋もなく散文的な外観であり、日本社会の縮図ともいうべき眺めなのだ。

安村がデビュー作の「日常らしさ」(1999、「第8回写真新世紀」グランプリ)以来追い求めてきた、写真を通じて具体的な世界を「見る」ことの探究が、また一段階先に進んだのではないだろうか。

2018/02/19(月)(飯沢耕太郎)

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