artscapeレビュー

2011年03月15日号のレビュー/プレビュー

野村次郎「峠」

会期:2011/02/20~2011/03/01

M2 gallery[東京都]

怖い写真だ。会場にいるうちに、背筋が寒くなって逃げ出したくなった。被写体になっているのは、とりたてて特徴のない道の光景である。作者の野村次郎が展覧会のチラシにこんなコメントを寄せている。
「ある日ふと、立ち入り禁止の林道をのぞいてみたくなった。その先になにがあるかわからないが、とにかく気になって分け入った。足をとられないよう、ゆっくりとバイクを走らせる。長い悪路の砂利道を登りきり尾根に入ると、乾いた空が美しい山肌を照らしていた。そのときはじめてシャッターを切った。剥き出しの山肌の美しさを、ただ淡々とカメラにおさめていく。自分だけの秘密にしておきたい場所。この道がいつかコンクリートになるかと思うと残念だ」
この文章にある通りの「淡々と」した写真が並ぶ。だが、やはり怖い。落石除けのコンクリートや枯れ草に覆われ、時には岩が剥き出しになった崖、その向こうに道がカーブしていく。時折ガードレールに切れ目があり、その先は何もない空間だ。それらを眺めているうちに、なぜかバイクごと崖に身を躍らせるような不吉な想像を巡らせてしまう。そこはやはり「立ち入り禁止の林道」であり、写真家はすでに結界を踏み越えてしまったのではないか。
野村次郎は2009年にこれらの写真を含む「遠い眼」でビジュアルアーツフォトアワードを受賞している(同名の写真集も刊行)。その時も強く感じたのだが、この写真家の眼差しには、現実世界に二重映しに異界の気配を呼ぶ込むところがあるのではないだろうか。

2011/02/27(日)(飯沢耕太郎)

G-TOKYO 2011

会期:2011/02/19~2011/02/27

森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー 52F)[東京都]

今年で二年目を迎える、有名ギャラリーによる森タワーでの集合展示。タカイシイギャラリーのマリオ・ガルシアトレスによるセザンヌの絵《浴女》の数奇な運命をたどる作品、山本現代のエドガー・マーティンズによる、この世のものとは思えないような街の建築写真(セットで組んだもののようにも見える)が興味深い。そしてボンベイサファイアのバーラウンジにて、建築家の中村拓志がデザインした《幻影のマティーニ》も印象的だった。これはコップのなかのマドラーが回転し、水の渦巻きを起すことにより、逆円錐ヴォイドを生み、虚構のカクテル・グラスを出現させるという仕掛けである。

2011/02/27(日)(五十嵐太郎)

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」展

会期:2011/02/02~2011/05/08

21_21 DESIGN SIGHT[東京都]

ポストモダンのデザインによって世界を驚かせたエットレ・ソットサスのメンフィス・プロジェクトに倉俣史朗が参加した1981年を起点とし、両者の親交と作品をたどる展覧会。もっとも、実質的には倉俣を再評価するための企画と言ってよいだろう。倉俣の《トワイライト・タイム》(1985年)の脚は、伊東豊雄のせんだいメディアテークのチューブを予見していたなど、いかに時代を先駆けていたかを検証できる。彼の軽さや透明感、あるいは無重力への志向は、直接的には妹島和世、隔世遺伝的には石上純也や中村竜治を含むゼロ年代の建築家にまで影響を与えていたと考えられるではないか。

2011/02/27(日)(五十嵐太郎)

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春木麻衣子 写真展「photographs,whatever they are」

会期:2011/02/26~2011/05/08

1223現代絵画[東京都]

画面がほとんど白や黒だったりするが、そこに人影や風景が微細に映り込む、ずば抜けたセンスの写真。アメリカ自然史博物館は杉本博司も題材にしているが、春木麻衣子のシリーズは展示物=モノを対象としない。おそらく関心があるのは、博物館という空間の形式であり、真っ黒な画面のなかで小さな展示窓がランダムに散らばる独特の風景を再構築する。重ね撮りすることで、時間と空間が交差する異次元を生む。今回は以前見たときよりも大きなサイズで、作品の強度を増している。新作としては、地下鉄の空っぽの広告に自画像やまわりの他人がかすかに映り込むものや、ほとんど見えないパリの信号のシリーズが展示された。もうすぐ新しい写真集も刊行されるというから楽しみだ。

2011/02/27(日)(五十嵐太郎)

ヴィジェ・ルブラン展

会期:2011/03/01~2011/05/08

三菱一号館美術館[東京都]

ヴィジェ・ルブランといっても「だれそれ?」だが、フランス革命で首をチョン斬られたマリー・アントワネット妃に仕えた女性画家、といえばイメージが膨らむはず。歴史的にも、ロマンとしても、フェミニズムの視点からも興味深い素材だが、なぜか本国フランスでも展覧会は開かれたことがないという。それが日本で見られるのだから貴重な機会だ。でも順路に沿って見ていくと同時代の女性画家の作品ばかりで、なかなかルブランが出てこない。途中、マリー・レクジンスカという王妃が中国の風俗を描いた装飾画があったり、上野の西洋美術館が所蔵するマリー・ガブリエル・カペの美しい自画像に出会ったりして、あれ?だれの展覧会だっけ?と忘れたころにルブランが登場する仕掛け。結局ルブラン作品は83点中23点。なかでも注目はやはり、画家と同い年ということもあって気を許したといわれるマリー・アントワネットの肖像と、3点の自画像だ。当時、王妃の肖像はだれでも描けるものではなかったので、この肖像画がのちに何百回もコピーされ、アントワネットのイメージを決定づけたのだ。もっともこの肖像画もオリジナルではなく、自身によるレプリカらしいが。3点の自画像はそれぞれ36歳、39歳、45歳のときのもの。美貌で知られた画家だけにどれも美しいが、不思議なことにどれも20代にしか見えない。女性画家ならではのマジック!

2011/02/28(月)(村田真)

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