2023年06月01日号
次回6月15日更新予定

キュレーターズノート

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アートを学ぶ、アートで学ぶ──「あいち2022」と「クリクラボ」がひらくオルタナティブ・エデュケーション

[2022年01月15日号(会田大也)]

2022年をほどよい緊張とともに迎えることができた。今年は筆者がキュレーター(ラーニング)を務める国際芸術祭「あいち2022」の開催年でもある。また、来年には開館20周年を迎えるYCAMでも、アニバーサリーイヤーに向けての準備が本格化してい...

人はなぜさわらなければならないのか──「ユニバーサル・ミュージアム─さわる!“触”の大博覧会」の試み

[2022年01月15日号(立石信一)]

2021年9月2日から11月30日まで国立民族学博物館において、「ユニバーサル・ミュージアム─さわる!“触”の大博覧会」という特別展が開催された。本来であれば昨年度に開催する予定だった本展は、コロナ禍の影響により一年延期となり、この時期の開...

海山ののさり(恵み)のなかで託された表現たち──柳幸典《石霊の森》/塔本シスコ展 シスコ・パラダイス

[2021年12月15日号(坂本顕子)]

ハリウッド俳優ジョニー・デップ主演・制作の『 MINAMATA 』、それに続き、原一男監督の6時間12分の超大作『 水俣曼荼羅 』が公開され、2021年後半は、筆者をはじめ世界各地の人々が映画を通して水俣という土地の歴史や現在に触れる機会が...

みんな、かつては版画家だった──教育版画運動と大田耕士旧蔵版画集から考える「私たち」の戦後美術史

[2021年12月01日号(町村悠香)]

一般的に「美術史」と言われるものが、果たしてどれだけ同時代の人の実感が伴うものなのか、自分がその時代に生きていたら見たり参加したりできるものだったのか、疑問に思うことがある。本当にこれは「私たち」の歴史なのだろうかと。近年、フェミニズムやジ...

コロナ禍のなかでの青森県立美術館その3──「大・タイガー立石展」と「編集者 加藤謙一と昭和漫画」展

[2021年12月01日号(工藤健志)]

2022年1月16日(日)まで埼玉県立近代美術館&うらわ美術館で開催中の「 大・タイガー立石展 」。千葉市美術館、青森県立美術館、高松市美術館に埼玉の2館を加えた計5館による共同企画展である。もともと本展は千葉市美術館の水沼啓和さんが発案し...

虎 変容するものたち──「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」

[2021年12月01日号(能勢陽子)]

各時代には固有の、いま生きている社会とは異なる、掴み切れない空気や風がある。文化も歴史もゆっくりとしたアニメーションのように時々刻々と移り変わっているから、現代と地続きであるはずでも、時を隔てて振り返ると、当時の風はすっかりどこかにいってし...

「コレクション」を考える(1)──「コレクター」を展示する

[2021年11月15日号(志田康宏)]

今号より「キュレーターズノート」にご寄稿いただく栃木県立美術館の志田康宏氏には、「コレクション」の収集や保存、その活用に関する考え方や制度の原点を照らしながら、現代社会におけるその役割をとらえなおすというテーマを掲げていただいた。第1回目は...

その地域で生きる身体の、それぞれの尺度──生きる私が表すことは。/糸島芸農2021

[2021年11月01日号(正路佐知子)]

今秋九州ではいくつも現代美術の企画が行なわれている。すべてを見て回ることは難しいが、そのなかで訪れることができた二つの展覧会を紹介したい。両展ともにこの世の中を覆う息苦しさについて考え、一般論ではなく自分の足元を見つめるところから問いを立ち...

語りの複数性──わからなさとともに在ること

[2021年11月01日号(田中みゆき)]

展覧会「語りの複数性」は、固有の感覚や経験に裏打ちされた表現や、他者の経験する現実を自らの身体をもって受け取り、表現する試みを扱う展覧会である。落語をとらえた写真や、音から想起されたドローイングなど、各作品には何らかの空白があり、それゆえに...

場所と作品のありえ方──京都芸術センターでの展示から

[2021年10月15日号(谷竜一​)]

京都芸術センターは、美術館ではない。 本稿では、当センターの建物の構造と当館の特性についてあらためて確認し、これをふまえていくつかの展示を振り返ってみたい。個々の展示の評価とは別に「アートセンター」と呼ばれる当センターの、ある側面が見えてく...

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