artscapeレビュー

TRANS ARTS TOKYO 2013

2013年12月01日号

会期:2013/10/19~2013/11/10

3331 Arts Chiyoda、旧東京電機大学7号館地下、神田錦町共同ビルほか[東京都]

昨年、旧東京電機大学の校舎を丸ごと使って大きな話題を集めたTATが、今年は同じ神田で会場をいくつかに分散して開催された。展示会場となったのは、工事中の地下空間をはじめ、空きビルや商業ビルなど。エレベーターが設置されていない古いビルが多いせいか、狭い階段を何度も昇り降りしながら作品を鑑賞するという仕掛けだ。動線がほぼ垂直方向に限定されていた前回とは対照的に、文字どおり都市を縫うように練り歩く経験が楽しい。
とはいえ、そこかしこに展示されていた作品には、ある種の定型に収まる傾向が認められたことは否定できない。それは、乱雑で猥雑、雑然とした作品があまりにも多かったこと。これは「天才ハイスクール!!!!」や「どくろ興行」が輝いていた前回から続く本展の特色なのかもしれない。ただ、仮にそうだとしても、そうしたアナーキーな色調が際立っていたのは、取り壊しが決定していたとはいえ、大学の校舎という確固とした白い壁面があってこそだった。しかし今回、とりわけ古い雑居ビルを展示会場とした雑多な作品の数々は、不本意ではあるだろうが、雑然とした空間に溶けこんでしまっていたように思われた。
その点で言えば、地と図を際立たせることに成功していたのは、林可奈子である。路上のパフォーマンスを映像インスタレーションとして見せる作品は、映像のなかの身体動作の点でも、モニターを立ち並べた展示の点でも、きわめてシンプルであるがゆえに、周囲の乱雑な空間とは明確に一線を画していた。むろん、静謐で上品な作品がなかったわけではない。けれども、林の作品がそうした中庸な「現代アート」と似て非なるものであったのは、やはり映像で見せた身体パフォーマンスの質に由来する。路上をでんぐり返しで進んだり、街角の凹凸に身体を当てはめたり、林の身体所作は品位を保ちながらも、どこかでひそやかな狂気を感じさせていたからだ。基準と逸脱のバランスが絶妙だったと言ってもいい。
一定のリズムで、しかし、通常の所作とは異なるかたちで歩んでゆく林の奇妙なパフォーマンス。そこには、本展を鑑賞する私たち自身が重ねられているように見えた。空洞化した都市に充填されたアートを見て歩く行為が、日常からわずかに逸れているからだけではない。林も私たちも、ともに都市の隙間と隙間を縫い合わせているように思われたからだ。林が路上に残した足跡と、私たちが神田の街を踏破した痕跡は、いずれもその縫合を示すステッチである。そのことに気づいたとき、都市はそれまでとはまったく異なる全貌を露わにするだろう。

2013/11/10(日)(福住廉)

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