artscapeレビュー
室伏鴻『リトルネロ──外の人、他のもの』(室伏鴻プロデュース「〈外〉の千夜一夜」
2013年12月01日号
会期:2013/11/23
横浜赤レンガ倉庫1号館3階[神奈川県]
室伏鴻本人のプロデュースによるイベントでのメイン公演。僕も大谷能生さんとトークのイベントで参加したので、本イベントの〈外〉の人とは言えないのだけれど、あくまで批評の人間としてこの作品について考えたい。1時間弱の舞台。室伏の身体は、彼らしい身振りを絶えず繰り出した。突拍子なく不意に背中から倒れたり、首で支える逆立ちの状態で脚と腕を上げて「万歳……」を連呼したり、ぽろぽろと口から言葉をこぼしたり、舞台の脇で服を脱ぐと素肌を曝して壁にぶつかったり、四つん這いになって獣のごとく徘徊し口で真鍮板をくわえたり。すべてが室伏印の振る舞いだった。前半には、アップテンポの曲にノリノリになるなんてところもあって、新味な場面もなかったわけではない。だけれども、なんだか、空で対象を掴みそこねたように、どの動作もどこか頼りない。力がみなぎっていないというか、「ため」に乏しく、力の入れどころが見出せないまま時間が過ぎてしまったかのようだ(意図的なもの?とも想像させられたが、そう断定することもできなかった)。もちろん、それでも、ありふれた舞踏の、「自己嘲弄的」とでも非難したくなる弛んだ舞台とは比べものにならない、テンションの高さは保持している。けれども、考えていることから動作へと移る際の連動が早すぎて、気づくと予期せぬ事態が目の前で起こっていて、めまいを起こしてしまうといった感覚、室伏の舞台でしかえられないあの感覚が見ているぼくの内に訪れることはなかった。早さの欠如は、もっと際立つと、大野一雄がそうだったように、ダンサーが心に抱く踊りのイメージと実際の踊りとのあいだのズレが大きくなって、それはまた新たな踊りのニュアンスを生むのかも知れない。いまの室伏の肉体はその境地に立つにはまだ若い。それでも、やはり終幕でぼくは感動していた。たんなる「踊りの上演」ではなかった。獣になって四つん這いで口だけで真鍮板をくわえ、床に敷くと体をそこに沿わせたり、ユリの花を食いちぎって、客席のほうに放り投げたりといったラストは、「鎮魂」なんて言葉が頭に浮かんでしまう時間だった。ライオンになってしまった自分が人間だったころの微かな記憶にせき立てられて思わず行なってしまった儀式。そんな連想を抱かされてしまうほどの迫真性は、室伏にしか達成できないことであるのは間違いない。
2013/11/23(土)(木村覚)