artscapeレビュー
五線譜に描いた夢──日本近代音楽の150年
2013年12月01日号
会期:2013/10/11~2013/12/23
東京オペラシティアートギャラリー[東京都]
明治維新以降、日本は欧米に肩を並べる近代国家であることを示すために、さまざまな分野に欧米の制度を移入しはじめた。欧化の波は軍隊、法律や社会制度、経済などのシステムにとどまらず、頭髪や服装
展示の中心は、明治学院大学図書館付属日本近代音楽館の所蔵資料である。日本近代音楽館は、音楽評論家の遠山一行氏(1922- )が1962年に設立した旧遠山音楽財団の付属図書館を前身として、1987年に開館した私立の図書館であった。蒐集されたのは、クラシック音楽を中心に、作曲家の自筆譜、書簡や原稿、音楽に関連する図書や雑誌類、プログラム、レコードなどの録音資料である。遠山氏の高齢もあり2010年に所蔵資料50万点が明治学院に寄贈され、2011年から新たに明治学院大学図書館付属日本近代音楽館として開館し、資料の蒐集・整理・公開が行なわれている。
展示は時代別に四つのセクションに別れている。第一は幕末から明治。日本に来航した外国軍隊の軍楽やキリスト教宣教師がもたらした賛美歌は、幕末から明治初期の人々に西洋音楽との接触をもたらした。ヘボン式ローマ字で知られるアメリカ長老派教会の宣教医J・C・ヘボンが1863年に横浜に開設した塾では英語教育が行なわれるとともに賛美歌が歌われ、また日本の初期賛美歌編纂の拠点にもなっていたという 。明治政府は近代的な軍制度の整備に着手したが、そのなかで欧米に倣って軍楽隊も設置された。また宮廷の祭事にも西洋音楽が取り入れられたがその演奏を担ったのは雅楽の伶人たちであった。さらに西洋音楽は学校教育にも取り入れられ、オルガンやピアノなどの楽器を国産する試みも行なわれはじめた。西洋音楽が愉しまれた場としての鹿鳴館の存在も忘れることはできない。
第二は大正モダニズムの時代。西洋音楽の受容は、片や芸術へ、片や娯楽へと多様な拡がりを見せる。芸術としての西洋音楽としてここで特に焦点を当てられているのは山田耕筰(1886-1965)である。日本近代音楽館は1967年から山田耕筰資料の寄贈を受けており、ほぼすべての曲の自筆譜があるという。教育の点では童謡運動が挙げられている。また娯楽としての音楽の筆頭には浅草オペラの隆盛があり、西洋音楽は日本の文化と混じり合い、独自の展開をはじめていったことが指摘される。
第三は戦前期の昭和である。ラジオやレコードの登場と普及は、熱心なクラシックファンを生んだ。オーケストラとその聴衆が誕生するのもこの時代である。他方で戦争が近づくと音楽も戦意高揚の手段に組み込まれてゆく。
そして最後は戦後の音楽である。ここでは実験工房の試みなどに見られる現代音楽への道筋と、戦後各地に誕生したオーケストラの活動が紹介される。
東京オペラシティアートギャラリーの空間で「音楽の歴史」をどのように見せるのか。おそらくその展示構成には相当な工夫がなされたと思う。展示資料の大部分は作曲家の自筆楽譜、書籍雑誌、プログラムなどである。それに加えて初期の西洋楽器やレコード、佐藤慶次郎の振動するオブジェなどがあるが、立体的な資料は一部である。ともすると平板な構成になりかねない会場であるが、平面的な資料が収められた展示台を壁面に沿わせるのではなく展示室に斜めに配するなど、空間や動線に工夫がなされている。また、研究者へのインタビュー映像や再現演奏のビデオは、クオリティが高く内容も充実している。古い音源も各所に多数用意され、ヘッドホンで聴くことができる。すべての映像と音源を視聴すると4時間かかるとのことで、展示品の鑑賞も含めると半日では見終えることができないヴォリュームである。会期中8回にわたるミニコンサートが企画されているのも、音楽の展覧会ならではである。そして、そのままでは散逸しかねなかった日本の西洋音楽の貴重な史料を蒐集・整理・保存してきた遠山一行氏の仕事と、それを継承することになった明治学院にはなによりも敬意を表したい。[新川徳彦]
2013/11/13(水)(SYNK)