artscapeレビュー

毒山凡太郎「戦慄とオーガズム」

2016年10月01日号

会期:2016/08/27~2016/09/24

駒込倉庫 Komagome SOKO[東京都]

キュンチョメと同じく、近年目覚ましい活躍を見せている毒山凡太郎の個展。同じ会場の2階で、旧作と新作あわせて6点の作品を発表した。いずれも同時代の社会問題と彼自身との距離感を感じさせる作品ばかりで、大変見応えがあった。明らかに毒山は今回の個展で新たなステージに飛躍したように思う。
先ごろ強制撤去された経済産業省前の脱原発テント村を主題にした《経済産業省第四分館》や高村光太郎の妻、高村智恵子が残した言葉「ほんとの空」を叫び続ける《千年たっても》など、出品された映像作品の大半はすでに発表されたものである。しかし、週末深夜の駅構内で酔いつぶれた酔客に企業のロゴで象った日の丸をやさしく被せる《ずっと夢見てる》は、同じコンセプトで制作された過去の作品を適切なかたちでアップデートしたものだ。前作は肝心のロゴが映像ではよく確認できなかったが、今回の作品ではカメラの画角やパフォーマンスを丁寧に心がけることで、その難点をみごとに克服していた。
なにより傑出していたのが新作《これから先もイイ感じ》である。映像に映されるのは土間に座り込んで泣き続ける赤ちゃんと介護施設のトイレで毒山自身の手を借りつつもなかなか立ち上がることのできない入所者の御老人。いずれも、立つことがままならない。人間の条件のひとつが立ち上がる運動性にあるとすれば、両者はともに人間の条件から大きく逸脱していることになる。しかし、双方はともに人間であれば誰もが通過せざるをえない現代社会の両極なのだ。
だが、毒山は誰もが眼を背けがちなそのような社会の盲点を私たちに突きつけるだけではない。毒山自身が介護施設の職員として日々労働しているという背景を知らずとも、この映像は私たちに非常に大きな衝撃を与えてやまない。映像の前には、その赤ちゃんの足を象ったいくつかの石膏がまとめて吊り下げられていたが、いずれも赤く染まっている。映像の終盤、毒山自身がその血塗られたかのような石膏の足をひきずりながら、黄昏時の海岸を無言で歩いてゆくのだ。一直線に伸びる路の向こうにゆっくりと消えてゆく毒山。それは、生まれてくる未来の子どもたちと、やがて死にゆく老人たちとを両肩に背負いながら、それでもなお前進していかねばならない現在の私たち自身の自画像ではなかったか。映像に染みわたる夕暮れの光が、やるせないほどの寂寥感と絶望感、そしてほんのわずかの力強さを浮き彫りにしていた。私たちに希望があるとすれば、それは血によって彩られているのだろう。

2016/09/15(木)(福住廉)

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