artscapeレビュー

冨士山アネット『Attack On Dance』

2016年11月01日号

会期:2016/10/20~2016/10/23

KAAT神奈川芸術劇場[神奈川県]

どうして自分はダンスを志すようになったのかを、10人のダンサーが次々あらわれて語るところから舞台ははじまった。とはいえ、この舞台での見所は、彼らのダンスではない。彼らの存在を通して、ダンスとは何か、ダンサーとは誰か、こうしたダンサーを生み出す社会とはどんな社会かを浮き彫りにする。そう、ダンサーが登場する前に「What is Dance ?」といった言葉が、狂言回し役の長谷川寧から口にされるように、今作はダンスの分野では珍しくコンセプチュアルな作品である。近年の長谷川の興味関心は、コンセプチュアルにダンスを探求するところに向かっているようで、今年2月には横浜で『DANCE HOLE』という出演者は観客のみという異色の作品を上演してもいる(フライヤーには「本作は出演者の居ないダンス公演」と銘打たれていた。そこでは観客は闇から聞こえてくる長谷川の指示通り動くことで、自ら踊り、踊りながら観客役もこなすこととなった。)。冨士山アネットといえば「ダンス的演劇(テアタータンツ)」と称し、ダンスの観客のみならず演劇の観客の心もつかむポップなセンスが定評を得てきたカンパニーである。いわゆるダンス作品を精力的に制作してきた長谷川が「What is Dance ?」と立ち止まっている。その問いがそのまま舞台になっている。10人のダンサーに長谷川は禁欲を求める。彼らが自分のダンスを踊るのは最後の5分くらいだ。そこに至るまでの間、彼らは、稽古日数や師匠の数、どれだけお金を積まれたらダンスをやめるかなどの質問に答えてゆく。客席からは、高額な衣装代を惜しまぬダンサーにため息が漏れたり、ダンスへの偏愛に笑いが起きたりする。彼らが各自のダンスを踊り終えると、スクリーンに「ダンスは世界を変えるのか?」との問いが映り、次に「世界はダンスを変えるのか?」に変わる。興味深かったのは、スポーツと比較しつつ、スポーツも無意味な運動だがダンスはもっと無意味ではないか、ダンスは社会的な意義がある運動なのだろうかと、長谷川が問いかけるところだ。ダンス中毒者たちが舞台に展示され、その生き様が露出される。彼ら(自分)は一体何者なのか?彼ら(自分)を生んだ社会とは?長谷川のやるせない思い、不安や戸惑いが伝わってくる。ダンスへの愛ゆえの疑いが舞台を推進させる。舞台上の人間の実存が取り上げられるということで言えば捩子ぴじんの『モチベーション代行』(2010-)と重ねたくなる。そう思うと、もっとダンサー一人ひとりのダンスへの愛憎を醜いまでに浮き彫りにしても良いような気もしてくる。社会科学的なエスノグラフィカルな方法を導入してもよいだろうし、あるいは、ダンス中毒者の物語としてもっとドラマ性を帯びた舞台にしても良いのかもしれない。ダンサーたちを社会的な現場に連れて行き、その場を彼らがどのようにダンスによって変えるのか、またその場によってダンサーがどう変貌するのかといったドキュメンタリーもあり得そうだ。本上演は、2015年2月の初演を経て、北京、サンパウロと上演を重ねた上でのものだという。確かに、このフォーマットは、いろいろな地域のいろいろなダンサーに登場してもらうことで異なる上演が生まれるという巧みなアイディアを含んでいる。そのフォーマットが、より研究的なものなり、あるいはダンサーという実存の物語としてよりドラマ的に深まっていくとしたら、と想像してしまった。こうした活動を続けて行った先で長谷川が見つけるものに期待してみたい。

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2016/10/20(木)(木村覚)

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