artscapeレビュー
石の街うつのみや 大谷石をめぐる近代建築と地域文化
2017年04月01日号
会期:2017/01/08~2017/03/05
宇都宮美術館[栃木県]
近年は「餃子の街」として知られる宇都宮(最近はジャズの街としても売り出しているらしい)は、古くは建物や外構の建材として用いられる大谷石の産地。ちなみに駅前に立つ「餃子像」は大谷石製だ。宇都宮美術館開館20周年・市制施行120周年を記念する本展は、宇都宮の地場産業である大谷石に、美術や建築のみならずさまざまな角度からスポットを当てるとてもユニークな展覧会である。
大谷石を用いた建築といえば、スクラッチタイルと大谷石とを外装・内装に用いた特異な建築、《(博物館明治村蔵)旧・帝国ホテル ライト館》がすぐに思い出される。本展でも展示室入り口ロビーに帝国ホテルの柱が据えられている。設計者のフランク・ロイド・ライトが当初候補に挙げていた石は「石川県江沼郡那谷村」の「菩提石」だったという。それが「大谷石」になったのは、「見た目より丈夫」「極めて廉価」「採掘が容易」「産出量は多い」「販路は日進月歩で拡大中」、「電力を用いた機械による採掘の計画あり」ゆえのようだ(本展図録、50~51頁)。石材のような重量物を利用するには、産地から建築現場までの輸送を考えないわけにはいかない。その点、大谷石には明治末から大正初めまでに輸送の便が整備されていた。明治19年(1886)には日本鉄道の上野宇都宮間が開通。明治23年(1890)に日光線が開通。また、大谷周辺には石材輸送のための人車軌道が敷設され、大正初めには蒸気機関車が牽く軽便鉄道が登場。すなわち帝国ホテルが設計される以前に、すでに大谷石は産地から東京までの鉄道輸送が行なわれていたのだ。石の切り出しが体系的に行なわれ、多くの職人がいたことも大谷石が利用された理由のひとつ。ライトは石材の調達に石屋を通さず、大谷で土地を買い上げ、職人を雇って石を採掘し、東京の現場で加工と設置を行なった。その採掘場跡は現地では「ホテル山」と呼ばれているそうだ(ライトはスクラッチタイルの製造も常滑の自前の工場で行なっている)。そうした職人をひとつの現場に確保できるだけの規模が、この産業にはあったのだ。そして関東大震災で帝国ホテルの損傷が軽微であったことで、建材としての大谷石の人気が高まっていく。
このようにひとつの建築を切り口にしただけでも、産業としての大谷石の魅力が見えてくる。展示は川上から川下へ、すなわち第1部で大谷石の地質学的側面の解説を行い、第2部で石材産業と輸送の変遷、大谷石による建築物が紹介される。第3部では大谷石と美術。川上澄生や清水登之をはじめとする地元画家の作品や、大谷を題材にした画家たちの作品、東松照明の写真。そして美術と密接に関係する建築作品として忘れてはならないのは、坂倉準三による《旧・鎌倉近代美術館》(写真展示)だ。各項目は独立した事象ではなく歴史の中で有機的に結びついているので、展示室の中を(あるいは図録のページを)行なったり来たりすることになる。地場産業の歴史と未来を丁寧に掘り下げる橋本優子学芸員による企画は、すでに2014年から美術講座やワークショップ、プレ企画やサテライト展示によって熟成されてきたもの。ロゴやチラシ、図録のデザインは勝井三雄、写真は大洲大作。[新川徳彦]
2017/03/02(木)(SYNK)