artscapeレビュー
砂連尾理『猿とモルターレ』
2017年04月01日号
会期:2017/03/10~2017/03/11
6年前のこの日、この時(開演は14:30。地震発生は14:46)、東日本大震災があった。舞台はゆるやかな女たちの会話で始まる。公民館で駄弁っているかのように、静かにあの日のことを振り返る。そして、客席に向けて黙とうが促される。女たちと観客は一斉に目を瞑る。温かさと悲しさが一挙に去来する。目を開けると女たちの何人かは涙を流していた。砂連尾理が被災地を訪ね、そこで感じたことをダンスに変換したのがこの作品。北九州、仙台と公演は続き、今回は砂連尾の暮らす大阪茨木市での上演となった。テーマにまっすぐ向き合ったダンスは、仙台では客席に緊張を生み出すところもあった。茨木では緊張はまた別のニュアンスを帯びていたというべきかもしれない。頻繁に出てくるモチーフは「別れのダンス」と呼ばれ、二人が手をつなぎ、そのつないだ手だけでバランスをとり背中を重力に任せる。重さに手が離れ、二人は背中を床に倒れる。シンプルな動きだが、それが「東日本大震災」のコンテクストに絡むと、猛烈な絶望感や悲しみが喚起される。とはいえ、砂連尾と垣尾優の男二人がまじめにやればやるほど、滑稽にも見えてくる。実際いくつかの場面では、正直な笑いが会場を包むこともあり、この作品が「被災地」へのステレオタイプなイメージをただなぞるといった類の舞台でないことは、客席がちゃんと受け止めているようだった。とはいえ、被災地から遠いゆえの難しさもあったかもしれない。何度かのワークショップを経て、地元の高校の演劇部がこの舞台には参加していた。取材で知ったことだが、本作を受け止め難く感じた学生の親族もいたようだった。本作の重要なテーマに「継承」がある。直接出来事を経験しなかった者が、その出来事をどう継承し得るか。ほかならぬ砂連尾は非被災者だ。その彼が、出来事のなかの何かを「継承」しようとして、そして高校生たちがそれを「継承」する。この尊くも難しい試みに本作の賭けはある。もうひとつ茨木公演独自の要素にnookの参加があった。nookは仙台に移住して創作活動を行なう団体であり、彼らも砂連尾と同様、非被災者という立場から震災という問題の継承に挑んでいる。本公演の記録を行なう酒井耕はあえて舞台上に入り込んで撮影を実施し、瀬尾夏美は舞台に小説『二重のまち』を持ち込んだ。小説は2031年から震災を見つめる。その言葉を高校生たちが大きな声で読んでいく。高校生はもはや生き物として美しい。この美しさと絶望と悲しみとユーモアとが混ざり溶け合うというよりは同居している。伴戸千雅子と磯島未来が、それらをつないでゆくように踊った。踊りというものは、つながらないものをゆるやかにつないでゆく。ものすごい力技だが、踊りにはそれができる。その力を久しぶりに見たという気がした。
2017/03/11(土)(木村覚)