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開館30周年記念特別展 美術館の七燈

2019年06月01日号

会期:2019/03/09~2019/05/26

広島市現代美術館[広島県]

1989年、公立館としては国内初の現代美術専門館として開館した広島市現代美術館の30周年記念展。19世紀イギリスの美術評論家、ジョン・ラスキンの著書『建築の七燈』にならい、同館の軌跡や美術館に必要な要素、担う役割、今後の課題を「七つの灯り」になぞらえた章立てで構成。「観客(参加型)」「建築」「ヒロシマ」「保存修復」「資料と記録」「リサーチと逸脱」「あいだ」といった切り口から、コレクションや資料、新作インスタレーションが全館を用いて展示された。


全体を見終わって感じたのは、「歴史を編む装置」としての美術館のあり方を、(作品ではなく)自館を対象にインストールし、普段は表に出にくい潜在的な地盤を課題とともに浮かび上がらせた印象を持った。例えば、館の独自性として「ヒロシマ」を扱った作品の収集や制作委託を振り返った章。作家への「制作委託」が、開館時の1期には78作家、被爆50周年にあたる1995年の2期には50作家、1999~2005年の3期には128作家に行なわれたことが解説パネルに記され、着実な積み重ねによって館のアイデンティティが構築されてきたことがわかる。

だが、2006年以降、制作委託による収集はストップし、石内都の撮った被爆衣服、旧広島市民球場に「地蔵建立」した小沢剛、都築響一の撮った路上生活者のポートレートは、個展開催時に「寄贈」された旨が記される。 また、3年毎に開催される「ヒロシマ賞」の歴代受賞作家の紹介でも、近年になるに従い、先細りが目立つ。シリン・ネシャット(第6回受賞者)とドリス・サルセド(第9回受賞者)は収集から抜け落ち、オノ・ヨーコ(第8回受賞者)とモナ・ハトゥム(第10回受賞者)については、大型のインスタレーションではなく小品に留まる。「コレクションを通した館のアイデンティティ構築」という使命が置かれた厳しい状況を、(同館だけでなく)国内の美術館に共通する課題として物語っていた。


また、「『残すこと』作品の修復、コンサベーションの現在」と題された4章も、コレクションが直面する課題について、「保存修復、作品の生と死」をめぐる異なる考え方や対処法を、実作品とともに提示した。「物理的な修復による延命」としては、吉原治良の絵画作品の修復現場を公開。ニス層の除去と再塗布を定期的に行なうことで、表面の汚れや経年による黄変を取り除く。「最小限かつ可逆的な介入」を基本理念に、モノとしてできるだけ現状維持での保存と延命を目指す。



会場風景
[Photo: Kenichi Hanada]


一方、プラスチック製の日用品やトイレットペーパーなど消耗品を「逸脱的・遊戯的に使用」した記録映像とともに、それらの現物を床に散乱させた田中功起の作品は、「大量生産品や永続性のない素材の代替がどこまで可能か」という問いを投げかける。作品に使用された日用品は、台湾で購入された発表当時のままだという。再展示の際に取り換えが可能か、どのような配置が望ましいかは、作家と所蔵者や美術館のあいだで「インストラクション(指示書)」を今後協議する必要がある。こうした指示書は、非永続的もしくは実体的な境界が曖昧な作品を時間の隔たりを乗り越えて何度でも再生させる「譜面」の役割を果たすとともに、「作品のオーセンシティ(真正性)を保証・決定するのは誰か」という問題も含む。



田中功起《everything is everything》  2005-2006
[Photo: Kenichi Hanada]


また、66台のブラウン管テレビをV字型に積み上げたナムジュン・パイクの《ヒロシマ・マトリックス》は、メディア・アート作品が本質的に内包する「機材の劣化や技術的更新のネガとしての寿命」を浮上させる。ソニーのブラウン管テレビは2008年に生産中止になったが、パイク作品は「(テレビ)映像」の視覚的快楽の称揚とメディア批判に加え、彫刻的性質も併せ持つため、ブラウン管を液晶モニターで代替することは作品の本質を損なう。オリジナルの再生機器であったレーザーディスクはDVDに変換したというが、ブラウン管テレビについては、液晶への代替もやむなしと判断するのか、上映時間を限定して少しでも寿命を延ばすのか、交換用の部品のストックを可能な限り増やすのか、今後の対策と判断にかかっている。



ナムジュン・パイク《ヒロシマ・マトリックス》 1988
[Photo: Kenichi Hanada]


上述した「コレクションによるアイデンティティ構築(と予算的困難)」「保存修復(の異なる考え方)」は、国内外の美術館に共通する役割や課題だが、本展のもうひとつの軸は、「広島市現代美術館それ自体についてのアーカイブ」にある。ヒロシマ賞の歩みの紹介に加え、黒川紀章が手がけた建築のドローイングや模型、ロゴや椅子などデザイン設計、開館紹介の「ビデオサイン」、未完に終わった「比治山芸術公園基本計画」の図面や報告書などの資料が展示される。また、デザインユニットの又又は、美術館の準備室から現在までに残された資料を、インスタレーションとして構成。ポスターやパンフレットなど広報物、オリジナルグッズといった「外の目に触れる」資料とともに、建設時や野外彫刻設営時、公式行事の記録写真、テープカットに使われたハサミやテープ、保管理由不明な謎の品々までをリズミカルに配置。普段は「表舞台」には現われない潜在的な存在が、地層を掘り起こすように露わになった。



会場風景
[Photo: Kenichi Hanada]


また、田村友一郎は、30年前の開館日に撮影された一枚の写真──館内の公衆電話から電話をかける女性たち──を起点に、歴史のある定点からフィクションを生成。写真のなかの空間が舞台装置か撮影セットのように精巧に再現され、男女の会話で展開するストーリーが、イメージを欠いた字幕だけの映画として投影される。これらをとおして、アーカイブは「過去において描かれた未来」という分岐的な未完の像を含むものであり、その解釈行為は、これからの未来にありうる姿を(ただし欠落を含みながら)逆照射する営みであることを浮かび上がらせていた。


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