artscapeレビュー

糸井貫二木版画展

2023年04月01日号

会期:2023/03/06~2023/03/11

ギャラリーヤマト[東京都]

1960年代に開始したパフォーマンスとメール・アート、「ダダカン」の通称で知られる糸井貫二の初期作品が展示されると聞き、駆けつけた。1954年4月から60年11月にかけて『遊 連句と俳石』の表紙やカットとして制作された版画を中心に、糸井の元に残されていた作品で構成されている。ダダカン連のメンバーが調査し、2022年に仙台で初の展覧会を開催、その東京版として今回の展示が企画されたという。

糸井の活動は通称の「ダダ」が示すように、歴史のなかに位置づけようとすると、さまざまな困難を伴う。というのも、黒ダライ児の調査によれば、糸井のパフォーマンスは「日時・場所を事前に告知して行われたものすらほとんどなく、予定も設定もなく行われるか他の作家たちが設定したイベントに便乗して行われた」ほか、「糸井の手元にあった貴重な資料もメール・アートによる送付や様々な原因で散逸・紛失してしまったものが多い」という背景がある。そのため、作家自身やその場に同席していた人々、当時の文献などから得られる証言、記録写真などからでなければ、活動を捉えること自体が難しい。また、危険物、猥褻物としての規制や、黒ダがアマチュア的「限界芸術」の実践者と呼ぶような側面も、糸井の評価が遅れた理由と言えるだろう。椹木野衣が『戦争と万博』(美術出版社、2005)で紹介した、大阪万博のお祭り広場を全裸で走るハプニングがおそらく最もよく知られているが、いわばセンセーショナルな側面に隠れてしまいがちな糸井の活動を、異なる視点から考えることができたのは、今回の大きな収穫であった。

《詩画(ごあいさつ)》(1957頃)には、長男との生活のひとコマが垣間見える。その柔らかな眼差しは、《菩薩像》(1960)、《仏頭》(1963)のような宗教的かつ身近なモチーフから読み取れる祈りの姿勢とも通じるものである。その間に配置された、《いけにえ(宇宙犬ライカ)》《原子炉(1)》からは、時事問題への意識が窺える。両作品の年代は記されていないが、1957年にソビエト連邦が宇宙開発の実験のためスプートニク2号に乗せた宇宙犬ライカ、亀倉雄策が国際原子力平和利用会議のために制作し、1956年に日本宣伝美術会会員賞を受賞したポスター《原子エネルギーを平和産業に!》などを想起させる。(ダダカン連メンバーの細谷修平によれば、宇宙犬ライカは同時期の記念切手のモチーフになっており、そのイメージを参考にした可能性が高いという)



詩画(ごあいさつ)(1957頃)、木版/墨書/紙、38.9×26.7(台紙45.0×32.7)㎝、[版画右下に]白文方印「か」
[© Itoi Yoshirō / Courtesy of Postwar Art Documents Conservation Inc.]



左:菩薩像(2)(1960)、木版/紙(『週刊サンケイ』)、25.8×18.0㎝、[右下に]赤色スタンプ「KAN ITOI」
右:菩薩像(6)、木版/紙、23.0×12.4(28.3×22.0)㎝、[左下に]ITOI(1960)、朱文方印「糸井貫二」
[© Itoi Yoshirō / Courtesy of Postwar Art Documents Conservation Inc.]



仏頭(1963、第4回勤労者美術展出品)、木版/紙(台紙貼込)、28.6×37.9㎝
[© Itoi Yoshirō / Courtesy of Postwar Art Documents Conservation Inc.]



いけにえ(宇宙犬ライカ)、木版/紙、13.9×13.4(40.0×26.9)㎝、[右上に]いけにえ、[左下に]白文方印「か」
[© Itoi Yoshirō / Courtesy of Postwar Art Documents Conservation Inc.]



原子炉(1)、木版/紙、18.0×17.2(41.0×31.4)㎝
[© Itoi Yoshirō / Courtesy of Postwar Art Documents Conservation Inc.]


糸井が日常のなかに留めた言葉や視点は、決して声高ではないが、生活に根ざした「反芸術」の批評意識が息づいていることを感じさせる。糸井にとって「反芸術」は一過性の様式などではなく、生涯を通じた実践であったことを、身をもって知ることができた。かく言う私自身、10年ほど前に糸井からの封書でポルノ雑誌から切り抜かれた女性の写真や男性器をかたどった複数の紙片を受け取ったことがある。メール・アートという宛先のある表現ならではの直接性を体験しつつも、男女の間に生じるパワーバランスの感覚とは無縁の清々しさすら感じられたことがずっと印象に残っていた。今回鑑賞した作品を通じて10年越しで糸井の取り組みへの新たな回路が開かれたことを、心して受け止めたいと思ったのである。

★1──黒ダライ児『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』(グラムブックス、2010年、p.410)糸井の作品は同書の表紙としても用いられている。

2023/03/11(土)(伊村靖子)

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