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森山至貴×能町みね子『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』

2023年07月15日号

発行所:朝日出版社

発行日:2023/07/01


森山至貴『LGBTを読みとく──クィア・スタディーズ入門』(以下『読みとく』)はセクシュアルマイノリティについての基本的な知識や考え方が新書らしくコンパクトにまとめられた良書だ。セクシュアルマイノリティについて知りたいのだがまずどの本を読めばいいだろうかと聞かれたら私はこの本を薦めている。「良心(だけ)ではなく知識」をというスタンスのもと全八章のうち六章までを準備編・基礎編に費やす『読みとく』はまさに「入門」の名にふさわしい一冊と言えるだろう。

そんな『読みとく』の著者である森山と能町みね子による対談形式の本書『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』は、クィア・スタディーズのいわば実践編とでもいうべき内容となっている。だが、基礎的な知識を提供することに主眼を置いた『読みとく』がある意味で優等生的な、お行儀のよい「良書」だったのに対し、本書はそのタイトルから推し測れる通り「好戦的であり、とどまるところをしらないクィアの懐疑と批判のスピリット」に貫かれた、ある意味では「危険」なものだ。

対話する二人はしばしば、「正しさ」や「普通」にいまいちフィットしきれない自分を率直に吐露する。それが既存の価値観に基づいた「正しさ」や「普通」であれば話はわかりやすいのだが、そうとも限らないのが本書のややこしく面白いところだ。二人はときにポリティカリーにコレクトな規範とも摩擦を起こし、そんな自分の抱える矛盾と向き合い、ざっくばらんに言葉と思考を交わしながら自分たちなりの落としどころを探っていく。特に能町の率直さは清々しいほどだ。各章の冒頭に置かれた手紙形式の文章のなかで能町は「自分が当事者だということを意識した途端に、急に『客観性』がグラついてしまうのを感じ」るのだと森山に告げ、あるいは「トランスが自分の志向に沿って行動すると、ジェンダーフリー的な思想とは正反対の方に突っ走っていく」矛盾をどう思うかと問う。森山もまた、クィア・スタディーズの研究者として歴史的な経緯や一般的な定義などをひとまずは押さえつつ、能町に応じるようにして個人的な体感を語ることを恐れない。あらかじめ決まった答えに向かうのではない二人の対話はチャーミングですらある。

本書の冒頭でも言及されているように、「奇妙な」などの意味をもつクィアという単語はもともと、ゲイ男性やトランスジェンダー女性に対する蔑称として使われていたものだ。それがLGBTすべてを包含する言葉として、あるいはそのどれにもあてはまらないセクシュアルマイノリティを示す/までをも含む言葉として使われるようになっていったのは、そこに「クィアですけど何か?」という開き直りが、「奇妙」であることを積極的に引き受け既存の価値観、つまりは「普通」をジャックし転覆させようという意志があったからだ。だから、セクシュアルマイノリティ(の一部)を示す言葉としてのクィアの意味を説明することはできても、精神性を示す言葉としてのクィアはその内実を固定することができない。

このような精神性はしかし、セクシュアルマイノリティの権利をめぐる(ポリティカリーにコレクトな)政治とは食い合わせが悪いことも多い。権利を「認めさせる」運動というのは既存の価値観や体制を大前提としているからだ。例えば婚姻の平等について。同性愛者にも異性愛者と同等の権利を認めるべきであるという(それ自体はごく当然の)主張がある一方で、そもそも異性愛的な価値体系のうえに築かれた結婚という制度自体が問題なのだという思想がある。婚姻制度を即刻破壊せよと主張する「過激派」はそれほど多くはないだろうが、もう少し「穏当」なスタンスをもった、法の下の平等が成り立っていない現状としては婚姻の平等は一刻も早く実現するべきという前提に立ちつつ、本来的には結婚という制度自体どうかと思うというセクシュアルマイノリティは意外に多い。

本書の第4章「制度を疑い、乗りこなせ──『結婚』をおちょくり、『家族像』を書き換える」で二人は、能町自身の結婚をめぐる「実践」にも触れつつ(『結婚の奴』[平凡社、2019]に詳しい)、「なんで友達同士で結婚しちゃいけないの?」などと結婚や家族の「普通」を疑っていく。「普通」を揺さぶる試みはマジョリティにとっては脅威のようでもあり、だからこそ時に苛烈な排除へのベクトルが働くのだが、制度をジャックし利用する可能性を探る思考はむしろ、枠組みに囚われた人をこそ自由にするものだろう。

本書が扱うトピックは多岐にわたっている。性・性別・恋愛、マイノリティとマジョリティ、結婚と家族、そして高度な合意形成の術の参照項としてのSMからクローン人間(!)まで。本書はセクシュアルマイノリティに関する基本的な知識は履修済みだという人にこそオススメしたい。クィアな思考の実践は、世界それ自体をジャックし書き換えることを要請するだろう。


森山至貴×能町みね子『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』試し読みページ:https://webzine.asahipress.com/categories/1043


2023/07/06(木)(山﨑健太)

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