artscapeレビュー

笠木泉『モスクワの海』

2022年02月01日号

会期:2022/01/15~2022/01/22(※戯曲無料公開期間)

笠木泉が主宰する演劇ユニット・スヌーヌーの2作目として昨年末に上演された『モスクワの海』が第66回岸田國士戯曲賞の最終候補作品にノミネートされた。遊園地再生事業団、「劇団、本谷有希子」、ミクニヤナイハラプロジェクト、はえぎわなどの演劇作品や冨永昌敬監督、中村義洋監督らの映画作品で俳優として活躍する笠木は劇作家としても活動しており、2017年に脚本家・鈴木謙一らのユニットであるラストソングスに提供した『家の鍵』は第6回せんだい短編戯曲賞にも最終候補作品としてノミネートされている。アラビア語でツバメを意味する名を持つスヌーヌーでは笠木自身が演出も手がけ、2018年に踊り子ありのひとり芝居としてvol.1『ドードー』を上演。『モスクワの海』は当初は2020年12月にvol.2として上演を予定をしていたもののコロナ禍の影響で延期となり、2021年12月、1年越しでの上演が実現した。実は私はその上演については観ることが叶わなかったのだが、公演は好評を博し、その後、2022年1月15日から22日までの1週間、希望者にpdfファイルを配布するかたちで戯曲が公開された。本稿は(上演の記録写真こそ掲載されてはいるが)その戯曲のレビューとなる。


[撮影:明田川志保]


主な舞台は川を挟んで「東京の隣」にある街。「急行が止まるし、南武線も走っているから、人はそこそこいるけど、ごった返すかというと、そうでもない」駅から徒歩5分の住宅街にある「二階建ての、古くて、ちいさな一軒家」。そこに住む女1(高木珠里)はあるとき庭でふいに立ち上がれなくなってしまう。たまたま通りがかった女2(踊り子あり)は「手を、貸しましょうか」と申し出るが女1は「大丈夫です!」と頑なで──。

拒絶された女2は一度は立ち去るものの戻り、改めて手を差し伸べ、しかしその手を借りず自力で立ち上がった女1が家の中に戻るのを手伝い、彼女を病院へ連れて行くためのタクシーを呼ぼうと通りへ出る。劇中の時間で起きるのはたったこれだけ、10分程度の出来事だ。


[撮影:明田川志保]


見ず知らずの人に助けの手を差し伸べるのは案外難しい。ふいに声をかけられた側も警戒する。二人の間には門扉の柵という物理的な障壁もある。「見えているのに、助けられない」。だがそれでも女2は文字通りの障壁を乗り越え、少しだけ女1の側に踏み込む。女1の拒絶を思えばそれは余計なお世話だったのかもしれないが、そうして足を踏み入れた家の中の様子から女2は少しだけ女1のことを知ることになる。パン、せんべい、バナナの皮、割り箸が刺さったまま干からびたサトウのごはん、そこだけがきれいに拭かれた仏壇、民生委員の電話番号が書かれたメモ、溜まった郵便物。それは女1の人生のごくごく一部でしかないが、その一部ですら、加藤伸子という彼女の名前と90歳という年齢すら、女2が踏み込まなければ知り得なかったものだ。それは観客にとっても同じことだ。舞台上にはほとんど何もなく、伸子を演じる高木は90歳ではない。想像力には限界がある。


[撮影:明田川志保]


ところで、伸子には息子がいる。息子を演じる松竹生は最初から舞台上にはいるのだが、ときおり伸子と言葉を交わしたりはするものの、どういう人物なのかはなかなかはっきりしない。やがてわかってくるのは、それがフジオという名の彼女の息子であり、しかし長年引きこもっていた彼はいまはもうその家にはいないということだ。(基本的には)母親である彼女にだけ見えている息子の姿は、女2が伸子の方に一歩を踏み出そうとしたその一瞬だけ女2にも見えるようになり、彼女は少しだけフジオと言葉を交わす。

フジオはなぜいなくなったのか。53歳のある日、フジオは突然、バイトの面接のために新宿に向かう。「きょうは、気分がいい」からと家を出たフジオは結局、新宿に行くことはできなかった。川の近くの公園でフジオが思い出すのは同級生と、そこで通り魔事件を起こし自ら命を絶った、何年も引きこもっていたという自分と同い年の犯人のことだ(それは実際に起きた事件である)。「みんな、忘れてしまっただろうか」。

渡り鳥の声が「来週汚染水が放出されるよ」と告げる。高校生のフジオはまだ学校に通っていたらしい。フジオはそのときから借りっぱなしになっていたレコードや雑誌をかつての同級生に返そうとする。それはチェルノブイリ原発事故の年のものだ。そういえば、伸子が立てなくなったのは、どこか遠くで「どーん!」という音がした直後のことだった。ひとりの人間がふいに立てなくなることと歴史的な大事故。遠い両者はしかしどこかでつながっている。


[撮影:明田川志保]


[撮影:明田川志保]


バイトの面接に行けず、橋の上から川面を眺めていたフジオは、やがてそこから落ちてしまう。「彼は、確かにいろいろあるけどさ、ちょっとふらっとしただけなんだ。薬をちょっとだけ飲みすぎて、ふらっとしただけなんだ。今、今だけなんだ! この瞬間、そうなってしまっただけなんだ!(略)だから、これは、事故なんだよ」。渡り鳥たちの声は悲しくも優しい。集まった鳥たちは落下するフジオを助け、そして彼もまた鳥たちとともに飛び立っていく。その後に描かれる久しぶりの帰宅の場面は、現実か、それとも伸子の空想だろうか。

もしかしたらフジオは救われなかったのかもしれない。だが、伸子の「その瞬間」には女2がいた。遠い悲劇に直接できることはなくとも、想像の及ばないことがあろうとも、そばにいるというそれだけのことで救われる何かがあり、そこからはじまる何かもある。この戯曲はそのことをささやかに、しかし力強く肯定しようとするものだ。


[撮影:明田川志保]



スヌーヌー『モスクワの海』:https://snuunuumoscow.amebaownd.com/
スヌーヌーTwitter:https://twitter.com/snuunuu

2022/01/20(木)(山﨑健太)

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