artscapeレビュー
パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ
2023年11月01日号
会期:2023/10/03~2024/01/28
国立西洋美術館[東京都]
キュビスムは20世紀の初めにピカソとブラックが始めた芸術運動で、セザンヌの形態の捉え方やアフリカの仮面彫刻などに触発され、世界を立体(キューブ)や円柱といった幾何学的形態に還元し、面の集まりとして再構築していくスタイルを確立。ルネサンス以来の一点透視図法を否定する多焦点的なものの見方を提示し、20世紀美術に革命を起こした。……くらいの知識しか持っていなかったので、この展覧会はとても刺激的だった。
展示の最初はやはりセザンヌから始まり、ゴーガン、ルソー、アフリカ彫刻へと続く。同展はタイトルの頭に「パリ ポンピドゥーセンター」とついているように、大半の作品は同センターからの借りものだが、最初のセザンヌ、ゴーガン、ルソーはポンピドゥーの守備範囲ではないため国内で調達したもの。キュビスムへの影響を見るなら、もっとふさわしいセザンヌやゴーガンの作品がありそうだけどね。続いてピカソ、ブラックらの初期キュビスム作品が並ぶ。当然ながらMoMA所蔵の《アヴィニョンの娘たち》(1907)は出ていないが、1907〜1908年に制作されたピカソの《女性の胸像》や、ブラックの《大きな裸婦》および「レスタック」連作は、セザンヌやアフリカ彫刻からキュビスムが形成される過程が見てとれる。
いちばんの見どころは、1909〜1911年のピカソによる《裸婦》《女性の胸像》《肘掛け椅子に座る女性》あたり。切り子ガラスのように人物や背景が幾何学的に分割され、キュビスムといえば思い浮かぶイメージそのものだ。これら人物画に対抗するかのように、1910〜1913年にブラックは《円卓》《ヴァイオリンのある静物》など一連の静物画を制作。これも直線によりモチーフや背景が分割されているが、なぜか水平線は右肩下がりだ。キュビスムは理知的、幾何学的ともいわれるが、こうした画家のクセが出てしまうところが人間臭い。この時期二人は影響を受け合ったのだろう、1914年のピカソの《ヴァイオリン》とブラックの《ギターを持つ男性》を比べると、素人ではどちらがどちらの作品か区別がつかない。
1910年を過ぎると、ピカソとブラックのほかにもキュビスムの影響を受けた画家たちが続々と登場してくる。レジェ、グリス、メッツァンジェ、ドローネー夫妻らだ。レジェとグリスはキュビスムの造形表現をさらに進化させ、メッツァンジェは多焦点的な表現の帰結として時間と動きを与え、ドローネーはモノクロームに近かった画面に豊かな色彩をもたらした。ここらへんは大作が多く、また色彩や形態が多様化しているので見応えがある。
もともとピカソとブラックはカーンワイラーという画商がついていたが、それ以外の画家はサロン・デ・ザンデパンダンやサロン・ドートンヌといった公募展を唯一の発表の場としていたため、前者を「ギャラリー・キュビスム」、後者を「サロン・キュビスム」と呼ぶらしい。ギャラリー・キュビストは発表の場が限られていたので社会的広がりをもてなかったが、サロン・キュビストのほうはサロンを舞台に集団で展示を行ない、運動としてのキュビスムを推進していく役割を果たした。こうしてキュビスムは芸術的にも社会的にも大きな広がりを持つようになった一方で、運動がポピュラー化し、拡大解釈されて「だれでもキュビスム」化していったように思えてならない。
さらにキュビスムはデュシャン3兄弟、クプカ、ブランクーシ、シャガール、モディリアーニらパリに集う外国人画家たち(のみならず彫刻家たち)、いわゆるエコール・ド・パリの連中にも感染。もはやパリの芸術家にとって、キュビスムは避けて通れないハシカのような流行性疾病となり、やがて免疫がついて血肉化され、そこから立体未来派や抽象が誕生し、近代美術史に組み込まれていく。というような進歩史観はもう古いのか。
パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展─美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ : https://cubisme.exhn.jp
2023/10/02(月)(内覧会)(村田真)