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六本木クロッシング 2010展:芸術は可能か?

2010年04月01日号

会期:2010/03/20~2010/07/04

森美術館[東京都]

3回目を迎えた「六本木クロッシング」。今回は木ノ下智恵子、窪田研二、近藤健一によって選び出された20組のアーティストが参加した。ゼロ年代の現代アートを率先して牽引したスーパーフラットからマイクロポップへといたるサブカル平面路線が周到に排除されていたように、どうやらそれらとは別の系譜を打ち出すことが狙われているようだった。そのための歴史的な起源として動員されたのが、ダムタイプ。展示のトリに《S/N》が上映されていたように、80年代におけるダムタイプを起点として、森村泰昌、高嶺格、ログスギャラリー、宇治野宗輝、照屋勇賢、Chim↑Pomなどにいたるラインを歴史化しようとする意図が明らかである。その野心的な試みは理解できなくはないし、スーパーフラットとマイクロポップを相対化するうえで必要不可欠な作業であることはまちがいないが、その一方で全体的に展示の志向性が過去へと遡行していくことに終始しており、現在の生々しいリアリティや未来のヴィジョンが薄弱になっていたようにも思われた。やんちゃなストリート系を前フリとしてシリアスで思慮深い現代アートを持ってくる展示構成や、そのなかで見せられた作品も新作より旧作が大半を占めていたことが、そうした後ろ向きの印象によりいっそう拍車をかけていたのかもしれない(「また、これ?」と何度呟いたことか!)。そうしたなか、あくまでも前向きの姿勢を貫いていたのが、八幡亜樹と加藤翼。前者は山奥にハンドメイドで建てた「ミチコ教会」を舞台としたドキュメンタリーとも創作ドラマともつかない寓話的な映像作品を、後者は大人数で巨大な木製の構造物を引き倒しては引き起こすプロジェクトの映像作品を、それぞれ映像インスタレーションとして発表した。八幡の映像作品が虚構と実在のあいだをひそやかに切り開いているとすれば、加藤による集団的な力作業もまた起こしているのか倒しているのか曖昧なようにも見える。とらえどころのない空気感と、それを全身で実感しようとあがく運動性。アプローチこそ異なるにせよ、双方はともにキュレイトリアルな文脈からあふれ出るほどの魅力を放っている。

2010/03/19(金)(福住廉)

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