artscapeレビュー
チェルフィッチュ『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』
2010年06月01日号
会期:2010/05/07~2010/05/19
ラフォーレミュージアム原宿[東京都]
今年の冬の公演『わたしたちは無傷な別人であるのか?』と比べポップで軽快、手慣れているという印象を受けた。現在の岡田利規の力量のすごさと映る一方、ほころびのなさゆえだろうか、観客の心が舞台に入り込む隙を感じなかった。3本の短編がタイトル通り並ぶ構成。非正規社員が送別会の幹事を任され愚痴れば(「ホットペッパー」)、正規社員もクーラーの温度設定にストレスを感じると愚痴る(「クーラー」)。最後は、彼ら正規社員と非正規社員が集う場(朝会?)で、明日は他人となる送別会の主役がその場の誰にもほとんど関係ない内容をえんえんとしゃべり続けた(タイトルに従って「そして、別れの挨拶」の部分といえようか)。すでに単独で上演されている前者2作は、セリフとは無関係に(とはいえもちろんセリフが被さってそれに動機づけられた振る舞いが消えることなく)音楽に合わせて役者が身体を繰るところなど、いくつかの新しい要素が付け加えられていた。今回とくに音楽と演技の絡み合いが緊密で、それは演技より音楽のほうに引きつけられてしまうほど音楽が強かったということも含めてそうで、演技はときに音楽の添え物に映ることさえあった。岡田の関心が音楽に強くあるということなのだろう。元々の独特なセリフ回しも若者言葉というより岡田的言い回しととらえたほうが納得できるわけで、近年のチェルフィッチュは岡田の趣味が彼の方法と同じくらい鮮明になってきている。それはいいことだ、岡田演劇には傍若無人な無謀さ凶暴さこそ求めたい。ところで、本作のテーマは「労働」より「独り言」だったのではないか。であれば『わたしたちは~』は誰かの「独り言」が他人に侵入し感染する事態に迫っていたことを思い出さずにはいられない。それと比べると、本作の独り言(すべてのセリフは聞き手に届けようとの意志が弱く独り言に見える)は誰によるものであれ純然たる独り言であり、ほかの(役の)誰かの内に(また見る者、少なくともぼくの内に)侵入し傷つける力が希薄だった。
2010/05/19(水)(木村覚)