artscapeレビュー

2010年06月01日号のレビュー/プレビュー

村林由貴 個展「溢れ出て止まない世界」

会期:2010/04/10~2010/04/25

GALLERY RAKU[京都府]

全紙サイズの紙を20枚ほど貼り合わせた巨大な絵画が天井と壁に3点。残りの壁には過去の代表的な作品が展示され、床では大作が公開制作でまさに進行中だった。画風は、具象的モチーフによる幻想的な世界からストロークを強調した抽象画へと移り、現在は花や触手を思わせる形態が無限増殖するスタイルに。大学生にして回顧展とは気が早いかもしれないが、アイデアとモチべーションが怒涛のように湧き出てくる状態であることはよくわかった。

2010/04/21(水)(小吹隆文)

堀尾貞治 展

会期:2010/04/17~2010/05/15

ギャラリーヤマキファインアート[兵庫県]

画廊に入ると、いつもの堀尾展とはまったく異なる状況に驚かされた。作品ともガラクタともつかない物体で雑然としているはずの会場が、すっきりとスタイリッシュにまとめられていたのだ。どうやら画廊側の提案に堀尾が乗ったらしい。他人のディレクションに身を任せたらどんな世界が現われるのか、彼自身もそんな機会を望んでいたのかもしれない。普段のフリーダムな堀尾ワールドがお好みのファンは複雑な気持ちかもしれないが、私は大いに気に入った。なんだ堀尾さん、正装もきちんと着こなせる人だったんですね。

2010/04/23(金)(小吹隆文)

佐々木耕成 展「全肯定/OK.PERFECT.YES」

会期:2010/04/23~2010/05/23

3331 Arts Chiyoda[東京都]

今年で82歳を迎える佐々木耕成の個展。かつて読売アンデパンダン展や「ジャックの会」など前衛美術運動で活躍し、その後ニューヨークへ渡ってヒッピー・ムーブメントやヴェトナム反戦運動などカウンターカルチャーの只中で「全肯定の思想」を練り上げた。数10年前にひそかに帰国して群馬県内の山中で絵画の制作を再開したというから、今回の個展は佐々木にとってじつに40年ぶりの再デビューである。展示されたのは巨大な抽象画40点あまりと記録資料、インタビュー映像。キース・へリングの影響を受けたという抽象画は、明るいかたちが有機的に入り組んだもので、細胞分裂を目の当たりにするかのような運動性を体感できる。そこには難解な美術理論による解説など端から必要としない、あっけらかんとして、一切の屈託がなく、溌剌とした精神が体現されている。それが佐々木のいう全肯定の思想の現われであることは疑いないが、しかし、そこには一方で全否定という暗い根が張っているようにも思えた。全肯定の思想は、そもそもシベリアに抑留され、命からがら逃げ延びて帰国してきたという動物的な経験を出発点としているからだ。だから佐々木が描き出す全肯定の抽象画には、戦争という人間の存在を全否定する経験から、人間のありのままをすべて肯定するという境地に到達した、長く、そして粘り強い軌跡が隠されているのである。その反転、その回復、その飛躍こそ、佐々木耕成の絵画の本質にほかならない。これは近年のサブカル的なドローイングや日本画、あるいは80年代の抽象画にも望めない、佐々木耕成ならではの絵画的達成である。

2010/04/23(金)(福住廉)

徳島LEDアートフェスティバル2010

会期:2010/04/17~2010/04/25

徳島市ひょうたん島一帯[徳島県]

JR徳島駅がある市内中心部の中州、通称「ひょうたん島」の河岸と周辺地区に、LEDを用いたアート作品が多数展示された。作品は、招待作家4人を含む27点。会期中はイベントも多数開催され、周遊船の就航やランドマークのライトアップもあって、市中の夜が華やかに演出されていた。正直、招待作家以外は玉石混交で、なかには稚拙な作品もあった。しかし、日が沈むにつれ河岸に市民が集い、思い思いに夜景を楽しむ様子を見ていると、市民のお祭りとしては上出来なのかなとも思う。今後も継続されるのか定かではないが、じっくり育てていけば市民に愛される風物詩的なアートイベントになるかもしれない。

2010/04/24(土)(小吹隆文)

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ホナガヨウコ企画 音体パフォーマンス『リアル感電!!』

会期:2010/04/24~2010/04/25

川崎市アートセンター アルテリオ小劇場[神奈川県]

d.v.dとホナガヨウコがつくりだす空間はとてもポップだった。両側にドラマーを配置し、奥の巨大なスクリーンを通してシンプルでカラフルな映像を映す、そのなかでダンサーがシンプルかつキャッチーな仕草を繰り出してゆく舞台。音(聴覚的データ)が身体(視覚的データ)で表現される場合もあれば(ドラマーの一打一打にダンサーがリアクションするとか)、身体表現に動機づけられ音が発せられる場面もある(ダンサーたちが互いに指さしするジェスチャーに合わせてドラマーが刻むとか)。もともとこうした視覚的データと聴覚的データの交差を音楽演奏に活かしていたd.v.dとのコラボ。“音体パフォーマンス”と自らの表現を呼ぶホナガヨウコは、視覚的データと聴覚的データの相互作用を軽やかに遊んだ。以前のサンガツとのコラボなど、こうしたポイントへの自覚的なアプローチは楽しいし今後の展開を期待させる。ポップな振付もフレッシュに映る。とくに、ダンサーの望月美里からは、単に個性という以上に、リアルな若者を表象するアイコンとしての力が感じられ、魅了された。でも、シンプルな振付は、ダンサーたちの力量だけでなく各人のキャラとしての輝きにその魅力の多くがゆだねられてしまうところがあり、キャラ揃いのダンサーばかりであればその見え方はまた違っていたのかもしれない。

2010/04/24(土)(木村覚)

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