artscapeレビュー
杉江あこのレビュー/プレビュー
デザインを記録し継承するもの展 グッドデザイン賞年鑑の10年・2010-2019
会期:2020/06/03~2020/07/14(※)
日本国内でもっとも知られたデザイン賞といえば、言わずもがなグッドデザイン賞だろう。日本国内では85.5%の人が「グッドデザイン賞を知っている・聞いたことがある」そうだ(公益財団法人日本デザイン振興会による2014年12月インターネット調査)。確かにGマークは「デザインが良い」というお墨付きになり、他商品との差別化を多少図れるかもしれない。しかしデザイナーの立場からすると、いわゆる“名誉”となるデザイン賞は世界にもっとたくさんある。例えばドイツのiFデザイン賞やレッド・ドット・デザイン賞などだ。その点で、設立から60年以上が経ち、やや飽和状態となったグッドデザイン賞自体にもブランディングが必要なのではないかと思う。つまりデザイナー自身が誇れる賞となるために。
2010年度にグッドデザイン賞審査委員長にプロダクトデザイナーの深澤直人、副委員長にグラフィックデザイナーの佐藤卓が就任したことを機に、受賞年鑑『GOOD DESIGN AWARD』が大幅にリニューアルした。深澤が「こんな存在感の本が欲しいんだ」と言って、それこそドイツのデザイン賞の分厚い年鑑をアートディレクターの松下計の目の前に置いたという。背幅が数センチメートルある、分厚く重いハードカバーの年鑑がこうして生まれ、以後、同じ装丁の年鑑が10年続いた。2010年当時、紙媒体はデジタル媒体に取って代わられると叫ばれていたにもかかわらず、時代と逆行するかのように、深澤は物質としての本を強くアピールしたのである。これはまさに年鑑を活用したグッドデザイン賞のブランディングの一環ではないか。
本展ではその10冊の年鑑を閲覧可能な方法で展示するとともに、編集、撮影、レイアウト、印刷、紙、装丁など、年鑑づくりに関する秘話を紹介している。例えば本文の紙は上質紙の「ヴァンヌーボスムース-FS」を基に紙色を変えたオリジナルで、「sandesi(サンデシ)」という名前がついているとか、ロングライフデザイン賞は全ページにわたって同じグレー背景で商品撮影をしているのだが、そのグレーの発色が転ばないように5色のインキで刷っているとか、非常にマニアックな秘話が公開されていて興味深かった。本に限らず何でもそうだが、細部を職人的に丁寧につくり込んでいくと、全体の精度が上がる。物質的な存在感とともに、精度の高い年鑑に仕上げたことは、グッドデザイン賞の価値を上げることにもつながったのだろう。さて2020年度からはアートディレクターが交代し、年鑑の制作方法も変わるという。次からはどんな形態で、どんなメッセージを伝えるのだろう。
公式サイト:https://www.g-mark.org/gdm/exhibition.html
2020/06/06(土)(杉江あこ)
福田和代『東京ホロウアウト』
発行:東京創元社
発行日:2020/03/19
本書は近未来小説と言うべきなのか、リアリティー小説と言うべきなのか。時は2020年7月。東京オリンピック開幕直前のおよそ10日間を描いたサスペンス小説である。そう、本来ならいまごろ、東京をはじめ日本はオリンピック一色で盛り上がり、56年ぶりの高揚感を味わっているはずだった。それなのにウイルスの恐怖に怯え、経済がこれほど冷え込むとは、いったい誰が想像しただろう。本書は2018〜2019年に雑誌連載された作品を加筆修正したものであるため、当たり前だが、東京オリンピックが開催されることを前提に書かれた。東京中がハラハラとした危機にさらされるリアリティー小説だったはずなのだ。それなのにあり得た現実(東京オリンピック)があり得なくなったいま、本書は別の意味でのファンタジーとなってしまった。サスペンス小説であるのに、小説上で起きている「現実」が非常に眩しく感じてしまったのは、私だけか。
主人公は長距離トラックドライバー。正直、本書を読むまではトラックドライバーに対して何の関心も抱いていなかったが、彼らは物流を支えるプロであることが一貫して語られる。農業や漁業生産地から問屋や市場、スーパーマーケットやコンビニエンスストアへ、また個人宅から個人宅へ。そうなのだ、いまの世の中でわずかでも止まった途端、混乱が起きかねないのが物流である。例えばコンビニエンスストアに、毎日、たくさんの弁当が並べられている。その当たり前の光景を実現するために、いったいどれだけの人々が懸命に働いているのか。誰も意識すらしていなかった社会や物流のデザインを知らしめるがごとく、本書ではさまざまなテロが起きる。トラックの荷台を狙った青酸ガス発生事件に始まり、鉄道の線路破壊、高速道路のトンネル火災、トラックの車両爆破事件など。これらの事件が重なり、物流が徐々に止まることで、「東京が空っぽになる」ことに皆が気づいて恐怖を覚えるのだ。
最大消費地である東京を支えるために、この国はあるのか。実に軽やかに書かれた小説であるのに、読後にはこうしたメッセージが重くのしかかる。華々しく開かれるはずだった東京オリンピックが延期されたいまだからこそ、それをより深く考えさせられる。
2020/05/24(日)(杉江あこ)
パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』
訳者:飯田亮介
発行所:早川書房
発行日:2020/04/24
コロナ禍で話題を集めているという噂を頼りに、本書を手に取ってみた。このイタリア人作家の文学をこれまでに私は読んだことがないが、専門的で数学的な情報と、叙情的な言葉、強いメッセージ力が備わったエッセイ集で、心に優しく響いた。新型コロナウイルスの専門的な情報については、テレビや新聞などのメディアでさんざん報じられているので、ある程度は聞いたことのある情報であったが、著者は人類のうち感受性人口(ウイルスがこれから感染させることのできる人)を「75億個のビリヤードの球」に例えて、感染症の流行の仕組みを説明するなど、ユニークなエッセイを展開する。なるほど、こうして説明されると、誰もが頭のなかに具体的なイメージを描きやすい。訳者の力もあるのだろうが、非常に滑らかな文体で何編ものエッセイが綴られていた。
圧巻は、著者あとがきとして綴られた「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」である。著者は「すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」と問いかける。そのうえで忘れたくない物事を列挙していく。自分自身の自己中心的な行動をはじめ、初期段階における人々の不信、いい加減な情報の伝播、政治家の態度、欧州の対策の遅れなどを叙情的に批判する。そして今回のパンデミックの原因が、「自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそある」とまで言及する。ウイルスと森林破壊とが直接的な関係があるのかどうかという点はさておき、つまりいまこそゼロベースで人間社会のあり方を見つめ直すときであることを、著者は訴えるのだ。
最近、よく政治家らから「コロナに打ち勝つ」といった言葉が聞かれるが、私はそれに違和感を感じてならない。どんなウイルスとも生物とも、結局、人間は共生していかなければならないからだ。コロナ時代に突入したいま、我々はどう生きるべきか。厚生労働省が打ち出した「新しい生活様式」とか、そういうことではない。実はもっとも大事なのは、我々の心のありようではないか。本書はそんなシンプルなことに気づかせてくれる。
2020/05/22(金)(杉江あこ)
TDC DAY 2020
主催:東京タイプディレクターズクラブ
2020年4月にギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催される予定だった企画展「TDC 2020」が、新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となった。しかし一方で、同時開催のデザインフォーラム「TDC DAY 2020」が無観客で実施され、YouTubeでライブ配信された。会場で講演した受賞者もいれば、自宅からビデオメッセージを寄せた海外受賞者もいる。アーカイブされたそのコンテンツが、現在もオフィシャルサイトで視聴できるようになっている。というわけで、本稿は「TDC DAY 2020」のレビューとしたい。
タイポグラフィーというと、長い間、文化の中心を担ってきたのは英語を中心とする西洋文字である。その西洋文字が生きるグラフィックデザインを、日本も手本としてきたことは間違いない。国際賞である「東京TDC賞」にもそんな正統的な流れがあるが、今回の受賞作品を観ると、さらに新しい流れが生まれていることを感じた。それは中国語を使った挑戦である。受賞12作品のうち、TDC賞2作品が中国からの作品だった。そのひとつ「Big, or Small」と題した作品は、中国語による西洋環境への“侵略”を表現した実験動画である。英語でつくられた広告物を題材に、Google翻訳でその英語を中国語に翻訳し変換したらどう映るのか。いくつものグラフィックデザインの文字が変換される瞬間を動画に編集し、英語と中国語が混じり合う奇妙で無秩序な世界をつくり上げた。もうひとつの作品「the benevolent enjoy mountains “任者乐山”」は、孔子の言葉である四つの漢字「任者乐山(仁徳のある者は山を楽しむ)」を1文字ずつ立体的に変形させ、雪山に見立ててポスターにした作品だ。それらはもはや文字として認識できないが、雪山という造形で意味を伝える。この作品をデザインしたチームは、これまでに中国語と英語とを同じような印象に見せるタイプフェイスの研究もしてきたという。なんと、前者の方法とは真逆の試みではないか。西洋が中心となって築き上げたモダンデザインがグローバル化するなかで、いま、中国は母国語のアイデンティティーを探ろうとしているときなのかもしれない。中国以上に複数の文字を母国語に持つ日本にとっても、この動きは決して他人事ではないはずだ。
さて、今回の受賞作品にはもうひとつの動きがあった。それは新テクノロジーの登場である。AI(人工知能)が既存の本を読み取り、そのなかから短い詩的な言葉を選び取り、Googleでイラストレーションを検索して装飾し、インターネット印刷を使って自動的に本を出版するという、驚くべきプロジェクト「The Library of Nonhuman Books」がRGB賞に選ばれた。また紙の上でペンを走らせるときの動きを滑らかなアニメーションにした、自動的に文字を作成するツール「Grammatography」も興味深かった。この作品の開発者が言うように、まさにカリグラフィーとタイポグラフィーの良さを併せ持った技術である。2020年代に入り、タイポグラフィーを取り巻く環境がますます進化している。よりグローバルな視点に立って、今後の動きにも注目したい。
公式サイト:https://tokyotypedirectorsclub.org
2020/05/05(火)(杉江あこ)
PANDAID
運営:NOSIGNER
新型コロナウイルス感染拡大防止に向けて、デザイナーはいったい何ができるのか。いま、多くのデザイナーがそんな思いに駆られているに違いない。2020年3月から4月にかけて、私はFacebookのタイムラインでデザイナーやデザイン関係者によるさまざまなアイデアの投稿を目にした。そのなかで多くの話題を呼んでいたのが、デザイナーの太刀川英輔が代表を務めるNOSIGNERが立ち上げたウェブサイト「PANDAID」である。
最初に見た投稿は、「PANDAID」のコンテンツのひとつである「フェイスシールド」の動画だった。太刀川自身が中心となって開発したこれは、「A4クリアファイルを使って約30秒でつくれる」というのが最大の特徴で、A4クリアファイルに目をつけた点はさすがと言うべきである。まとめ買いをすれば1枚何十円という安価なので使い捨てしやすく、素材も透明度の高いPETやPP樹脂が多く使われているので適している。何よりA4原寸大の型紙をPDFでダウンロードでき、その型紙を印刷し、クリアファイルに挟み込んで、型紙の指示どおりにハサミを入れれば完成するというわかりやすさが魅力だ。参考までに市場に出回るフェイスシールドを見てみると、1枚数千円が平均価格だが、写真を見る限り、それらと比べても遜色がない。では、医療現場でこのA4クリアファイル製フェイスシールドを使えるのかという点については、私が知る医療従事者に聞いてみると、医薬品医療機器等法の範疇ではないため現場判断となるらしい。感染者の治療に当たる医師や看護師ならばもっと厳重なフェイスシールドが必要になるだろうが、それ以外の業務に当たる医療従事者であれば十分なのかもしれない。実際に医療従事者から好評を得ているという話も聞く。また小売店や飲食店、理美容店、介護施設など、不特定多数の人と接触しなければならない仕事に就く人たちにとっても、このフェイスシールドは役立つだろう。
「PANDAID」は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の基本情報をはじめ、個人が実践できる衛生や体力維持の方法、また助成金情報やリモートワーク術、自宅での楽しみ方など、多岐にわたる情報がひとつのウェブサイトにまとめられている点が特徴だ。非営利で自主運営、誰でも編集に参加できる共同編集というスタイルを取っている。だからこそ意図せずともフェイクニュースを流してしまう危険性も伴うため、「科学的ファクトが示されている情報を集める」などの編集方針を示す。さらに「一般の方に科学的情報が魅力的に伝わる記事とデザインを実現する」とあり、この辺りのコントロールが腕の見せどころにもなっている。NOSIGNERといえば、東日本大震災後に災害時に有効な知識や情報を集めて共有するウェブサイト「OLIVE」を立ち上げ、注目を大いに集めた。その後、それは東京都が発行したハンドブック『東京防災』の編集にもつながった。「PANDAID」もその流れを汲んだ活動のようだが、しかし「OLIVE」の充実したコンテンツに比べると、「PANDAID」はまだ途上のように見える。今後のコンテンツ拡充に期待したい。
公式サイト:https://www.pandaid.jp
2020/05/04(月)(杉江あこ)