artscapeレビュー

杉江あこのレビュー/プレビュー

分離派建築会100年展 建築は芸術か?

会期:2020/10/10~2020/12/15

パナソニック汐留美術館[東京都]

建築は芸術か否か。いまから100年前の1920年、東京帝国大学建築学科の学生6人がそんな議論を熱く交わした。歴史を俯瞰してみると、その少し前の1911年に欧州では理論家のリッチョット・カニュードが著書『第7芸術宣言』を著し、映画を7番目の芸術であると宣言した。では、その前提となった6つの芸術とは何か。それは音楽、詩、舞踏(時間芸術)、建築、彫刻、絵画(空間芸術)で、実は建築はすでに芸術に含まれていたのである。本展の主旨を知り、そんなことを思ったが、当時の日本と欧州とでは置かれている状況が違いすぎた。日本は明治維新後、西洋の様式建築をひたすら吸収し、ようやく身に付けた頃だったという。そのうえで日本人が目指すべき建築とは?を模索し始めた、言わば分岐点だったのだ。

とはいえいまの感覚からすると、芸術という言葉がかなり重たく、またその意味も変容しているので、あえて勝手に解釈するとすれば、「建築に審美性は必要か」となるのではないか。これはデザインに置き換えることもできる。デザインは芸術ではないが、「デザインに審美性は必要か」となる。どちらも答えはイエスだ。現代ではそんな風に当たり前に答えられることも、100年前の当時、学生たちは青臭く議論し、行動に起こし、建築運動にまで発展させた。いや、彼らの運動があったからこそ、いま、我々は当たり前のものとして答えられるのかもしれない。

分離派建築会創立時の集合写真 1920(大正9)年2月3日[写真協力:NTTファシリティーズ](展示期間:10月10日~11月10日)

本展は分離派建築会の始めから終わりまでを追った色濃い内容である。第一回作品展で発表した迫力ある卒業設計、ロダンをはじめ欧州の彫刻に影響を受けた大胆な模型、農村に設計した新しい形の住宅、関東大震災からの復興、モダニズム思想との出合いなど。どれも独自の審美性を持ち、たくましくも美しい建築を志向していて、とてつもないエネルギーを感じた。もうひとつ私が注目したのは、1918〜1920年は世界中でスペイン風邪が大流行した時期ということだ。奇しくも、いまは新型コロナウイルス感染症が蔓延する時期である。つまり彼らはパンデミックを乗り越え、この建築運動を起こしたのだ。ということは、我々の未来にも希望が残されているのか。良い意味で歴史は繰り返すことを期待したい。

山田守 卒業設計 国際労働協会 正面図 1920(大正9)年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻(展示期間:10月10日~11月10日)

瀧澤眞弓 《山の家》 模型 1921(大正10)年/再制作:1986年 瀧澤眞弓監修

堀口捨己 紫烟荘 1928(昭和3)年 『紫烟荘図集』(洪洋社)所収、東京都市大学図書館


公式サイト:https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/20/201010/

2020/10/09(金)(杉江あこ)

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LIVE! KOUBA -燕三条 動画と配信-

会期:2020/10/01~2020/10/31

コロナ禍で、今年は数々のイベントや行事が中止や延期、縮小、形態変更を迫られた。形態変更の方法として、一気に市民権を得たのがオンラインの活用である。と言っても、その実態はさまざまであることは確かだ。ネット通販になっただけとか、ビデオ配信だけとか、ZOOM会議のようとか、リアルで味わえた満足感がそっくりそのまま置き換えられるわけではない。しかしオンラインならではの利点もあることに気づいた。それは物理的な距離を埋めてくれることである。飛行機や電車を乗り継ぎ、4〜5時間かけ、わざわざ足を運ばなければならないなど、これまで遠方であることがネックとなって足が遠のいていたイベントも、オンラインであれば気軽に覗いてみようという気持ちにさせる。「燕三条 工場の祭典」の開催をやむなく見送り、今年新たに企画された「LIVE! KOUBA」もそのひとつだ。

「燕三条 工場の祭典」は、2013年から新潟県三条市と燕市で毎年開催されている言わば「工場見学」イベントだ。金属加工業が同地域の資源である強みを生かし、数日間、数十社もの工場を一般に向けて一斉開放することで、工場を観光地化するというユニークな試みが受けている。この手法は、開催当初から日本各地の産地でも地域活性化の手本として熱い注目を浴びてきた。私も気になりつつも、具体的な取材やリサーチでない限り……と遠方であることを理由に行きそびれていたのだが、ついに今年、初めて見ることができた。オンラインで、である。

これまで「燕三条 工場の祭典」は数日間の開催だったが、「LIVE! KOUBA」となったことで、10月の土日を除く1カ月間を費やし、動画と配信でKOUBA(工場、耕場、購場)の様子を発信するという。動画は事前に収録し編集したものを流すことを指し、配信はその日ごとに対談やロケを生配信することを指す(これも後ほど動画として再生できる)。毎日、決められたテーマとスケジュールに合わせて、動画と配信を少しずつ発信することで、ユーザーに何度も「LIVE! KOUBA」を覗きに来てもらうことを狙っている。この点がオンラインへ移行しても変わらない企画力の高さを物語る。もちろん配信に関しては、彼らも放送関係のプロではないので、多少の粗や甘さは目立つが、しかし一所懸命さは伝わる。また私のように気にはなりつつもこれまで訪れたことのない「燕三条 工場の祭典」未経験者に、来年以降、足を運んでもらう良いPRにもなるのではないか。ありきたりな言葉だが、ピンチをチャンスに変えられた者が勝者となる。このコロナ禍では、それがより問われている。

©️「燕三条 工場の祭典」実行委員会


LIVE! KOUBA -燕三条 動画と配信- Trailer ©️「燕三条 工場の祭典」実行委員会

公式サイト:https://kouba-fes.jp/2020
主催・運営:「燕三条 工場の祭典」実行委員会


2020/10/05(月)(杉江あこ)

JAGDA新人賞展2020 佐々木俊・田中せり・西川友美

会期:2020/09/08~2020/10/15

クリエイションギャラリーG8[東京都]

日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)が、年鑑出品者のなかから、今後の活躍が期待される39歳以下の有望なグラフィックデザイナーに贈る「JAGDA新人賞」。その展覧会を今年も観に行った。今回選ばれたのは、佐々木俊、田中せり、西川友美の3人。電通に所属する田中が手がけた企業ブランディングやロゴデザインなどは想定内の作品であったが、残り2人の作品に関しては様子が何か違っていた。特に西川の作品は異色を放っていたと言うべきだろう。そもそも西川は第19回グラフィック「1_WALL」グランプリ受賞者で、その際の個展「dou?」の一連作品やツールを主に出品していたこともあり、イラストレーションの作品が大方だった。そのイラストレーションがシンプルなようで、なんとも強烈な個性を放っていたのだ。地面に寝そべった姿勢を取りながら、ほのかな笑顔を正面に向けた、人間なのか動物なのかわからないキャラクターたち。脱力しているのか、挑発しているのかも判別がつきづらく、見る者に戸惑いを与える。そんなテイストのイラストレーションが商業施設や百貨店のポスターにも採用されていたので、なお驚いた。1960〜1980年代頃、イラストレーターがグラフィックデザインの仕事を請け負い、輝いていた時代があったが、西川はその流れを汲むのか。いや、きっと新しい流れなのだろう。

展示風景 クリエイションギャラリーG8[写真:藤川直矢]

また佐々木は、詩人の最果タヒとの仕事にその個性がよく表われていた。ブックデザインやポスターのほか、目を引いたのは美術館の企画展出品作品「詩の標識、あるいは看板」である。原色使いのグラフィックデザインのなかに言葉を収めた立て看板のような作品は、その言葉を体感的に届けるのに成功していた。最果タヒの鋭くとがった、透明感のある言葉が空間の中に漂っているようで、不思議な感覚を覚える。この大胆な原色使いが、佐々木の得意とする手法なのか。西川と佐々木の作品は、どこか人の心をざわつかせ、引っかかりを生む。そこが「様子が何か違っていた」と感じた点だ。スマートなグラフィックデザインが台頭する現代において、この感覚はなんとも新鮮だった。

展示風景 クリエイションギャラリーG8[写真:藤川直矢]


公式サイト:http://rcc.recruit.co.jp/g8/exhibition/2009/2009.html

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2020/09/25(金)(杉江あこ)

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アイヌの美しき手仕事

会期:2020/09/15~2020/11/23

日本民藝館[東京都]

日本のなかでも北海道と沖縄は特別な地である。まるで外国のようだと思うのは当然で、かつてそこには先住民が独自の言語と文化を持ちながら暮らしていたからだ。言うまでもなく、北海道にはアイヌ民族が、沖縄には琉球民族がいた(現代にもその子孫がいる)。どちらも明治政府によって奪われた民族だからこそ、民俗学的な視点でつい物珍しく見てしまうが、それだけでは真に理解したことにはならない。日本民藝館で開かれた本展は、柳宗悦らしい「民藝」の視点でアイヌを尊く見つめた内容だった。

アイヌというと、真っ先に思い浮かぶのが、あの独特の文様である。渦巻紋(モレウ)、棘紋(アイウシ)、目紋(シク)と呼ばれる文様は、水の波紋や風のうねり、炎など自然事象を抽象化したものだとされている。柳は「模様で吾々は自然への見方を教わる。よい模様は自然をかく見よと教えてくれる」と評する。さらに「よい模様のない時代は自然をよく見ていない時代だとも云える」とも言う。その点でまず、柳はアイヌが残した文様に奥深い美を見出したのではないか。アイヌの人々はこれらの文様を思い思いに組み合わせて、男性は木彫りに、女性は刺繍に生かした。その様子が垣間見られるさまざまな木工品と衣装が展示されていた。

イラクサ地切伏刺繍衣裳(テタラベ) 丈116cm 樺太アイヌ

木工品のなかで、いったい何だろうと目を引いたのが「イクパスイ」と呼ばれるヘラのような平たい棒(俸酒箸)である。これは儀礼の際、神に酒を捧げるのに使われた祭具で、杯の上に渡して置かれる。人と神との仲立ちをする役割があるそうだ。しかし展示ケースにいくつものイクパスイが並んだ様子は、木彫りの見本といった風で、非常に興味深く眺めた。一つひとつの形やサイズ、文様、彫りの手法、朱漆の有無などがまちまちで、どれも思い思いに作られた様相を呈しており、何とも言えぬ力強さがみなぎっていた。また衣装も同様だ。樹皮の繊維を糸にして織った布を着物や羽織りに似た形に仕立て、その表面に細く切った布を並べて縫い付ける「切り伏せ」と呼ばれる手法で文様を施し、さらに刺繍を施す。和服にはない大胆な装飾方法に、圧倒的な力強さを感じた。厳しい自然環境のなかで、神とのつながりを大切にしながら生きてきたアイヌの文化には、質素で野趣にあふれた美学がある。彼らの手仕事を通して、その一端を知る機会となった。

刀掛け帯(エムシアツ) 静岡市立芹沢銈介美術館蔵

煙草入れ(オトホコホペ) 高7.0×横12.0cm 静岡市立芹沢銈介美術館蔵


公式サイト:https://mingeikan.or.jp/events/

2020/09/25(金)(杉江あこ)

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本間真二郎『感染を恐れない暮らし方 新型コロナからあなたと家族を守る衣食住50の工夫』

発行:講談社ビーシー講談社
発行日:2020/06/09

「7月末をピークに緩やかな減少傾向にある」と分析された、国内の新型コロナウイルス感染者数。しかし秋冬に向け、さらなる流行が来るに違いないと予想されている。現に、欧州では第二波とも言うべき流行が始まった。戦々恐々とする気持ちもあいまって、「新しい生活様式」はもはやすっかり馴染み、外出時にマスク着用は当たり前、3密を避け、ことあるごとに手を消毒する日々である。だが、一方で、私のなかでふつふつとある疑問が湧いては消え、消えては湧くのだった。その疑問に的確な答えを導いてくれたのが本書である。

「新しく登場してくる感染症に対しては、身のまわりをどんなに滅菌・除菌しても、どんなに薬を飲んでいても、どんなにワクチンを打っても防げないことは、毎年流行しているインフルエンザや、今回の新型コロナウイルスを見てもあきらかです」。そう、消毒はウイルスに一時的には有効であるが、消毒のしすぎも実は良くないのだ。なぜか。それは手の皮脂や皮膚にある常在菌が過度な消毒により大きなダメージを受け、ひいては自分自身の免疫力や抵抗力を下げることになるから。そもそも細菌やウイルスなどの微生物はあらゆる環境に存在する。それらは人間の敵でもなんでもなく、一部はなくてはならない共存関係にあり、また地球の生態系を担う大事な要素でもあるのだ。だから新型コロナウイルスへの最大の防御法は、微生物を排除せず、自分自身の腸内細菌を元気にし、免疫力を高める暮らし方をすることと著者は説く。まさにそのとおりだと腑に落ちた。

この著者は大学病院などに長年勤務してきた医師で、NIH(米国国立衛生研究所)にてウイルスやワクチン研究に携わった経験があり、現在は栃木県の診療所で地域医療に従事しながら、自然に沿った暮らしを実践する人物である。現在のパンデミックを俯瞰して捉えると、実はシンプルな結論に行き着くことを、本書を読んで思い知った。感染症にかかって重篤化するか否かの分かれ目は、ウイルスの強さでもなんでもなく、結局、自身の免疫力次第なのだという。また感染症に限らず、病気になるということは、これまでの“不自然な”暮らし方に何か問題があった結果であるともいう。ウイルスはその引き金に過ぎない──。世界中で、一度、立ち止まって自身の暮らしから地球環境までを考えるときがやって来た。

2020/09/23(水)(杉江あこ)