artscapeレビュー
村田真のレビュー/プレビュー
村上華子展 ANTICAMERA(OF THE EYE)
会期:2017/12/11~2018/1/19
第一生命ギャラリー[東京都]
重厚な第一生命日比谷本店のビルを入ってギャラリーに向かうと、入口から金の額縁が目に飛び込んでくる。このギャラリーには似つかわしくない作品だなと思いつつ入室してみると、額縁ではなく、縁が黄金色をした大きなプリントであることがわかる。いやそれは最初からわかっていたんだけど、いちおう書き出しとして知らんぷりして書いてみました。第一生命がスポンサーを務める「VOCA展」で昨年、佳作賞を受賞した村上華子の個展。「ANTICAMERA(OF THE EYE)」と題するシリーズは、100年ほど前に生産されたものの、未使用のまま残されていた最初期のカラー写真「オートクローム」の乾板を現像したプリント作品。だからなにかが写っているわけではなく、100年のあいだにわずかながら光学的・化学的変化を起こしてシミのような偶然の模様が成長したのだ。額縁のように見えたのも、乾板の周囲にたまたま瑪瑙のような美しいパターンが現出したもの。作者もこれを見て「お、これは絵画だ!」と思ったのではないか。
2018/01/16(村田真)
中国革命宣伝画展
会期:2018/01/10~2018/01/30
明治大学博物館[東京都]
昨年、明治大学現代中国研究所編で白水社から出版された『文化大革命』の連動企画展。1966年から76年までの文化大革命時につくられたプロパガンダ用のポスターやビラなど100点以上を中心に、写真、毛沢東語録、バッジなども出品。ポスターやビラの原画は写真に基づいた絵が多いが、なかには歴史画のようなリッパな図柄もある。中国に現代美術が到来するずっと昔のことだが、こうした西洋的なリアリズム表現は、1938年に革命の聖地といわれる延安に創設された魯迅芸術学院が大きな役割を果たしたらしい。パンフレットによれば、「その手法は単純で、中国共産党史観に基づいて善悪を明確に区別し、無産階級の労働者(工)、農民(農)、軍隊(兵)のいわゆる「工農兵」を、それらを指導する毛沢東や共産党とともに大きく、明るく、爽やかに描き、国民党や日本軍、そして有産階級を卑屈に、小さく、暗く表現した」。なるほど毛はひときわ大きく、明るく、ハンサムに描かれている。あれ? 日本人は卑屈に、小さく、暗く描かれてたっけ? 小さすぎて暗すぎて気づかなかったかも。
2018/01/13(土)(村田真)
TOP Collection アジェのインスピレーション ひきつがれる精神
会期:2017/12/02~2018/01/28
東京都写真美術館[東京都]
20世紀初めにパリの街角を撮り続けたウジェーヌ・アジェと、その写真が後世に与えた影響を探る展覧会。アジェのほか、マン・レイ、ベレニス・アボット、リー・フリードランダー、森山大道、荒木経惟らの作品が出ているが、なんてったって見ごたえがあるのはアジェだ。いってしまえばただのパリの街角を写した風景写真なのに、なんでこんなに見飽きないんだろう? たぶん、それがいまもほとんど変わらないパリの街角だからであり、また、建築の細部まで写し込まれているからであり、モノクロゆえに郷愁を呼び、想像力をかき立てるからでもあるだろう。もっと簡単にいうと、記録性、情報量、芸術性を兼ね備えているからだ。なんだ、写真の重要な要素ばかりじゃないか。後続の写真家に影響を与えたというのもうなずける。
さて、こうしてあらためてアジェの写真を見てひとつ気づいたのは、意外と人が写ってるということ。なんとなくアジェの写真はパリの無人の風景、つまり人のいない時間帯を狙って撮影したものだと思っていたが、そんなことはなさそうだ。彼は人の有無にかかわらず撮影したが、長時間露光のため人が消えたりぼんやりと写ってしまい、結果的に無機質の建築ばかり目立ち、人がいたことに気づかないのだ。なるほど、こういうのを「不動産写真」と呼んでみたい。今回はアジェの油絵も出ていて、これがなかなか興味深い。《(樹)》というタイトルどおり樹を描いているのだが、ふつう木らしさの出る枝葉を描くものなのに、彼は地面から幹が生えてる下のほうしか描かず、代わりに背景に下生えの低木を描いているのだ。アジェがなにを見ようとしていたかがうかがえる絵だと思う。
2018/01/12(金)(村田真)
無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol. 14
会期:2017/12/02~2018/01/28
東京都写真美術館[東京都]
吉野英理香、金山貴宏、片山真理、鈴木のぞみ、武田慎平の5人展。この順に作品が展示されているが、見ていくうちに写真展から、写真も素材に採り入れた現代美術展へと趣を変えていく。そういえばタイトルも「日本の新進作家」であり、写真家に限定していない。金山は似たようなおばあさんばかり撮った見た目ふつうの写真だが、彼女らは統合失調症の母とその姉妹(作者からすれば叔母たち)。こういうきわめて私的な動機で撮った私的な写真を公表することには違和感を感じるが、その違和感がこの作品をふつうの写真から遠ざけている。片山はセルフポートレート写真を中心に、手づくりのオブジェやコラージュで構成したインスタレーションで、5人のなかでいちばん目立っている(浮いているというべきか)。本人はセルフポートレートを撮ってる自覚も、写真作品を制作しているつもりもないそうだ。窓や鏡にピンホールカメラの手法で外の風景を焼きつけた鈴木は、写真の原理を問い直そうとしているように見えるが、むしろ絵画の延長と捉えたほうがわかりやすい。窓も鏡も写真のメタファーである以前に絵画のメタファーだった。武田も印画紙に放射性物質を含む土を被せて感光させる点で、写真の原理に遡ろうとしているようだが、そのイメージはもっとも写真から遠く、科学的な実験データでも見せられているようなおもしろさがある。
2018/01/12(金)(村田真)
ボストン美術館 パリジェンヌ展 時代を映す女性たち
会期:2018/01/13~2018/04/01
世田谷美術館[東京都]
2世紀半におよぶパリを生きる女性に焦点を合わせた企画展。18世紀のロココ趣味の衣装から、19世紀のマネ、ドガ、ルノワールらの絵、ドーミエの版画、コルセット、女優のポスター、そして20世紀のアンドレ・ケルテス、ブラッサイ、ユーサフ・カーシュらの写真、ピエール・カルダンのドレスまで、革命や大戦を挟んで女たちの生活スタイルがめまぐるしく変わっていくのがわかる。でもいかんせん本場パリの美術館ではなく、大西洋を挟んだボストン美術館のコレクションから借りて来たものなので、質も量も物足りなさを感じるのは否めない。展示は2フロアにまたがっているが、版画や小品が多く、はっきりいって1階だけで十分だったのではないか。もし同じ「パリジェンヌ展」を、パリのルーヴル、オルセー、ポンピドゥセンターの3館のコレクションで構成したらどんなものになるだろう? と想像してみたくなる。
ないものねだりはさておいて、チラシにはマネの《街の歌い手》と、サージェントの《チャールズ・E・インチズ夫人(ルイーズ・ポメロイ)》の2点が使われているが、この2点がなかなか対照的で興味深い。サージェントはややこしいことにフィレンツェに生まれ、パリで画家としてデビュー、ロンドンで亡くなったアメリカ国籍の画家。その肖像画は筆のタッチを残しつつも的確なリアリズム描写に貫かれ、特に顔は見る者の視線が集中するように美しく描いているが、下半身はカット、周辺もラフに描き流している。いわばモデルに忠実な古典的描写だ。それに対して一世代上のパリジャンのマネは、モデルを能面のような生気のない顔で表わし、服の描写もべったり平面的だ。モデルの全身は細長い三角形をかたちづくり、左右辺の内側に扉の垂直線を配し、天地の辺も扉とスカートの影で強調している。つまりマネはモデルを描くというより、四角い画面のなかで平面性を強調しつつ、いかに絵画を構成するかに腐心しているようなのだ。どちらがモダンか明らかだろう。
2018/01/12(金)(村田真)