artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015 街なか展開

会期:2015/03/07~2015/05/10

河原町塩小路周辺、京都芸術センター、京都府京都文化博物館、大垣書店烏丸三条店、堀川団地(上長者棟)、鴨川デルタ(出町柳)[京都府]

街なか展開では、河原町塩小路周辺が印象的だった。ここはさまざまな歴史的経緯のある複雑な場所で、立ち退きが進行しており、高い柵に囲まれた空き地が連続し、見るからに違和感のある風景だ。ヘフナーとザックスは、ここにベンチ付きの柵を足しながら、放置された資材や廃棄物を使って、庭園に見立てたようなインスタレーションを行ない、空間的な批評で介入する。京都芸術センターは、2階の講堂において、アーノウト・ミックの空間に介入する映像のインスタレーションだ。あいちトリエンナーレ2013のときの作品と違い、今回は本当のドキュメント映像も混ざる新しいタイプの作風だ。大垣書店烏丸三条店のショーウィンドーでは、リサ・アン・アワーバックの大きな写真が出迎える。そして京都文化博物館別館のホールでは、森村泰昌によるベラスケス《侍女たち》の作品世界が、彼の介入によって変容していくポストモダン的な連作だ。堀川団地は、一階が店舗、二・三階が住居(現在は空っぽ)の1950年代建築であり、各部屋の空間を意識したインスタレーションを展開する。天井やふとんに夢のような映像を投影するピピロッティ・リスト。不在の部屋で小さな仮面が向き合うブラント・ジュンソー。そして空間に介入し、作品化させる笹本晃である。鴨川デルタでは、3つの橋の下のスピーカーからの音楽が連鎖するスーザン・フィリップスだ。いずれも美術館の内部では不可能な、その場所でしか体験できない作品である。最後は、二条城の横で行なわれたオープニングのイベントに向かい、やなぎみわのトランスフォーマー的に変形するトラックにて、二人の女性によるポールダンスのパフォーマンスを鑑賞する。

写真:左上=ヘフナーとザックス 左中上=スーザン・フィリップス 右上=ピピロッティ・リスト 右中上=やなぎみわ 中下=リサ・アン・アワーバック 下=森村泰昌

2015/03/06(金)(五十嵐太郎)

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PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015 京都市美術館

会期:2015/03/07~2015/05/10

京都市美術館[京都府]

パラソフィア/京都国際現代芸術祭2015の内覧会へ。メインの京都市美術館を含めて、映像の作品が多いので、本当に全部見ようとしたら、相当な時間がかかる。内容は芸術監督の河本信治が「エンターテイメントではなく」とうたうように、シリアスで硬派だ。昨年から、横浜トリエンナーレ、札幌国際芸術祭など、芸術「祭」というより「展覧会」色が強い企画が続く。個人的には、京都市美術館の内部がけっこう大きくて、現代美術に合う空間というのが、まず大きな発見だった。近代美術のために戦後につくられたモダニズムの美術館は、いまや現代アートにとって天井は低いが、30年代の帝冠様式の建築は、国際展にとっても余裕のあるデカさなのは興味深い。

写真:上=《京都市美術館》外観 中=蔡國強の展示 下=展示室内

2015/03/06(金)(五十嵐太郎)

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せんだいデザインリーグ2015 卒業設計日本一決定戦 公開審査

会期:2015/03/01

東北大学百周年記念会館川内萩ホール[宮城県]

毎年恒例の卒業設計日本一決定戦/SDLだったが、個人的に10年審査に関わってきて、もっとも達成感がなかった。ほかの案よりはマシという消極的な理由で日本一を決めてしまったからである。審査を通じて、観衆を含めて全体が納得しながら、上位を決めるプロセスこそが、SDLというイベントの醍醐味だが、全体的に会話がまず成立しなかった。ベタしかなくて、メタ的な視点がない。建築的な説明を求めても、それを答えない、あるいはそもそもそうした言語をもっていないのか。したがって、審査員のバトルになる手前に留まり、皆で協力してファイナリストから聞き出すのに時間を使い切った。もちろん、彼らを選んでしまった審査員として責任を感じる。ファイナリストが決まった時点で少し不安を感じていた。通常はセミファイナルでの得票点数の上位と、ファイナルの審査員の一推しが、ほどよく混ざるのだが、場の流れで、そのいずれでもない感じの布陣になってしまった。それでも類い稀な学生が入っていれば盛り上がったのだが、その奇跡も起きなかった。数百の案から、短時間で10人を選ぶのは、陸上でタイムを計るのとは違い、どうやっても無理がある。これはこういう形式のイベントだと割り切るしかない。が、そのなかでもどうやったら、より多くの議論ができるか、観衆も満足度が上がるかは、デザイン可能である。今回の失敗が、その方法を見直す機会になればと思う。

2015/03/01(日)(五十嵐太郎)

第2回 3.11映画祭 藤井光×五十嵐太郎トークショー「ASAHIZA 人間は、どこへ行く」

会期:2015/02/28

アーツ千代田 3331[東京都]

アーツ千代田3331にて、映画「ASAHIZA」の監督の藤井光とトークを行なう。実は3.11映画祭で上映する作品とは思えないほど、直接的な被災の話やシーンは少ない。が、現在、日本全国で起きている疲弊していく地域の話であり、映画という20世紀の共有知を使うことで、3.11に関する特殊な映画に限定されず、射程が広くなり、普遍性をもっている。それにしても、映画館のドアを閉じるところから始まり、画面にこちらを向く観客が映し出されることで、実空間とシンメトリーの構図を生み出し、われわれが映画を見ているのでなく、映画館がこちらを見ているような冒頭だ。

2015/02/28(土)(五十嵐太郎)

アメリカン・スナイパー

クリント・イーストウッド監督の映画『アメリカン・スナイパー』を見る。「国家」のために、そして戦場で仲間を救うために、異国において160人以上を撃ち殺した精密な殺人機械となる「英雄」的な兵士が、イラクから家族のいる母国の「日常」に戻るたび、人として壊れていく。単純な愛国とも、反戦とも言えない。戦争が人の精神に及ぼす影響を描いた作品である。実話をもとにした映画だが、最後にアメリカに帰国した主人公の身に降りかかる悲劇は、運命の皮肉と言うしかない。

2015/02/27(金)(五十嵐太郎)