artscapeレビュー

五十嵐太郎のレビュー/プレビュー

A Tale of Two Cities - Lu Hsien-ming Exhibition: Glimpses of Cities ほか

会期:2015/01/17~2015/03/15

台北当代藝術館 MOCA Taipei[台湾台北市]

現代美術館に転用された《台北詔安尋常小学校》(1920)は、正面でバザールのようなイベントを開催中だった。A Tale of Two Cities展は、1階でLu Hsien-mingが台北の土木開発などに注目した作品、2階でKuo Wei-kuoがおじさんのかわいい幻想世界を展開した。Long-Bin ChenのBook Sculpture展は、タイトルどおり、大量の本を接合し、それらを削って造形をつくる力技のインスタレーションだった。帰りに乾久美子さんの《ルイ・ヴィトン》へ。ここを夜に訪れるのは初めてだったが、光の効果を確認することができた。

写真:左上から、《台北詔安尋常小学校》、Lu Hsien-ming、Kuo Wei-kuo 右上から、「Book Sculpture」展、《ルイ・ヴィトン 台北ビルディング》

2015/03/14(土)(五十嵐太郎)

《日本勧業銀行台北支店》ほか

[台湾台北市]

台湾の桃園国際空港に到着し、第一ターミナルに寄って、まず團紀彦が改修した大空間を見学。今回は久しぶりに近代建築も再訪すべく、駅から南下し、《三井物産株式会社》《国立台湾博物館》《台北病院》などをまわる。1910、20年代の建築がよく残っており、自ら壊すオウンゴールが少ない。近年修復され、博物館になった《日本勧業銀行台北支店》の内部に入る。金庫展示室や修復保存の経緯・資料など、場所の使い方や展示デザインがとてもいい。また中央の吹抜けは、旋回するスロープや階段状の空間を設ける大胆なリノベーションである。これらが巨大な恐竜の骨組、古生物のインスタレーションを囲む。

写真:左上から、《桃園国際空港》《三井物産株式会社》《国立台湾博物館》 右上から、《台北病院》《日本勧業銀行台北支店》外観、同内観

2015/03/14(土)(五十嵐太郎)

-RYOJI SUZUKI LIVE AT THE BANKART- 鈴木了二 展“My Favorite Things”

会期:2015/03/10~2015/03/16

BankART1929[神奈川県]

BankART1929の鈴木了二展へ。断片的に見たことはあったが、絶対現場からDUB HOUSEまでの物質試行シリーズを総覧できる貴重な機会だった。最近の建築界で減る形へのこだわりや、メディアを横断する建築的思考が素晴らしい。原発プロジェクトの図面、僕の卒計と同じく千分の一スケールだった。

2015/03/13(金)(五十嵐太郎)

《ふるさと井上靖文学館》《ベルナール・ビュフェ美術館》

[静岡県]

続いて、ふるさと井上靖文学館へ。視覚的な美術と違い、地味な資料になってしまう文学館はどうしても「見せる」のが難しい。ここもそうだった。この建物と向かいのベルナール・ビュフェ美術館は1973年のオープンで、いずれも菊竹清訓によるもの。2つは対照的な変わったデザインである。ビュフェ美術館は、作家や批評家の言葉を添えながえら、彼の生涯をたどる展示だ。細くとんがった人物造形のキャラ。無数の線で激しくひっかいた画風。1950年代の状況には合っていたと思うが、若くして成功した後、あまり作家として展開や成長がないように感じたので、ピンとこない。ビュフェ美術館で、3月15日スタートの「frame and refrain」展を設営中の杉戸洋に声がけし、絵の配列を決める途中を見せてもらう。あいちトリエンナーレの市美と連なる、さまざまな家型イメージの作品で楽しい。この前のケンジタキギャラリーでも空間インスタレーションだった。

写真:上=《ふるさと井上靖文学館》 下=《ベルナール・ビュフェ美術館》

2015/03/13(金)(五十嵐太郎)

富士定景─富士山イメージの型

会期:2015/01/17~2015/07/05

IZU PHOTO MUSEUM[静岡県]

IZU PHOTO MUSEUMの富士定景展がいい。日本で最も多く被写体となった富士山の写真をたどるが、山は同じでもまわりの人や風景が変化する。第一部が明治期の海外からのまなざしなどのイメージ、第二部が阿部正直博士の気象研究。特に日本側と米軍側、おのおのからの戦争と富士山の写真が印象的。5年ぶりのIZU PHOTO MUSEUMだが、アーティストの杉本博司のデザインは、やはり建築家の設計と違うという感じは変わらない。建築の場合、全体の空間を統合する論理的な一貫性を重視すると思うのだが、IZUは、それと別の感覚が働いている。建築的か、どうかの分かれ目のひとつだ。

2015/03/13(金)(五十嵐太郎)

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