artscapeレビュー
飯沢耕太郎のレビュー/プレビュー
大西みつぐ「まちのひかり」
会期:2019/03/26~2019/04/15
ニコンプラザ新宿 THE GALLERY[東京都]
平成の終わりということで、その前の時代、昭和が話題になることも何かと多くなった。ただ、どちらかといえばその風潮は、古き良き時代を懐かしむ「ノスタルジー」の方向に傾きがちだ。大西みつぐの個展「まちのひかり」にも、そんなふうに受け取られても仕方のない要素がたっぷり詰まっている。大西は、これまでメイン・グラウンドとしてきた東京の下町だけでなく、沖縄から青森までいろいろな街を巡り歩き、昭和の匂いのする風物を採集してきた。壁には写真とともに、温度計、ブロマイド写真、雑誌記事などが展示され、棚の上に置かれた古いラジオからは昔懐かしい番組が聞こえてくる。
だが、写真を見ているうちに、そんないかにもノスタルジックなつくりは、確信犯的に仕組まれたものであることが見えてくる。大西は写真展に寄せた文章で、「ノスタルジー」は「決して後ろ向きの情感ではない」という映画評論家の川本三郎の言葉を引き、「近過去はいとも簡単に忘却の彼方に押し込められてよいというものではないはずだ。むしろ『今』を様々な角度から照らす材料にあふれている」と述べる。たしかに、ここに集められた「まちのひかり」の眺めには、彼自身の、むしろこのような光景こそ正しく、あるべき姿をしているという確信が、しっかりと刻みつけられているのではないだろうか。
出品作品のなかに一枚だけ、1994年に東京・人形町で撮影されたポジ・プリントが展示してあった。今回の写真展の「原点」であるという、いかにも職人らしいたたずまいの老人と、その作業場の眺めには、「日々の小さなドラマの集積」が宿っていると、彼はキャプションに記している。それはむろんこの写真だけでなく、今回展示されたすべての作品に通じることで、膨大な視覚、あるいは触覚的な情報を含む事物のディテールを目で追う愉しみを、心ゆくまで味わい尽くすことができた。
2019/04/08(月)(飯沢耕太郎)
兼子裕代「ガーデン・プロジェクト」
会期:2019/04/02~2019/04/20
Gallery Mestalla[東京都]
タイトルの「ガーデン・プロジェクト」とは、1992年に弁護士のキャスリン・スニードが、アメリカ・サンフランシスコ郡刑務所の第5庁舎に隣接する敷地で立ち上げた農場経営のNPOである。キャスリンは低所得者やマイノリティ・コミュニティの人々に職を与え、地域に貢献する目的で有機野菜や草花を育て、ホームレス・シェルターや高齢者施設に寄付する活動を始めた。カリフォルニア州オークランド在住の兼子裕代は、縁があって2016年から「ガーデン・プロジェクト」のスタッフとなる。同施設は「おそらく政治的な背景で」、2018年に閉鎖に追い込まれたという。
兼子が展覧会に寄せたコメントで認めているように、スタッフとして仕事をしながら撮影された写真群は、ドキュメンタリーの仕事としてはやや厚みを欠いているように見える。だが、6×6判のカメラで撮影され、柔らかい調子でプリントされたカラー写真には、そこで働く人々の姿だけでなく、「光や風、木々や花、そして土地から受ける自然のエネルギー」がしっかりと写り込んでいる。白人とアフリカン・アメリカン、中南米やアジア系の人々が混じり合って、自然を相手にして働くことで醸し出されてくる、不思議な安らぎに満ちた空気感の描写がこの作品の魅力といえるだろう。2017年に銀座ニコンサロンで開催された「APPEARANCE──歌う人」展でも感じたのだが、兼子のカメラワークは、被写体となる人たちの身振りの定着の仕方に特徴がある。瞬間ではなく、その前後の時間をも含み込んだ「途中」の動作を写しとめていることが、彼女の写真に余韻と深みを与えているのではないだろうか。
2019/04/04(木)(飯沢耕太郎)
大石芳野「戦禍の記憶」
会期:2019/03/23~2019/05/12
東京都写真美術館[東京都]
戦争をテーマとするドキュメンタリー写真家たちは、まさにその渦中にある人々や、彼らを取り巻く社会状況を撮影し続けてきた。だが、大石芳野のアプローチはそれとは違っている。彼女は「事後」に戦場となった場所を訪れ、その記憶を心と体に刻みつけた人々をカメラにおさめていく。ゆえに、彼女の写真には派手な戦闘場面もスクープもない。モノクロームの静謐な画面に写り込んでいるのは、沈黙の風景とこちらを静かに見つめる人々の姿だけだ。
今回、東京都写真美術館で開催された「戦禍の記憶」展には、1980年代以降にそうやって撮影され続けてきた写真約160点が、「メコンの嘆き」、「民族・宗派・宗教の対立」、「アジア・太平洋戦争の残像」の3部構成で展示されていた。例えば、南ベトナムで使用された枯葉剤の影響によって二重体児で生まれてきたベトとドクを、1982年から2009年まで何度も撮影した息の長いシリーズのように、大石の撮影のスタイルは、シャッターを押す前後の時間を写真に組み込んでいるところに特徴がある。写真だけでなく、その一枚一枚に付されたキャプションもじっくりと丁寧に練り上げて書かれており、地道な作業の積み重ねによって、「声なき人びとの、終わりなき戦争」の実態がしっかりと伝わってきた。ベトナムやカンボジアなどメコン川流域の住人たち、コソボやスーダンの難民キャンプに収容されていた人たち、ユダヤ人強制収容所からの生還者、旧日本軍「731部隊」の関係者、韓国人慰安婦、広島と長崎の原爆被災者、沖縄戦を生き延びた人々などの顔と証言は、そのまま20世紀の深い闇につながっているように感じる。
2019/04/03(水)(飯沢耕太郎)
石田榮「はたらくことは生きること──昭和30年前後の高知」
会期:2019/04/02~2019/05/06
JCII PHOTO SALON[東京都]
石田榮は1926(大正15)年に香川県に生まれ、機械見習工を経て海軍に召集され、海軍特別攻撃隊菊水隊白菊隊の整備兵として終戦を迎えた。復員後、高知県で農業機械の会社に勤めるようになり、その傍ら、譲り受けたドイツ製の「セミイコンタ」カメラで、働く人々の姿を撮影しはじめる。「家から近いこと、危険が少ないこと、そして日曜日でも仕事をしているところをテーマにしたい」と考えたのだという。昭和30年代に高知市、南国市、大豊町一帯で撮影した写真は、その後長く「セロファン製のアルバム」に入れたまま眠り続けていた。だが、2012年に大阪ニコンサロンで開催した個展「明日への希望を求めて──半世紀前の証」が注目され、2016年に写真集『はたらくことは生きること』(羽鳥書店)が刊行される。今回JCII PHOTO SALONで開催されたのは、そのアンコール展示というべき写真展である。
「浜」「港」「石灰」「農」「里」「商」の6部構成で展示された、70点余りの作品は、表現的な意図よりも記録に徹するという姿勢で撮影されたものだ。どの写真も、画面の隅々までピントが合っており、視覚的な情報量が豊かである。だからこそ、60年以上の時を隔てていても、その時代の空気感がまざまざと甦るようなリアリティがある。何よりも貴重なのは、それらの写真に、いまではほとんど失われてしまった、体を使って「はたらくこと」のありようが細やかに写り込んでいることだろう。身体性が剥ぎ取られ、抽象化してしまった現在の労働よりも、豊かで充実した生の営みが、ごくあたり前におこなわれていたことに胸を突かれる。石田が戦時中に出撃する特攻隊の兵士を見送る立場にいたことが、これらの写真を撮影し続けた動機のひとつになっていることは間違いない。まさに「はたらくことは生きること」であることを、カメラを通して日々確認することの喜びが伝わってきた。
2019/04/02(火)(飯沢耕太郎)
野村恵子「山霊の庭 Otari-Pristine Peaks」
会期:2019/03/16~2019/04/13
Kanzan Gallery[東京都]
このところ、女性写真家たちの質の高い仕事が目につくが、野村恵子もそのひとりである。1990年代にデビューした彼女と同世代の写真家たちが、それぞれ力をつけ、しっかりとした作品を発表しているのはとても嬉しいことだ。野村は昨年刊行した写真集、『Otari-Pristine Peaks 山霊の庭』(スーパーラボ)で第28回林忠彦賞を受賞した。今回の展示はそれを受けてのことだが、菊田樹子がキュレーションするKanzan Galleryでの連続展「Emotional Photography」の一環でもある。
雪深い長野県小谷村の人々の暮らし、祭礼、狩猟の様子などを「湧き上がる感覚や感情を静かに受け入れながら」撮影した本シリーズは、たしかに「感情」、「情動」をキーワードとする「Emotional Photography」のコンセプトにふさわしい。特に、妊娠し、子どもを産む若い女性の姿が、大きくフィーチャーされることで、ほかの山村の暮らしをテーマとするドキュメンタリーとは一線を画するものとなった。
野村と菊田による会場構成も、とてもよく練り上げられていた。壁には直貼りされた大判プリントとフレーム入りの写真が掲げられ、写真とテキストを上面に置いた白い柱状の什器が床に並ぶ。ほかに、3カ所のスクリーンで映像をプロジェクションしているのだが、その位置、内容、上映のタイミングもきちんと計算されている。写真集とはまた違った角度から、「山に生かされて」暮らしを営む人々の姿が重層的に浮かび上がってきていた。近年、ドキュメンタリー写真における展示の重要度はさらに上がってきているが、それによく応えたインスタレーションだった。
2019/03/27(水)(飯沢耕太郎)